第86話

それから二ヶ月後、彼は一度も目を覚まさずにそのまま旅立った。


それでも私はその二ヶ月、毎日彼の元へ通った。


眠っていたって彼に私の顔を見せることには何か意味があるように思えたし、私も私で彼の顔を見たかった。




こんなにもあっさりと彼を奪われるなんて、



思ってもいなかった。




とうとう彼があの部屋から姿を消した日から数週間が経った頃、おばさんは私の元へとやってきた。



「これ、シュンのベッドの横の棚の引き出しに入ってあった。ハルちゃんに返しておいてって置き手紙と一緒に」



そう言って差し出されたのは、私が前に隣町まで探しに行ったあの本だった。



「これ…」


「ハルちゃん、これ探し回ってくれたんだね」


「えっ!?」


「この本をハルちゃんに渡された日にあの子、“どこの本屋まで探しに行ったんだろう”って言ってたよ」




…なんだ、


図書館で見つけたっていうあの嘘はとっくにバレてたんだ…






私はその本を自分の部屋の本棚の一番手前に並べた。


いつかは読んでみたいと思いつつも、なかなか読む気にはなれなかった。














それから数年後、



私はやっと覚悟が決まりその本を手に取った。




思った以上に時間がかかってしまった。




覚悟が決まったとは言っても、実際のところ私は彼の死をまだまだ受け入れられたわけじゃない。



あの病院に通った日々は今でもつい最近のように鮮明に思い出せるし、彼の声とか笑顔とか…冗談を言う姿だって、今でもはっきりと私の記憶の中で生きている。





それでも彼の生を証明できるものがもう私にはこれしかなくて、


生きていた証を確かめるように私はそれに手を伸ばした。




本を読むのは得意じゃないけれどこれだけは何が何でも最後まで読まなくてはと思いその本の表紙を開いた私だったけれど、



その瞬間そこに現れた一枚の紙に、私の思考は一瞬で彼と過ごす最後の時間となったあの夜に戻されてしまった。





「っ、…」




本を読む余裕なんて、もう一切なくなった。




きっと彼は全てに気が付いていた。



この本が図書館のものなんかじゃないことはもちろん、


私が部活なんてしていないことも、


もう自分に残された時間は残り少ないことも、



そして私の本当に望むものがお嫁さんなんかじゃないことも。




私は将来なんて程遠いものは何もいらなかった。


ただ、すぐ目の前の彼との時間が欲しかった。

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