第14話

穏やかに緩やかに、日々は過ぎていく。

 それからも、特別に何かをしたわけではない。ただポロを眺めながら子供について話したり、ソウの作る料理を手伝ってみたり、並んで散歩をしたり、何をして過ごしたのかと問われれば、特になにも、と答える他ない。

 ソウは時折何かを考えるようにぼんやりとしていたが、そんなソウの横顔を、レイラはただ眺める。それだけの事が幸せで、レイラはもう、自身が生き残るための策を模索する事を完全にやめた。それを探す事でソウに気付かれる事を恐れたのが一つ、ソウとの時間を一秒足りとも潰したくなかったのが一つ、思い残す事がないのが、一つ。

 ソウは、レイラが手を握ると、それを決して自分から離す事はしなかった。レイラが眠りに落ちるまで、ずっと握っていてくれる。朝起きると、既に目を覚ましているソウが、やっと起きたかと言わんばかりに苦く笑って、おはよう、と言ってくれる。レイラが起きるのを、手を握って待っていてくれる。

 神は最後に、これほどまでの幸福をレイラに与えた。ソウがいなくなったら、その瞬間に眠るように死なせて欲しい。それでレイラは、十分に幸せだ。

 歴々の当主が死んでいった、三ヶ月という時間。レイラはなんとか、今日も生き延びた。過去の当主が残した最短記録に間もなく追いつくレイラは、本当にもう、いつ死んでもおかしくないところに足を突っ込んだ状態だ。なんとかソウが帰るまでと願い続け、いよいよ明日、ソウはこの村を出ていく。

 実感はない。明日ソウがいなくなる。だが、それと同時にレイラは死ぬ。ソウを失った瞬間に、死ぬ。漠然とそんな予感がある。否、予感ではなく、希望だ。

 死ぬ事はもう、怖くなどなかった。子供の顔を見られなかったのが唯一の心残りであるが、きっとソウによく似ている。生きていてくれるなら、レイラの血を後世に残してくれるならそれでいい。

 レイラはソウの作ってくれた食事を噛み締めながら、彼の食べる姿から目を離さない。目でソウを、鼻で彼の香りを、口で彼の料理を、耳で彼の声を、指先から彼の体温を、使える五感をフル稼働して、ソウを体に焼き付ける。

「レイラ、そんなに見られていたのでは食べにくくて仕方がありません」

「今に始まった事じゃないでしょ」

 そうですけど、とソウは肩を竦めながら、口を動かす。ポロを抱えて戻ってきた時は窶れてしまっていたが、すっかり元の彼に戻った。初めて会った時のまま、清らかで美しい。

「レイラは、この村で伴侶を探さなかったんですか?」

「なに、急に?」

「いえ。前から思っていたのですけど。レイラに熱い視線を送る男性も、ちらほらいるようですから」

「ああ。あたしもそれなりに人気はあるのよ」

「そのようですね」

 村の男にも、何人かから求婚を受けた事がある。

「でも、当主になってからは一人だけね」

「なぜ?」

 子供を産んだら死ぬからだ、とは言えないが、実際それが要因であると思う。レイラを娶ったところで子供は望めず、それを手にする事はすなわち、レイラを失う事だからだ。逆に、全てを承知で求婚をしてきた一人は、猛者と言わざるを得ない。

「さあ。単純に怖いんじゃないかしら?当主は力も強くなるし」

「レイラは直ぐに八つ当たりを始めますからね」

「そんなことは、まあ、ある」

 レイラは苦く笑う。だが、突然どうしてそんな事を聞くのだろう。

「その一人というのは、もしかするとまだレイラに未練があるのでは?」

「さあ、どうかしら。でも、それがなに?」

 ソウは空を見つめながら、一度黙り込む。ソウがこの手の表情を見せる時は、彼の中で何か大きな決断をする時だ。名を教えてくれた時も、こんな真剣な顔をしていた。

「気を、悪くしないで欲しいんですが」

「うん」

「その彼と、枕を共にする事は出来ないですか?」

「・・・はあ?」

「まあ、そうですよね」

 レイラは驚き、ソウはその反応を当たり前ととって直ぐに肩を竦めた。

「レイラが怒るのも当然ですけど、一応考えがあって。聞いてもらえます?」

「怒ってなんてないわ。ただただ呆れてるのよ。貴方以外の男になんて抱かれるつもりはないのに、それがまだ伝わっていなかったなんて、流石のあたしも貴方の鈍さに呆れるわ」

