第48話

「…これやったの、前に言ってた男でしょ」


「っ、見ないでっ!!」


冷静な俺とは対照的に、彼女は泣き叫ぶような声を上げながら俺の手からその手首を引き抜くと必死に俺が捲り上げた袖を下ろしていた。



左手で右手首を裾ごと掴み俯く彼女の両手は震えていた。



そんなに怯えるくらいなら、どうして別れないんだよ。


なんで好きでいられるんだよ。



「…本当は自分でも分かってるくせに」



彼女は泣いているのかずっと何も言わずに俯いたままだった。


よく見れば肩も少し震えていた。



それは俺がそうさせたのか、その怪我を負わせたその男のせいなのか。


後者であって欲しいと願いたい。



「その男クソじゃん、…さっさと別れなよ」



じゃなきゃさ、俺どうすりゃいいの?


好きな女が彼氏からそういうことされてんの知って、でも俺の出る幕じゃないとなれば俺にできることなんか何もなくない?



「てか俺ってそいつがいるせいでいつもフラれてきたんだよな?」


「……」


「俺がそんなクソ男より下とかウケんだけど」


自嘲的な笑いをこぼしてそう言った俺に、彼女は俯いたままゆっくり口を開いた。



「…上とか下とかじゃないよ」


「は?」


「別れる気はないからそばにいるの」


そう言って顔を上げた彼女は泣いてなんていなかった。


ただ、やっぱり困ったような顔をしていた。



それが好きな男の話をしてる顔かよ。



「…だからそれが俺より上だって話なんだけど」



俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。


彼女は依然困った顔で俺を見ながらまた黙った。




「…黙るとかウザっ」


俺が思わずそう言って彼女と向かい合っていた体を下の階の方へ向けると、



「…あの張り紙のこと忘れたの?」


彼女はさっきよりもしっかりとした口調でそう言った。


「何の話?」


顔だけを彼女に向けてそう聞けば、彼女は依然左手で右手首を強く掴んだまま真面目な顔で俺をしっかりと見ていた。


「ヒナドリの張り紙だよ」


「……」


「“そのままにして、すぐにその場を立ち去りましょう”」



何言ってんだ、コイツ…

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