「今日も行くの?」



鞄を掴んで席を立った瞬間、投げかけられたその声の方へ視線を向けた。



「行くけど」



何?と促すように見つめた先、



「そうなんだ」



何か言いたげな面持ちをした亜美あみが立っている。



「彩さ、あまり関わらない方が良いよ」



それは“誰”と聞かなくても、四季くんの事を言ってるんだって分かった。



「どうして?」


「だって…」


「亜美は四季くんの事何も知らないじゃない」


「…彩、」


「そんな事言わないで」


「でも!」


「亜美にそんな事言われたくない」



視線をらして再び鞄を握り締めると、振り返らずに教室を後にした。



腹が立つような、悔しいような、苛々とした気持ちを落ち着かせようと…無意識に力一杯歩いていた事に気づいて、ふと足の力を緩めた。



四季くんの元へ通うようになったのは一週間前の事。



いつも通り学校が終わって帰宅しようと歩いていたわたしの前に、突然倒れ込んで…いや、倒れていたのを見つけたのか…



はっきりとは覚えてないけど、倒れていた彼の為に救急車を呼んだ。



彼の意識が戻った時、わたしは彼が眠っていたベットの脇に腰掛けていて、意識いしき朦朧もうろうとしてる彼に「大丈夫か…」と、心配されてしまった。



だから、「あなたが大丈夫ですか?」と、逆に聞き返したのを覚えている。



その後すぐにナースコールをしたら、看護師が慌てて駆けつけ、医師によって詳しく診察をしてもらい、ベットに寝たきりの彼はゆっくりとわたしを見た。



その視線を漠然と受け止めていると、振り返った医師もわたしに目を向けた。



「ご家族の方ですか?」


「いえ、」


「はい」



わたしの否定を遮って肯定したのは彼だった。




「ご家族?」



医師の目が彼に向けられ、彼はもう一度「はい」と答える。



「そうですか」



医師はそう返すと、再び振り返ってわたしを見た。



「容態は安定してます。今点滴を打ってるんで、終わったら知らせて下さい」



彼の“家族”だと認識されてしまったわたしは、医師から任務を与えられてしまい、



「分かりました」



それを遂行しなければならないとゆう正義感にられた。



病室に彼とわたしの2人だけになった時、ポツ…ポツ…と落ちる点滴を視界に捉えながら、ベットの横に置かれた椅子へ腰掛けた。



「あの…“誰か”に、連絡しなくて良いんですか?」



“家族に…”と言わなかったのは、わたしを家族だと嘘を吐いた彼に家族とゆうワードを避けた方が良いと思ったから。



「うん」



仰向けに寝そべっている彼は、天井に向けていたその視線をゆっくりと動かし、



「ありがと」



わたしに笑顔を見せた。



「わたしは何も…」



俯いて出た言葉はとても小さな声だったと思う。



現にわたしは、お礼を言われる程の事を何もしていない。



ただボーっとして、人任せに見ていただけだ。



「お願いがある…」



俯いていたわたしは、その言葉に顔を上げた。



「何ですか?」



何の気なしにそう聞き返すと、彼は「うん…」と頷き、



「明日も来てくれないか?」



神妙な面持ちでそう言った。



「……ここへ?」


「うん」


「何故?」



怪訝な眼差しを向けるわたしに、彼は困ったように眉を下げて、どう説明しようか言葉を選んでるようだった。



「話し相手になってくれないか?」



随分と間をあけた後、彼が選んだ言葉はわたしを唖然とさせた。



「話し相手…?」


「うん」



瞳を伏せた彼に、ドクンとわたしの心臓が音を立てる。



――この人には“誰”も居ないのかもしれない。



こんな状況になっても、お見舞いに来てくれる友人も居ないのかもしれない。



そう思うと「わたしで良ければ」とゆう思いが芽生えた。



完全に――わたしは彼に同情していた。



「分かりました」


「…来てくれる?」


「はい」


「ありがとう…」



心底ホッとしたように見えたから、承諾した甲斐があったと思えた。



「だけど、来るのは夕方になります」


「うん」


「学校が終わってからじゃないと、来れません」


「うん」


「良いですか?」


「もちろん」



この時初めて、わたしは彼の穏やかな表情を見た。



こうして、彼の入院する病院へと通うようになったんだけど…



正直、彼の素性は良く知らない。


どこの人で、どんな事をしてる人なのか。仕事はしていないのか…



見た目や話し方から年上だとは思うけど、年齢すら聞けないでいる。



穏やかな口調に、優しい目線…20代後半だろうか…?笑うと少年の様な雰囲気にも見てとれる…もう少し若いのかもしれない。



ただ一つだけ言えるのは、わたし以外に誰もお見舞いには来ていないとゆう事。



だからわたしが毎日彼の元へ顔を出すと、凄く嬉しそうにしてくれる。



そんな彼を見ると「行かなければ」と思ってしまう。



わたしが行く事で、この人が少しでも満たされるなら嬉しく思う。



「こんにちは」



夕暮れ時に訪れた病室に、わたしの声がやけに響いた。



「こんにちは」



彼は変わらず上半身だけ起こしてベットの中。



「いつもと同じ時間になっちゃった」



苦笑いを浮かべるわたしに、穏やかに微笑み返してくれる。



「学校終わって何してた?」


「本屋で時間潰してた」


「ずっと?」


「まさか…さすがにずっと本屋に居る訳にもいかないから、本を買ってカフェで読書してた」


「うん」


「そしたらこんな時間になって」


「うん」


「少し時間潰す筈が、いつもと変わらない時間になっちゃった」



荷物を脇へ置きながら「暇だった?」と聞いたわたしに「うん、少しね」と、彼は穏やかに微笑む。



「明日は時間潰さなくても大丈夫だよ」


「え?どうして?」


「下まで迎えに行くよ」



どうゆう意味か分からず黙り込むわたしに、「明日はロビーまで迎えに行くから、学校終わったらそのまま来て」と、明確に教えてくれた。



「大丈夫なの?」



動いても良いのかと、彼の体の心配をしたわたしの思いが、どう伝わったのかは分からない。



「大丈夫だから。あいつらの為に彩ちゃんが時間を潰す必要はない」


「あいつら?」


「エレベーターで遭遇したってゆう…」



彼は一昨日の出来事を心配してくれているんだとわかった。



エレベーターに集団で乗って来た男達に奥へと追いやられ、わたしがエレベーターを降り損ねた事を話したから、こうして心配してくれている。



「でも、わざわざ四季くんが下まで来なくても…わたしが時間をずらせば良いし」


「そう言うと思った…」



彼は呆れた様子で溜め息を吐くと、わたしに視線を向けた。



「彩ちゃんが来ないと暇だから…余所で時間潰すぐらいならここに居てほしい」


「…うん」



そこまで言うならそうしようかと、わたしは彼の言葉に頷いた。



「受付の前にあるソファーに座って待ってるから」


「はい」



正面入り口のすぐ右側にあるその場所が、脳裏を過ぎる。



「わたしが気づかなかったら、声をかけてね」


「うん」


「よくボーっとしてるって言われるから」



そう自分で言いながら、誰に言われたんだったかと考えても思い出せなかった。

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