第68話
「ねぇ、ユキィっ…」
何度目かも分からない私の名前を呼ぶ声に、ユキは変わらず「うん?」と優しく返事をした。
「…抱きしめて……」
この保健室は相変わらず薄暗くて、聞こえるのは大雨の音のみだった。
私の消えそうなその言葉に、ユキの私の頭を拭く手が止まった。
「お願いっ…抱きしめてっ…」
「……」
俯いたまま懇願するようにもう一度そう言った私に、ユキはやっぱり固まったままだったけれどしばらくして小さな声が聞こえてきた。
「———…しないよ」
それはどこか泣きそうな声をしていた気がした。
「俺ナエちゃんのこと好きだから…すげぇ好きだから。正直そんなこと言われて揺らがないわけないけど…でもマジだからこそそれはできない」
「……」
「だって今ナエちゃんを抱きしめたら、俺ってただのショウジ先輩の代わりじゃん。そんなの死んでも嫌だから」
私は、今会えたのがユキで良かったと心から思った。
「うん…ありがとう、ユキ、ごめんね…」
「でもマジで惜しいことしてるって思ってることは分かっといてね」
「うん…」
それからユキは、また私の頭を拭く手を優しく動かし始めた。
———…それから約三ヶ月が経った。
あの日以来、ユキは私の元へ来なくなった。
あの日保健室でユキは私のことをすごく好きだと言ってくれたけれど、実際のところ私の行動の一部始終に呆れてしまったんだと思う。
誰でもいいのか、コイツはと思われてしまったのかもしれない。
もちろんそうじゃないけれど、あの日“抱きしめて”と言った私を思えばそれも強くは否定できない。
それはそうかもしれないという意味ではなく、私の否定に説得力はないだろうという意味だ。
ユキだからそう言ったんだよなんて言ったところで、きっとショウジ先輩に伝わったように私の言葉は軽くなってしまう気がした。
私はというと、もうすっかり元気を取り戻していた。
ショウジ先輩と会いたくなかった私は、あれからすぐに他の子に委員を代わってもらった。
だからもうショウジ先輩との接点は何も無くなって、会うことがなくなればショウジ先輩との一連のことを思い出してももうすぐに辛くはなくなった。
ただ、やっぱりユキが来てくれないことがすごく寂しかった。
他人が聞けば“はいはい、また次の男のことね”なんて言われてしまうかもしれないけれど、誰に何を言われたってこの寂しさはどうしようもない。
とにかく私はユキがいなくて寂しいという、その想いだけが私の中にずっとあった。
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