第11話
レイラは食事をしっかり摂れるようになってから、氷国王に面会を求めた。しかし残念ながら氷国王は帰城しておらず、氷国に入る事すら叶わなかった。
レイラは藁にもすがる思いで、事と次第を誰か偉い人に伝えてくれと、漠然とした頼みを門番にした。アドバイスだけでもと訴えるレイラに、とりあえず待ってくれと門番は言ってくれた。
一国一城が目の前にあるのだ。国王でなくとも、優秀な官吏が揃っているのは間違いないはずで、レイラに助言を出来る知識を持った者だっているに違いない。
雛姫は、副官である。副官とは本来、王が国を空ける際にはその全ての責を負う者であるが、ここ氷国においてはその限りではない。誰もやりたがらなかったので、賭けをして負けたのだと雛姫は言っていた。仕方なく副官を名乗ってはいるが、その責務を担っているのが大官長である事は知っている。
大官長には、レイラは会った事がなかった。氷国王と雛姫、あとは門番くらいにしか面識はなく、知識欲のないレイラとしては、接触する機会などそもそも必要がなかった。だが、今となっては後悔している。紹介を頼めば、おそらく面識を持つ事が叶っていただろうに。予め面識があれば、今この瞬間、大官長に繋いで貰えたかもしれないと思うと悔やまれてならないが、今更それを言っても仕方がない。城という場所には、優れた者は他にも沢山いるのだろうと期待する。
レイラは門の前でただひたすらに、良い返事がある事を祈りながら待つ。
小一時間は待たされ、そしてようやく、門番に動きがあった。窓口から、ワーロンが差し出されたのである。
ワーロン、というのは、対になるワーロンを持つ者とコンタクトがとれる鉱物であり、非常に珍しいものである。世界中に数えるほどしかないとされ、氷の内と外を繋ぐのにもってこいのアイテムである。
それは、位の高い官吏が外の者と話す時に使用され、遠話鉱石と呼ばれる事もある。重要な場面以外の伝達は全て、担当の伽羅の男が行なっている。獣に転変し、空を駆けて書簡を最速で届けるのだ。大概はこれで事足りる為、伽羅の男はせくせくと職務を全うし、小金を稼いでくれている。
レイラはワーロンを見たことこそあったが、手にするのはこれが初めてだ。レイラ如きが触れられる日が来ようとは思ってもみなかった。それ程までには、使用する場面と人を選ぶ、国の宝に近い。絶対に取り落とせない。首が飛ぶ。
人の頭ほどの穴が、唯一氷国の外と中を繋ぐものであり、門番との会話、小さな物のやりとりしか行えない。そしてワーロンは、片手の平に収まるほどのサイズしかない鉱石であった。
レイラがそれを手に取ると、石から声が聞こえてくる。
『初めまして、伽羅族の当主レイラ様』
声は、そこにいるかのように鮮明に聞こえた。相手が誰かは分からないが、これを使用している時点で、かなり身分は高いと考えて間違いない。声は男のもので、雛姫でないことは確かだ。
「ご連絡、感謝します」
レイラは用件に入りたいのを堪えて、まずは礼を述べた。機嫌を損ねるような礼を欠く行為は、避けなければならない。相手がどの程度の官吏か、まだ分からない。礼はしっかり尽くしておかねばなるまい。
『ざっくりとした事情は聞きましたが、人を探しているとか?』
早速用件を切り出す男に、心の底から感謝する。つまらない世間話などしている場合ではないのだ。
「はい。我が子の父親です。生憎四ヶ月で早産し、その子を助けるために出て行きました。よい産婆に心当たりがあったのか、なにか思い当たる事があって出て行ったはずなんです。なにか、なんでもいいんです。心当たりはおありになりませんか」
『と、言われましても。私は彼ではありませんから』
分かっている。漠然とした事を言っているのは、レイラが一番よく分かっている。だから、藁にもすがる思いで来たのだ。
「ですが、」
『私なら、という意見を申し上げても?』
食い下がろうとしたレイラを遮って、男は言う。
「ぜひ!ぜひ、お願いします!」
レイラは石に向かって頭を下げる。見えているはずはないのだが、頭が自然と落ちて来た。