「いえ、伝わってはいますけど。でも敢えて、言ってます」

「それが分かってて、それでも敢えて他の男に抱かれてみろって?明日いなくなるからって、憐れみのつもりなの?他の男を愛して、出来れば自分の事は忘れてくれって事?」

 レイラが立ち上がると、ソウは座ったまま体ごとこちらに向き直る。

「そんなつもりは全くありません。ですが、ここ数日ずっと考えていましたが、私に貴女は抱けません。しかし、万に一つの可能性があるならば、それを試さない手もないと思うのです」

「意味が分からないわ、はっきり言って頂戴!一体何の話!?」

 レイラは泣けてくる自分を鼓舞するように、叫ぶ。こんなにも愛している男から、他の男を紹介されるなんて、こんな苦しみはない。

 レイラ、とソウは優しく言って、レイラの手を両手で握り、真っ直ぐにこちらを見る。その目に射抜かれると、レイラは立っていられなくなる。足が、震える。

「なんなの、ソウ。あまりにも酷い仕打ちだわ」

「すみません。言うべきか黙って去るべきか、随分悩みました。でも、それでも可能性に気づいてしまったからには、やはり言うべきかと思って」

 そっと、レイラの涙を掬う指は優しく、少し困ったような顔が愛おしい。

「なんの、可能性なの」

「貴女が、助かる可能性です」

 レイラは目を見開く。ぽたぽたと、溜まった涙が続いて落ちて、涙が引っ込むと同時に息苦しくなる。

「・・・え?」

「貴女が死なずに済む方法ですよ、レイラ」

 すっと、背筋が寒くなる。やはり、あの時感じたレイラの勘は間違ってはいなかった。彼は気付いていたのだ。レイラが死ぬ事を、ソウは知っているのだ。

「どうして」

「すみません。賂族の当主から聞いて、知ったんです。当主は、子を産むと長く生きられないそうですね」

 賂族の当主。では、ここに戻ってきた時にはもう、知っていたのだ。

「なん、だ。知ってたの」

 レイラは乾いた笑みを浮かべる。知らないでいて欲しかった。

「だからって、ソウがこの子を引き取るだなんて言わないで。貴方の重荷には、なりたくないのよ」

「ええ、貴女はそう思っているのだろうと、思っていました。だから何も知らないふりをして、そのまま伽羅を出て行くか迷っていたんです。思えば貴女は、一度も自分で子供を育てるとは言わなかった。伽羅で育てる、と、よく思い返してみると、いつもそんな風に言っていましたね。気付いてあげられなくて、申し訳なかったと思っています。ずっと、一人で苦しかったのでしょうね」

「苦しくなど、ないわよ。貴方がいない苦しみに比べたら。言ったでしょう?命を賭けて、貴方への愛を証明すると。自分で選んだ死なのよ。貴方は何も責任を感じる事はないし、感じて欲しくないわ」

 ソウはレイラの手を握ったまま、レイラを椅子に座らせる。向かい合って座ると、ソウの睫毛の数までも数えられそうだった。

「ずっと考えていたんです。貴女が助かるかも知れない可能性に直ぐに気付きながら、それを実行するかどうかを。そして、私には出来ないと思った。だから、他の男を勧めた」

「助かるかも知れない、可能性?他の男に抱かれる事が?」

「そうです。私の仮説はこうです、レイラ。伽羅の当主は、卵を司る。伽羅の個体数が著しく減った時に、伽羅を守るように当主は現れましたね?例えば、当主という存在を生んだ者を天としましょう。天は、伽羅を守るために当主をこの世に送り出されましたが、それと同時に弊害も起こりました。何か分かりますか?」

