第85話
少しして顔を離した私は、たまらなくなって彼の首に両腕を回すように思わず抱きついた。
「っ、ハル…?」
「っ、お願い、」
「え?」
「どこにも行かないでっ…」
「……」
「何でもするからっ、本だってこれまで以上にたくさん持ってくるし、どんなに見つからない本だって私が日本中探し回ってでもここに持ってくるからっ…だからお願い、シュンっ…ここにいてよっ…!!!」
「……」
泣いてすがるようにそう言った私に、彼は何も言わずに私の背中に両腕を回して力なくそこを撫でるだけだった。
その日の帰り際、
「…ハル、明日も来れる?」
今日の彼はよく名前を呼んでくれる日だ。
「え?」
「五分でもいい。なんなら二分とかでも…俺、お前の顔見ると安心するんだよ」
「うん、分かった。絶対来るよ。これからは毎日来るからね」
部活をしているという設定なんて一瞬でどうでもよくなった。
彼もそのことを忘れているのか、ただ「ありがとう」と言うだけだった。
これが最後なんかじゃないよね?
ちゃんと私達に“明後日”はあるよね?
…いや違う、これからは明後日なんかじゃだめだ。
明日じゃなきゃいけない。
明日は学校が終わったら走ってこよう。
そう思い私はもちろんそれを実行に移したのだけれど、結果的に彼と言葉を交わすのはその日が最後になってしまった。
それでも翌日私が彼の部屋を訪れるまで私に事態が急変したというような知らせは何も届きはしなかったから、私は当然彼はそこにいるんだと思っていた。
そして実際、彼はそこにはいた。
これまで以上に早る気持ちを抑えてドアをノックすれば、中から「はい、」とすぐに返事が返ってきたけれどそれは彼の声ではなかった。
すぐにドアを開ければ、彼のお母さんがいた。
「おばさん…」
「ハルちゃん…今日も来てくれたんだね」
こちらに来たおばさんの目は赤く腫れていて、なんだか嫌な予感がして私がベッドに目をやれば、彼はいつものようにそこに仰向けになって眠っていた。
「シュン、寝てるの?」
「うん、…朝からずっと」
「…え?」
「昨日の夜中に血を吐いちゃって、その時薬を飲んでからずっと目を覚ましてないの」
「……」
「息はしてる。でも…シュン、もう疲れちゃったんだと思う」
入り口で立ち尽くす私の目の前で、おばさんはベッドの上の彼を振り返ってそう言った。
「…昨日のこと、早見さんから聞いたよ。ハルちゃん、ありがとう」
「いや…私は何もしてなくて、」
「そんなことないよ。お陰でこんなにぐっすり気持ち良さそうに眠ってるんだもん」
「……」
「シュンは安心してるんだよ…ハルちゃんがいつもそばにいてくれたことに」
“俺、お前の顔見ると安心するんだよ”
まだ私の顔も見てないのに、安心なんてまだ早い。
今すぐ起きろと叩き起こしてやりたい気分だったけれど、おばさんに誘導されるままにベッドの方へと進めば彼は確かに気持ち良さそうに目を閉じて眠っていた。
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