『出産についても、我が主人は専門家です。医学的知識なら誰にも負けないでしょう。そんな主人が申しますには、異種族の間に出来た子供が生まれにくいのは、二つの血が混じった子供の殻を育てる力が母体にない場合が多いことと、肉体に合う魂がそうそうなく、結果定着がなされないから、だそうです。その両方を補う事が出来れば、異種族の間の子供でも、簡単に生を授ける事が出来るとか』
彼の主人と言うからには、おそらくは氷国王の事だろう。彼は既にこの世で最も長く生きる神とされ、その膨大なる知識は多種族に及ぶと言われている。その彼の言葉なら、聞く価値はある。
口を挟まないレイラに、声は続ける。
『殻をうまく作るためには、母体を通じて、足りない力を補ってやる必要がある。魂の定着がなされない場合には、魂族に力を仰げばいい。と、以前漏らしておりました。どちらも母体で六ヶ月育てる場合の対処法ですが、早産してしまった場合に我々が出来る事も大差はありません。ポロなどで殻を作る力を補い、魂族に助けを請う。当主のご主人がどこまで分かっていたかにもよりますが、もしかすると、魂族に助けを求めに行かれたのでは?』
「可能性はあると思います。頭のいい男ですから。ですが、その魂族に心当たりが全くなくて」
魂族には、二種類いる。光の魂族と、闇の魂族である。光の魂族は、主に産婆などに多く、死者や赤子の魂を司るため、命を預かる種族と言われる。だが、同じ魂族でも、闇の魂族に比べて圧倒的に数が少なく、その多くは御家に抱えられていたり、流浪の身の上である事が多い。レイラも、全くあてがない。
『彼らは一箇所に定住しませんから、なんとも。雷国に多いとは聞きますが。狩猟区を出て雷国へ入ったのか、あるいは賂族を頼った、という可能性もありますね』
ソウは、雷国の出身だ。国元に、魂族の知り合いでもいるのかも知れない。ソウがここを離れて既に十日が近いとなると、獣に襲われるなどのアクシデントがなければ、ぎりぎり雷国に着いていてもおかしくはないが、今にも事切れそうな赤子を連れてそんな距離を移動するだろうか、とも思う。
「その、賂族というのは何者ですか?」
『狩猟区では、少し名のある種族です。対価の代わりに大概の望みは叶えてくれます。人脈も広く、資金も豊富に蓄えているとかで、契約がうまく結べたなら、それこそ魂族を紹介して貰う事も容易いでしょう』
なるほど、そちらの可能性もある。狩猟区に諜報活動に来るソウなら、賂族の存在を知っていてもおかしくはない。
「居場所は、ご存知ですか?」
『正確な場所までは。ですが、隠れている訳ではないはずですから、以前取引した経験があるなら、そう見つけにくいという程でもないはずです。今の賂族の当主はあまり評判が良くないですから、息子の方を頼ったかも知れません。息子の方なら、確か雷国の正道より南に今は居を構えていると聞いた事が』
狩猟区を無事に抜けるために国が作った道を、正道という。全部で三本あり、紅国と水国を繋ぐ道が二本、雷国と水国を繋ぐ道が一本ある。ここから最も近いのは雷国の正道で、レイラの足なら五日程で着く。その先の紅国の正道までは行ったことがない為、想像のつけようもない。
雷国に帰ったにせよ、賂族に助けを求めたにせよ、ソウが無事でさえあれば、既になんらかのアクションが起きている頃のはずだ。子供は、助かるだろうか。距離的な事を思えば、賂とやらに軍配が上がるような気もする。
『私の私見を申し上げても?』
「もちろん、是非お願いします」
レイラははっと顔をあげる。考え込んでしまっていた。
『貴女は、もう余命幾許もない。ご主人を信じて、村で待たれる方が良いのではないかと。他にも、当主としてなすべき事もあるでしょう。ご主人の行った先が分かるならまだしも、どこへ行ったか分からない以上、深追いはせぬが良い。入れ違いになっても、困るでしょう。お気持ちは察しますが、ここは、伽羅のために時間を使われるべきではないでしょうか』
「・・・はい」
レイラは項垂れる。次の当主に誰がなるかは、分からない。その為、ケイへの仕事の引き継ぎは全てしておかなければならない。氷国王に対しても、暇を請わねばならないし、当主が変わる事も、関係各所に伝達しなければ。すべき事は山のようにあるのに、レイラに残された時間はもう、僅かしかない。
ソウ達の無事を祈るしか、ない。
この男の言う通り、結局ソウの足取りは、想像することしか出来ない。助けに行きたくとも、レイラにはその時間もないのだ。