「弊害ですって?何もないわ。当主の出現で伽羅の人権が築かれ、尊厳が守られた。何も悪いことなんてない」

「いいえ、あります。当主が現れるまでは、卵が凍結される事はありませんでした。それ即ち、男女が交われば交わるだけ、次々と子供が出来た。違いますか?」

「まあ、それはそうだけど。それがなに?」

 レイラは首を傾げる。ソウの言いたい事が、まだ分からない。

「個体数の維持ですよ、レイラ。伽羅は次々と子供を産み、この世界の人口数を調整してきたのです。だが、卵を凍結する事によって、伽羅が産む子供の数は著しく減少したはずです。それが例え権力者の横暴の末に生まされた子であろうと、そうでなかろうと、伽羅が産み落としてきた子供の数が圧倒的に減った。レイラは私を襲った時、卵を凍結する事も出来た、とそう言いましたね。すなわち、卵を凍結したまま、子供を作らずに枕を重ねる回数が、伽羅全体で増えたのではありませんか?伽羅自体が、少子化になってはいませんか?」

 増えた。レイラは頭の中で即答する。ケイが以前、産むもの産んで伽羅に貢献してるでしょう、と叫んだ事がある。深くは考えなかったがそれは確かに真実で、昨今では伴侶を得て嫁に行くまで、卵を凍結しておいて欲しいという者が大半だ。

 レイラの無言を肯定ととったのか、ソウは続ける。

「性欲のままに事をなせば生まれていたはずのものが、当主の出現で生まれなくなったのです。そうして、この世界の均衡は破られた。伽羅の尊厳は手に入ったが、代わりに世界は、多くの生まれるはずだった子供を失い、個体数が大きく変動し始めてしまった。それを世界的にみると、弊害と捉える事が出来ます」

「そんな事を言ったって、それじゃあ伽羅は尊厳を取り戻す事など出来なかったわ。それとも、伽羅の誇りなど二の次で、やはり世界のために犯され続けていれば良かったというの?」

「いいえ、そうではありません。伽羅の尊厳、それを否定はしませんが、事実として、伽羅の産む子供が減った。今はその事が重要なんです。産む子供が犯されて出来た子か、愛する伴侶の子供か、レイラの命に関わる問題はそこではないんです。伽羅が子供を産まなくなった事に警鐘を鳴らしている、それこそが当主の死なのではないですか?」

 レイラは、ソウの言葉を反芻する。

 レイラが死ぬのは、当主が死ぬのは、伽羅が子供を産まなくなったから?

「警告なのですよ、おそらく。子供を産んだら死ぬ、というのは、間違いなんです。そうではなくて、私はこう考える。子供を産まなければ、死ぬのです」

 ぞっとする。ソウの言葉の真意が分からないのに、的を射られたような気がした。どきん、と動悸が早くなる。

「伽羅が子供を産まなければ、世界はいずれ終わる。それを教えるために、当主が子供を産むように天は試練を授けた。今までの当主も、何故か子供を産んでいますね。卵を凍結出来るにも関わらず、敢えて子供を産んでいます。一人目や二人目の当主ならまだしも、当主は子供を産むと死ぬとされているにも関わらず、先代も、その前も、そしてレイラ、貴女も敢えて、子供を産んだ」

 それは、貴方が現れたから。

 ソウが現れた時に思った。この人の子供が欲しい、と。だから、卵を凍結するなどと言うことは、思いついたがしなかった。する気が起こらなかった。

「天は当主に、子供を産ませる事にしたのです。伽羅族が産まなくなった警告の意味を兼ねて、どんどん子供を産めと、そういうつもりで天は、当主に三ヶ月という時間を与えた。産婆さんに尋ねてみたのですが、子供を産むとしばらく、女性は妊娠出来ないそうですね?そして再び妊娠出来るようになるのが、だいたい三ヶ月後だとか」

