次の日、ラッピングされた黄色い花を持って病院内を歩いていたわたしは、



「彩ちゃん!」



まんまと彼を見過ごしてしまった。



振り返ると、立ち上がった四季くんが小さく微笑む。



「彩ちゃん」



わたしの名前をもう一度呼ぶ四季くんの表情が、とても優しく感じた。



いつも彼が着ているジャージに、松葉杖…病室内で見慣れた物の筈なのに、会う場所が変わると気づかないものなのかも知れない。



お互いに近寄り、並んでエレベーターへと向かう。



松葉杖に寄りかかる彼は、隣に立つと見上げるぐらい背が高い。



「何?」


「え?」


「いや、凄い見られてるなと思って」



フッと笑った彼に、胸の奥が焼けるように熱くなった。



「ねぇ四季くん」



エレベーターの前に立ち、エレベーターが下りてくるのを待っている最中さなか、彼へ言葉をかけた。



「何?」



見下ろしてくる彼の前髪が、目にかかりそうだ。



「最近、何か怖いの」


「え…?」



突拍子の無い発言をしたわたしに、彼の表情が一瞬にして困惑した。



「あ、ごめんなさい…別に四季くんが怖いって言ってるんじゃなくて、」



誤解させてしまったかと思い、慌てて弁解を口にする。



「うん」



彼は「大丈夫」と言わんばかりに頷いた。



「あのね…」



話を切り出そうとした時、エレベーターが1階に到着した。



「部屋に行ってから聞くよ」



背中を優しく押されて、エレベーターの中へとわたしを誘導しながら、四季くんは5階のボタンを押した。



5階に着くまでのエレベーター内に会話は無く、わたしは四季くんに言われた通りに病室へ着いたら話そうと、口を開かなかった。



四季くんもそれは同じようで、お互いに何も話さないまま5階に着くのを待ち望んだ。



エレベーターを降りて詰め所の前を通ると、看護師さん達が会釈してくれる。



それに当たり前の用に会釈仕返したわたしは、きっと笑えてなかった。



「四季くん…」



病室に入ってすぐ、開口一番に彼の名前を呼んだ。


そんなわたしの焦りが、彼にも伝わったのだと思う。



「彩ちゃん、座って」



なだめるようにわたしの肩に触れた彼は、ゆっくりと椅子へ誘導した。



彼がベッドへと腰掛けたのを確認して、



「四季くん…」



わたしはもう一度その名を呼んだ。



わたしが名前を呼ぶ度に、彼は辛そうな表情に変わる。



「おかしいの…」



そう呟くと、彼が両手を広げた。



「おいで」



切羽詰まっているのはわたしの方なのに、どうしてか彼の声が苦しそうに聞こえる。



「彩ちゃん」



二度目の声掛けを合図に、わたしの体は彼のもとへと動いた。



その胸に擦り寄ると、きつく抱き締めてくれた。



「四季くん」


「うん…」


「わたしの声、聞こえる?」


「うん…」



彼の胸にグッと頬を擦り寄せると、彼の心臓の音が耳に響く。



「皆わかってくれない…友達も親も、おかしいの」


「うん…」


「上手く言えないんだけど…」


「うん…」


「わたしだけ仲間外れみたいな…わたしの知らない所で何かが起きたみたいで、怖いの…」



思えば彼との出会いから、わたしとわたしを取り巻く環境との差を感じていた。



友達の亜美は、彼と関わる事を酷く嫌う。


彼の事を何も知らないのに、「四季くんの所に彩が行く必要なんかない」とゆう言い草。



最初は亜美の言ってる事を理解してるつもりだった。



見ず知らずの男の人の所へ通い詰めるなんて、確かにおかしいと思うかもしれない。



だけどわたしは、彼からすれば恩人だ。


事実わたしは具体的には何もしていないけど、彼はわたしを恩人だと思ってる。



それにわたし自身、彼が悪い人だとは思わない。



見ず知らずの人だからとゆう理由で、何も知らないくせに彼を懸念するのはおかしいと思う。



むしろ、そこまで懸念する理由をわたしは知りたい。



ギュッと、だけど優しく包み込んでくれる四季くんの温もりに酷く安心を覚えた。



「今日は、俺も彩ちゃんに話があったんだ」



顔を見合わすように、わたしの体を引き離した四季くんは、



「もう…ここへは来ないで」



とても辛そうにその言葉を告げた。



「…どうして?」



平然を装ってそう聞き返したわたしに、四季くんは「うん…」と頷く。



「もう、退院するんだ」



その、あまりにも突然の報告に、わたし自身が拒絶された訳じゃないんだと、少し安心した。



…――と同時に、



「じゃあ、もう会えないの?」



四季くんが退院するなら、わたしがここへ来る理由も、彼と会う理由も無くなってしまう。



そう思うと、わずかに不安を感じた。



「そうだね…」



四季くんはもう、わたしの不安を取り除いてはくれない。



所詮わたし達なんて、一週間そこらの付き合いでしかない。



偶然わたしが怪我を負った四季くんを見つけて、情けをかけただけの事。



彼がどうゆう人かも知らないし、彼もわたしがどうゆう人間かを知らない。



だけどわたしは、



「寂しいね」



確実に彼を心の寄り所にしていた。



友達や、家族にでさえ…どうしようもない疎外感を抱えていたわたしは、彼のお見舞いに行く事で楽しみを見出していた。



スッと四季くんから離れたわたしを、四季くんの手がわたしの体をなぞるように滑り落ちていく。



「退院おめでとう」



喜ばしい事なのに、自分の気持ちを引きずってはいけないと思い、笑って見せた。



「うん…」



彼もまた、わたしとの別れを少しは寂しいと感じてくれているのかもしれない。



「今までありがとう。さっき言った事は気にしないでね」


「え?」


「ごめんね、四季くんにはわたしの事情なんて関係ないのに、お見舞いに来ては弱音ばかり吐いて」


「彩ちゃん…」


「わたしってちょっと、情緒不安定なのかな…思い込みが激しいのかも」


「彩ちゃん、」


「だから気にしないで。変な事言ってごめん」


「彩ちゃん聞いて」



いつの間にか落としていた視線を上げると、四季くんが心配そうな眼差しでわたしを見つめていた。



「彩ちゃんは俺を見つけて、この病院へ連絡してくれた。だから今俺はこうやって生きてる」


「うん」


「彩ちゃんは俺のことを心配して、毎日見舞いに来てくれた。だから俺は退院できるまでに回復できた」


「うん」


「彩ちゃんはこれから、また毎朝学校に行って、真っ直ぐ家に帰って勉強をする」


「うん」


「不安なことは無くなるから。友達や家族の言う事を聞いて」



四季くんに促されるままに頷いた。


四季くんの目を見ていると、まるでマインドコントロールにでもかけられているような気分になる。



「彩ちゃん…」



伸びてきた四季くんの手が、わたしの頭に触れる。



「ごめん…」



再び引き寄せられた体が、四季くんの腕に包まれる。



「どうして謝るの?」


「キスして良い?」



わたしの質問に答えてくれなかった彼は、わたしの返事も待たずに、唇を重ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る