『前の当主は、愛する人に看取られたと聞いています。貴女も、そうなさるのですか』
「いいえ、私は何も言わずに彼を送り出すつもりです。ですが、彼が子供を連れて戻ってきてくれると信じるなら、間に合わないかも知れませんね。帰ってくれた時には、もう」
自分の命はないかも知れない。そう続ける事が出来なかったが、声の主は言わずともそれを承知しているはずだ。
『間に合う事を、お祈りしています。貴女がもう一度、彼とその子に会えますように』
「ありがとうございます。貴方とはこれが最初で最後でしょうに、とんだご面倒をかけました」
そう、この声の主とも、おそらくもう話す事はない。氷国王に最後に目通りしたいものだが、彼が近々帰城するかどうかすら分からない。氷国王には流浪癖があり、何ヶ月も戻って来ない事もある。実質国を回しているのは、何度も言うが、別の人間だ。
『忙しさにかまけて、貴女に会う機会を損ねていた事を、残念に思います。是非一度、私と話す時間も作って下さい』
「喜んで」
素直に、嬉しい言葉だった。死んでいく者にかけるべき言葉など、ない。死ぬと分かっている者に、わざわざ会いたいと言ってくれる人などそういないだろう。億劫なだけだ。憂鬱な気分になるだけだ。どうせ哀れむ事しか出来ないのに、あえて会いたいとは思わないものだ。だから、素直に嬉しかった。
『申し遅れました。私はこの国の大官長を任されております、水砂と申します』
「大官長様、ですか!?」
大官長は、王、副官に次ぐ位である。副官である雛姫が仕事は出来るだけしないと豪語し、仕事を丸投げしている、あの。こと氷国においては、全権を預かっているに近しい仕事ぶりだという、あの。
『はい。ご存知の通り、うちの王は仕事をしないもので、暇がなく。ですが、雛姫からお噂はかねがね。是非一度、会ってお話をしてみたかった』
「光栄です」
レイラは口数が少なくなる。偉い人を、とは頼んだが、まさか大官長に直々にお出まし頂けるとは夢にも思わなかった。氷国王は少年で、副官は同系統種族ということもあり気さくな間柄、レイラにとってはこの大官長が、最も恐縮する相手かも知れない。落ち着いた声から想像するのは、二十台から三十台の若い男。
とても優しい声質が、なんとなく大人になったソウはこんな感じの声になるかもしれないと、レイラの胸を過ぎらせた。
ソウがいなくなって、二十日が過ぎた。
レイラはただ無心で、仕事をこなしていた。ソウを探してやると意気込んで氷国まで乗り込んで行った結果としては冴えないが、大官長の言う事もご尤もであった。確証のない事に時間を割くより、すべき事がある。
皆がレイラを気遣い、きっと帰ってくるよ、とそう優しく慰めてくれる。だが、慰められると慰められるほど、悲しくなる。その憐れむような目を見るのが嫌で、レイラは自分の家から一歩も出なくなった。
ただ一人、ケイだけは引き継ぎの関係上毎日側にいた。妻を求めてやってくる者への対応、レイラがしたためる書簡の送付など、レイラが家から出なくて済むよう、その全てを任せている。
ここ何日かは、ケイの顔しか見ていない。だが、気楽である事には間違いない。
当のケイは、かなりストレスが溜まっているのか、口を開けば愚痴ばかり言う。
「本来、次期当主を助ける役割ってのは、数人でするものでしょ?なんであたしだけなわけ?」
「あんただけが、あたしを憐れまないからよ」
「憐れんでる憐れんでる。とっても憐れんでるわ。ほら、よく見てこの目を!だから解放してよ」
全く憐れんでいない。それがレイラには心地良いのだが、ケイにしてみればたまったものではなかろう。彼女にも一応、彼女の生活というものがある。
「そう言わず。あたしはそのうち適当に死ぬんだから、助けてあげよう、願いを叶えてあげよう、くらい思ったらどうなの?」
「死ぬ死ぬ言ってるうちは、人は死なないわよ!」
ケイは、頭から煙を出さんばかりに吠える。今までの例から言えば確実に死ぬのだが、ケイがそう言えばそんな気もしてくるから不思議だ。
二十日が経ったが、ソウの行方は相変わらず知れず、レイラは彼らの事を想っては枕を濡らす日々を過ごしていたが、ケイにそれを悟られぬよう、日中は極力忙しく仕事をこなした。何かをしていなければ、気を抜けばつい、彼らの事を考えてしまう。