 そう、三ヶ月だ。そのくらいで、再び子供を望めるようになる。

 レイラは言葉がない。頭の中でだけ、返事をする。

 ソウは真っ直ぐに、レイラを見ている。

「子を産んで三ヶ月後に死ぬのは、天の怒りなのですよ。子供を産まないのなら、死んでしまえという、猛烈な怒り。尊厳を与えようと当主を遣わしたにも関わらず、当主はその力を、尊厳を守るためだけに使わなかった。結果、人という個体数が減っている。天は、怒っているのですよ、レイラ。こういった例は、実は他の種族にもあります。突然大きな力を得る種族や、爆発的な力を突然手に入れた者などにその傾向は顕著なのですが、必ずといっていいほど身代わりの犠牲がある。天は、力だけを与えない。何かと引き換えにする事で、その力が暴発しないように均衡を保とうとする。伽羅の当主が死ぬと聞いた時、そんな他の種族の事を思い出しました。レイラ。伽羅の当主は、世界の人という種の均衡を保つために、与えられた力を乱用しないよう、当主の死という形の警告的犠牲を強いられている。ですが、もしも本当にそうだとするならば、当主が助かる可能性も、そこにあるんです」

 レイラは言葉を発さない。ただ黙って、ソウを見ている。真剣に、レイラの命のためにソウが考えてくれた可能性を語る唇を、じっと見ている。彼はずっと、これを考えていてくれたのだ。レイラのために。

「子供を産むんですよ、レイラ。天は何故三ヶ月という時間を与えるのか。それは、もう一人子供を産め、とそういうことなのではないですか?私にはどうにも、天が子を増やすようにと忠告しているように感じられてならないのです。だから中途半端に、三ヶ月の猶予が与えられる。それまでは、産みたくとも産めませんから。卵を凍結するでなく、子供を欲しいと思わせる。子を一人成せば、それからは連続して子供を産み続ける事を天は望んでいるのです。人という個体数を戻すために、もっと子を産むように、当主に気付いて欲しいのではないかと、私はそう思うのです」

 しん、と辺りが静まり返る。

 ソウが言葉を切ると、後には沈黙だけが残った。レイラは言葉を発さない。ソウも、発さない。ただ黙って、レイラの表情を窺い、レイラに話すつもりがないと分かると、小さく一つ息をついた。

 えっと、とソウは言葉を探してから、再び重い口を開いた。

「ゆくゆくは、村全体において、意味もなく卵を凍結している現状を打破する必要があるのかとは思いますが、確証はありません。レイラが二人目の子供を産んだからといって、助かる保証もありません。私はそれを、見守るだけの時間がありませんから。あくまで可能性の話ですし、強制は出来ません。今妊娠しても、近々命を失うかも知れませんし、延命できたとしても、また九ヶ月しか猶予はないのかも知れません。産み続ける事にも限度があるでしょうし、いつ天に赦されるのかも分かりませんし、何もかも私の憶測でしかない。ですが、伽羅の卵の在り方を真剣に考えて、後世に繋ぐ価値はあるのではないかと思います。私は、推測を述べることしか出来ない。無責任は重々承知ですが、それでも私は、敢えて言います。長生きして下さい、レイラ。生きて、あの子を母親の貴女に育てて欲しい。そのための万に一つの可能性を、私は残酷にも貴女に申し上げます。他の男の、子を産んでみるのです、レイラ」

 レイラは、目を閉じる。その残酷な言葉を何度も頭の中で反芻し、考える。何度も何度も考えて、行き着く答えは同じだった。

「貴方が、抱いてはくれないのね」

 聞かれると、予想していたのだろう。ソウは曇った顔を晒す事はせず、明確に言う。

「ええ。何度も考えましたが、それはやはり、難しい」

「なぜ、と聞いても?」

「一つには、やはり置いていく子供は作れないということ。既に一人、私には罪の子がいます。これ以上子供は苦しめられない。また一つには、貴女の愛に応えられないのに、抱く事は出来ないということ。最後には、私は貴女と生きてはいけないという事です。レイラを守り、助けてくれる存在が、他にあればと心から願います。貴女には生きていて欲しい。でも、貴女を生かし、これから共に人生を歩み、子を共に育てていくのは、私ではない」

