第50話

それからはひたすら時間だけが過ぎた。




俺は今、数時間前まで騒がしかったはずの静かな教室にいる。



ちょうど真ん中あたりの列の前から三番目の机に軽く腰掛けて正面を見つめる俺は、なぜ今ここにいるのかが自分でもよく分かっていない。




「ヒナノから俺を呼び出すとか初めてじゃない?」




目の前には見慣れ過ぎてもう今更何を思うこともないような古びた教壇に黒板。


胸にはリボンがあって右手には卒業証書が入った筒を持っていて、俺はそれで右肩をトントンと叩いていた。



「その呼び方やめてって何度も言ったのに」


俺を呼び出した彼女は教壇を挟んだ向こう側で、チョークで派手に飾られた黒板を丁寧に消していた。



「卒業式の日に呼び出されるとか期待しちゃうんですけど」


「…今更だけど大学合格おめでとう」


「あー、そういう話ね?」


「大学は楽しいだろうけどフラフラ遊んでたら四年なんてあっという間だよ。いろいろ頑張ってね」


「あー、はいはい。了解でーす」


俺はわざと聞き流すような反応をした。


わざわざ呼び出しといてそれかよ。


てか黒板を消すのははたして彼女の役目なんだろうか。


こんな日に、そんなことまで誰かに頼まれたんだとすればなんかもう呆れて何も言えねぇわ。


頼む方も頼む方だし、引き受ける方も引き受ける方だ。



こんなの各クラスの担任があとから消せばいいだけの話だろ。



黒板を綺麗に消し終えた彼女は、黒板消しを置いたのにこちらに背を向けたままだった。





「…好きって何度も言ってくれたね」


「あー…何十回?何百回?その度に適当にスルーされたけどね」


「……」


「てかさ、俺的にその思い出話に花咲かせんのはまだ辛いんだけど」



過去だと割り切れていないことを、俺はどうやって平気な顔で話せばいいのか。


そんなことをしている今だって、彼女は俺の知らないところで痛い思いをしているというのに。




“そのままにして、すぐにその場を立ち去りましょう”




今考えてみてもクソだと思う。


ヒナドリはそれでいいかもしれない。


でも彼女はやっぱりヒナドリなんかじゃない。



ない———…よな…?




「…俺をここへ呼んだ本題に入ってくんないかな」


「……」


彼女のことを見ていると、何もできなかった自分を殺したくなる。


それが現在進行形だから尚更辛い。




「…もう私のこと好きじゃない?」


「…何言わせようとしてんの」


「正直な気持ちを教えてほしい…嘘はつかないって言ったよね」


「俺に聞くならまずは自分から言えば」







なぁ、ヒナドリ、


もしお前が本当に俺に助けを求めていないのだとするならば、


お前はなんで俺の前に落ちてきたんだよ?







「———…好きです」



彼女の声はとても小さく、


なのにとても力強かった。

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