「そういえば、どうだったの、氷国の大官長は」
レイラは昨日、氷国大官長に目通りをした。彼は律儀に約束を守り、城へと招待してくれたのだ。
初めて顔を合わせた大官長は、真っ黒な美しい髪を腰まで垂らし、真っ黒な目をしていた。飾り気一つない黒のマント姿で、上から下まで真っ黒な男だった。見た目は三十前後、思った通り優しい眼差しをした男で、ふわりと花のように笑った。髪が黒いせいなのか、落ち着いた雰囲気のせいなのか、妙にソウに重なって、泣けた。
「どうだった、って?」
「奥さんよ。いた?」
「それ聞くのかなり恥ずかしかったわよ」
ケイにせがまれ、レイラは大官長、水砂に女の影があるかどうかを確かめた。彼は笑って答えてくれたが、レイラは顔から火を噴きかけた。
「妻も婚約者もいないそうですよ。あんたが目に留まるわけ、ないけどね」
「一言余計よ。盲点だったわよね。氷国の大官長だなんて、素敵だわ」
レイラは、昨日の事を思い返す。なんの話をするのかと思えば、彼はソウについて色々と質問をした。どんなところが魅力なのか、どんな人物なのか、見た目に始まり性格的な事まで、殆どソウの話をしただけのように記憶している。
何故そんなにソウの事を知りたいのか、と最後に問うと、水砂は微笑んでこう言った。
「彼の話をする事が、貴女にとって一番幸せな事でしょう?」
きょとんとするレイラに、彼は続けた。
「私は貴女の貴重な時間をいただく以上、楽しく帰っていただきたいのです。貴女を楽しませる話の種は、つまらない世間話などではない。今更この氷国の成り立ちや、制度について聞いたところでどうします。初めて会う私と貴女の間に、共通の話題などありません。貴女を幸せな気持ちに出来るのは、ただ、私が貴女の愛する者の話を幸せな気持ちで聞く事だけでしょう」
ケイ、あんたには分不相応。レイラは直ぐにそう思った。あえて、言うことではないが。
実際、ソウの話を聞いてもらう事は楽しかった。彼がいかに優れているかを自慢する事が誇らしく、また、水砂は大変な聞き上手であった。相手が大官長である事などすっかり忘れて、レイラはにやけながら、たっぷり二時間もソウ自慢をした。嫌な顔一つせず、本当に楽しそうに話を聞いてくれた大官長は、最後に我に返って恐縮するレイラに、優しく言った。
「貴女が幸せそうで、私もとても幸せな気持ちをいただきました。そのうち、雛姫にも会ってやって下さい。貴女の事情を聞いて、すっかり凹んでしまって。私にもまた、是非幸せを分けに、お話をしに来て下さい」
その優しい最後の笑顔が、脳裏に焼き付いている。
「あれはいい男だったけど、中々に女泣かせだと思うわ」
「なになに、どう言うことよ?言いなさいよ、もったいぶらないで!」
「あんたにゃ天地がひっくり返っても無理だってことよ!あれは、かなりもてるわよ」
「ずるいわ!レイラばっかりいい男つかまえて」
実際は誰も捕まえてはいないが、レイラは苦く笑うことで話を流そうとする。かなりストレスの溜まっているケイと口喧嘩を始めても、疲れる気しかしない。そしてストレスの原因を作っているのが自分であるという自覚はあるだけに、多少は申し訳ない気持ちもある。多少、だが。
そんなレイラの心を無視して、まだ言い足らないケイが大きく口を開いた瞬間、どん、と戸口で音がした。レイラ宛の書簡が届いたらしく、それが戸口に立てかけられる音に、ケイは仕方なく言葉を飲み込んだ。足取り重く、取りに向かうその背の哀愁と言ったらない。
戸口には、何通も書簡が置いてある。通常ならレイラに直接渡していくのだが、いかんせん今は、レイラが外の世界を遮断しているので、入っては来ない。代わりに戸口に置いていくのを、例にもよってケイが取る羽目になっている。
「ちょっ、当主!きた、きたわよ!」
「なにが」
急ぎで待っていた仕事などあっただろうか。顔を真っ赤にして、転がるように戻ってきたケイの手には、しっかりと書簡が握られている。
「ソウよ!旦那さんから、書簡が来た!生きてるわ!」
レイラは考えるより先に、それを奪い取る。そこには確かに、ソウ、と署名がある。慌てて書いた様子もなく、はっきりとした文字が並ぶ。初めて見たソウの几帳面な文字が、涙で霞んだ。
