第3話

私の心が変わったのは、二年前の四月。

春の国のお祭りが行われた、四季の国々の国王とその家族がこのお城に集まったとき。

お祭りを楽しむ春の国の人たちの笑顔を見ながら、お城の中で円になって、料理人の作ったご飯を食べたあの日。

「お母様、ちょっとだけ見に行ってもいい?」

生まれてから一度も、私はお城の外に出たことがなかった。

今日みたいに他の国の人と交流するのも、生まれて初めてだった。

「だめよ。こういう日に外に出るのは危ないって、いつも言っているでしょう」

高校生になっても変わらず、お母様は私を外には出してくれそうもなかった。

「では、私が一緒について行ってはいけないでしょうか。夏の国の今後の成長のヒントをいただきに行きたいのです。つきましては、春の国をよく知る香水様に案内をお願いしたいのですが……」

そうお母様に話し始めたのは、夏の国の時期国王の蒼様。

爽やかな青色が、ピンクや黄色ばかりのこの国には、まるで晴天の青空が歩いているかのようによく映えている。

「……一時間で戻りなさいよ。その代わり、香水も国のために勉強してくること」

渋々、嫌そうな顔をしながらも、私は生まれて初めてのお祭りに、お城を出る前から舞い上がってしまいそうなほど楽しくて、湧き出てくるワクワクが止まらなかった。

「春の国のお祭りは温かいですね」

そうなのか。知らなかった。

「国民の皆様、温かい人が多いからかもしれないですね。夏の国のお祭りはどんな感じなんですか?」

毎年夏も秋も、もちろん冬も、お母様とお父様だけで向かわれてしまうから、窓越しに見る雰囲気さえも、私の目には入ったことがない。

「屋台で食べ物を買って食べたり、一年に一度の夜の空に上がる花火を眺めたりするのが夏の国のお祭りです。香水様は来たこと、ないですよね」

不思議そうに言いながら、この国でしか食べられていないと言われている桜餅を、興味津々な様子で眺めていた。

「蒼様は、他の国も行ったことがあるんですか?」

桜餅を買って嬉しそうに笑う彼は、男の人だからきっとどこへでも行けるんだろうな。

「蒼でいいですよ。同い年でしょう?」

彼はふはっと笑って、お母様から許されることのないような人の呼び方を、そのほうがいい、と小さく呟きながら、返事を求めるようにこちらを向いた。

「じゃあ、せめて蒼さんって、呼んでもいいですか?私のことは、香水でいいので」

「では、香水さん」

「……蒼さん」

人の名前を呼ぶのにこんなにもドキドキするのかと、今まで感じたことのない、自分でもよく分からない心の声が聞こえてきた。

「行こう!香水さん!せっかくのお祭り、しっかり楽しまないともったいないですよ」

そう言って、彼が私に向かって手を伸ばした。

このタイミングで挨拶ついでの握手を交わすのが夏の国流なのかな。

でもでも、握手にしては手のひらが上に向きすぎている気もする。

「すみません。いきなり手を繋ごうだなんて、調子に乗りすぎました」

逃げるように引っ込めた手。

手を繋ぐって、なに?なんでそんなに申し訳なさそうな顔をしているの?

「あの、蒼さん。手を繋ぐって、なんですか?」

点と線をつなげたりするのは分からなくもないけど、手を繋ぐというのはよく分からなかった。星にお願いごとをするときに、自分の手を合わせて、指を絡めることかと思ったけど、相手の手が差し出されるところを見ると違うみたいだ。

「え、小さい頃、絵本とかで読みませんでしたか?」

彼は少し顔を歪ませて、不思議そうに言った。

「はい。私の読んでいた本には、手を繋ぐなんて言葉は出てきていないです」

この国のことに関することの中に、そんな言葉はなかった。はず。

「そうなんですね。じゃあ、行きましょう」

彼は、私の手を取った。お母様とは違う、骨ばった手に優しく手を掴まれて歩く道は、なんだかすごく、希望に満ち溢れているような気がした。

「夏の国の景色も見てみたいです」

落ち着いた場所に座って、ついこぼれてしまった本音は、もうなかったことにはできなかった。

繋いでいる方の手に、少しだけ力が入った。

「今度、写真を送りましょうか?」

蒼さんからの提案に、思わず首を縦に振りそうになったのを必死でこらえた。

そんなことをしたら怒られると分かっていた。

何度も他の国から送られてきた私宛てのポストカードを、お母様がこっそり怒りながら破いているのを知っているから。

「私に手紙は、きっと届きません。いつかこの命が終わったら、次は夏の国に生まれられるように何度も何度も願いながら、空に旅立とうと思います」

そしたらいつか、彼の隣で笑っていたいと思ったのは、声にできなかった。

もうすぐ口から出そうというところで、喉の奥へ引っ込んでしまった。

言葉もなく、でも確実に流れるこの時間がもう少し続いてほしいと、繋がれたままの心地よい手の温もりを心に感じながら、まだ太陽の光に負けて見えない星にこっそり願った。

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