第84話

「…この柵取って」


彼は私との間にあるベッドの横の柵を指差した。


「これ取れるの…?」


「うん、抜ける」


私が言われた通り両手でその柵を持ち上げれば、スッと抜けて柵はベッドから外れた。



「…ここ座って」


今度はベッドの自分の座るすぐそばを指差した彼に、私はその柵を床に置いてそこに腰掛け彼と向かい合った。



週四でここに通うにもかかわらず、こんなにも近くに寄ったのは初めてかもしれない。



彼は目の前に来た私に、力なく遠慮がちに両手を伸ばして私の両頬を包むと涙で濡れたそこを親指で優しく拭った。


私を思ってなのか力を入れたくても入らないのか、彼のその指先はすごく弱々しかった。


そしてすごく冷たかった。




「…キスしてもいい?」


「っ、…」


また涙が目からこぼれ落ちてしまったけれど、彼は私の両頬からその手を離しはしなかった。



「…嫌なら全然、言って」


「ううんっ…嫌じゃないっ…」


私は漏れる嗚咽をできるだけ抑えてそう言うと、そっと目を閉じてその時を待った。



それからしばらくして、唇にそっと彼の唇が触れた。



ただそっと、触れただけだった。


押し付けるとかそんな力なんて一切伝わってはこなくて、キスなんてしたことがない私ですらもこれは本当にキスなんだろうかと疑いたくなるようなものだった。



それから少しして顔を離した彼にそっと目を開けると、彼は両手を私の両頬から下ろして少しだけ目線を落としていた。



「私も一生のお願いしてもいい?」


「…え?」


彼は少し驚いたように落としていた目線を上げた。



「…キス…してもいい?」


「…うん」


それから私は、さっき私がされたのと同じように彼の両頬に両手を添えて唇を重ねた。



私の両手が触れた彼の頬もまた、とても冷たかった。

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