生きていた。やはり、ソウは生きていた。無事に瑪瑙の獣を交わし、目的地に辿り着いてこの書簡を書いたのだろう。そうでなくては、これほどまでに丁寧な文字は並ばない。
レイラは涙を拭い、文字に目を落とす。子供の事が書かれているかと思うと、中々目が先に進まなかった。助けられなかったと、そう書かれていたらと考えただけで胃が痛くなる。読み進めるのに覚悟が必要だった。
レイラは深呼吸をしてから、素早く目を通し始めた。挨拶などなく、用件だけが端的に書いてあった。
“賂族との取引に成功。子供は無事。契約の奉仕期間一ヶ月”
レイラは、ふっ、と我知らず詰めていた息を吐き出した。生きている。子供も、生きている。
「なに、なんて書いてあるの?どうしたって?」
ケイは書簡を覗き込むが、彼女にはまだ読めない。世界共通文字は、進んで学ばなければ読み書きが難しい。特に種族独自の文字がある場合、学ばない者の方が多い中、レイラは仕事柄どうしても必要で、当主になってから覚えた。
レイラがぽろぽろと涙を流して泣くので、悪い知らせと思ったのか、ケイは困った顔をする。
「あーっと、ほら。ソウは、無事なんでしょ?」
「・・・子供も、無事だって」
「は!?え?ほんと?良かったじゃない!紛らわしいわね、泣かないでよ!」
ケイは、悪態をつきながらも、レイラを強く抱きしめる。レイラも、ケイにしがみ付いて泣いた。
何に礼を言えばいいのか、分からない。感謝する。運命の神に、感謝する。レイラの希望は、二人とも命を拾って、帰ってくる。ここに、帰ってくる。
「賂族と、契約したんだわ。契約は一ヶ月って書いてある。それが残り一ヶ月、という事なら、間に合わないかも知れない。契約自体が一ヶ月なのなら、半月もせずに帰ってくるかも」
ソウはおそらく、水砂が言っていたように、賂族に対価を支払って魂族を紹介されたのだろう。そしてその対価が、なんらかの奉仕活動であり、その期間が一ヶ月。レイラが生きているうちに帰って来られるのかは、分からない。不親切な文面だが、書簡の大きさからして、長く文章には出来なかったのだろう。だから、必要最低限の事だけを箇条書きにして寄越したのだ。心配するレイラを、おそらくは安心させようとして。
ソウと子供が帰ってくる。
レイラの胸に、それは沸き起こって来た。今まで自分がいつ死ぬのか、もうそう遠くないだろう程度にしか興味がなかったが、急にそれを調べたくなった。調べなくてはならなくなった。ソウと子供が帰って来るまでは、死ねなくなった。
「ねぇ。前の当主は、正確には何日で死んだんだったかしら?」
レイラは顔を上げる。そこには、涙目のケイの顔がある。一緒になって泣いてくれる、そんな友が果たしてケイの他にいるだろうか。慌てて涙を拭うケイを見ながら、ソウの言葉を思い出していた。
(確かに、いい友達だわ)
悪態をつき合いながらも、どんな時でも彼女は、いつもレイラの側にある。皆が気を遣って遠ざかる現状でも、このケイだけが文句を言いながらも一緒にいてくれる。
「えっと、どうだったかしら。ちょっと待って」
ケイは立ち上がり、隣の部屋へと消えていく。記録を探しに行ってくれたのだろう。彼女には、この家にあるものの全てを覚えてもらっている。次の当主に、説明するために。
レイラは、書簡を胸に抱く。
思えば、レイラはいつでもソウを待っている。ソウが伽羅の村に来てくれるのを、首を長くして待った。どうして来ないのかと、周りに当たり散らして、物を壊して、苛立ちを募らせながら待った。
あの時とは違う。ソウはレイラと子のために、身を粉にして働いてくれているのだ。帰って来ないのではない。レイラ達のために、帰って来れないのだとちゃんと、分かる。
そんなソウを、今なら待てる。苛立つ事も、物を壊す事もなく、ただもう一度会えると信じて、少しでも長く生きられるように模索しながら、待てる。ソウが帰ってくるまで、必ず生きて、四ヶ月だろうと、半年だろうと必ず待ってやる。
ケイが書簡を携えて戻ってくる。
待っている。だから必ず、帰って来て。
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