 そうね、とは言葉にならなかった。

 この人は明日、大切な主人のところへ帰ってしまう人なのだから。そんな無責任な事が出来るとは思っていない。だが。

「言うだけ言って、それもとても無責任だわ。責任をとって、抱いてって欲しいものだわ!って、駄々をこねたいところだけど、ソウの気持ちも、今では、分からないわけではない」

 この人は、とても優しく、真面目で、融通がきかないところもある。自分の行動の前に、その後どうなるのかを、きちんと考えて動く人だ。レイラを抱いては、彼には罪悪感しか残るまい。愛してもいない女を抱き、更には育てられない子を残す。そんな事が、出来るはずもない人だ。

「自分は抱けないけど、あたしには生きていて欲しいから他の男に抱かれろっていうのは、ソウの我儘よね?」

「そうですね」

「じゃあ、あたしも我儘を言うわ。それは出来ない」

 ソウは黙り込む。

「貴方が愛していない女を抱けないのと同じくらい、あたしももう、愛していない男に抱かれる事は、出来ないの」

「死ぬんですよ」

「貴方に触れられないなら、同じことよ」

「生きていれば、また会えるかも知れない。それでも?」

「・・・それを言うのは、ずるいわ。会いに来る気もないくせに」

 酷い男、とレイラが呟くと、ソウは困ったように小さく笑った。

「知らなかったんですか?」

「ずるいし、酷いし、女ったらしだわ!でも仕方ない。好きなものは好きなんだもの。ソウがあたしのために心血注いで考えてくれたことは、分かってる。でも、あたしは出来ない。ソウがいない世界を、ソウじゃない誰かと生きていくなんて!」

「子供のためでも?私はずるくて酷い人間ですから、どんな事でも言いますよ。生きていれば、どんな事だって叶う可能性があるんですよ、レイラ」

 そんな事は分かっている。レイラとて、死なずに済む方法を躍起になって探したが、何も見つからなかった。そのヒントをソウが提示してくれたとはいえ、それは出来ない。レイラは、ソウとまた会いたい一心で生きる術を探した。しかしそれも既に叶った今、本当に思い残すことなどない。他の男に縋ってまで生きたいとは、今のレイラは思わない。

 ソウがいてこその、余生だ。それ以外の余生など、レイラには必要ない。

「そうね、考えてみるわ」

 レイラは言う。思っても、いないくせに。

 レイラの口先だけの言葉を、ソウはどうとったのだろう。本気にしただろうか、嘘だと気付いただろうか。レイラの返答に、ソウは応えなかった。

 ソウは二度とその事には触れず、いつもと同じように、手を繋いで床についた。

 レイラは横にある顔を見つめる。闇が、彼の輪郭を奪って行く。見えなくなっていく。

 この男を今再び襲えば、レイラは生きられるかも知れない。だが、それはもうしない。命と引き換えにしても、もうソウの信用を失う事はしない。同じ失敗をして、それを墓に持っていく気も、ソウの中の最後のレイラの記憶がそれである事も、もはや耐えられない。

 レイラはこの男を命懸けで愛し、子供を残した。もう、それでいいのではないかという一方で、心の片隅に小さく、僅かにあるシコリの正体は分かっている。

 子供をこの手で育て、またソウに会える機会があるかも知れない。そんな幸せもレイラの人生にあっていいのかも知れないと、思わないではない。だがそれは、計り知れない人という種に与えられた、ただの欲望だ。尽きることのない、どんなに幸せでも次々と沸き起こる、ただの欲。

「ねぇ、ソウ」

「はい」

 レイラは、怠くなって来る体を叱咤する。寝たら、もうソウとの夢は終わりだ。あとは彼を、見送るだけ。

「あたしの事、少しでも愛していた?」

 闇の中から、少しの間の後に愛しい声が聞こえた。

「ええ」

 嘘つき。

 このヒトは、優しい嘘を、残酷につく。

 レイラの頬を伝った涙は、闇に隠れて枕に落ちた。

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