第6話

ソウがやってきて、あっという間に二週間が過ぎた。

 氷国を一週間かけてじっくりと見て回った結果、当初の目的は達成されたと、ソウは朗らかに笑っていた。レイラは、雛姫と今一度会う機会があればと期待していたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

 伽羅の村に戻ってから、ソウは村の中も見てみたいと、連日出かける。レイラはソウとひと時も離れたくなくて、行くところ行くところ、求められてもいないのに付いて回る。その度に、村のあちこちから、クスクスと忍び笑う声が聞こえてくるのだが、それを睨みつけて黙らせる。

 自分でも分かっている。幼い少年の後ろをひょこひょこと付いて歩く姿がいかに間抜けか。嫌われたくなくて、小さくなっている自分がいかに情けないか。そんなレイラを見て村人達が笑っているのは重々承知しているが、ソウにこれ以上嫌われない事が何よりもレイラの中で勝る。じろりと睨みをきかせる事くらいしか出来ない。

「あんた、本当に人が変わったよ、当主」

 ケイは面白がって、レイラ達の姿を見つけると大抵付いてくる。おかげで、ソウがケイの名前を覚えてしまった。一番関わって欲しくない悪友だというのに。

「やはりそうですか?私から見ても、随分しおらしくなったと思うのですが」

「まさにそうよ、旦那さん。レイラと言ったら、強獣も同義だったからね!気に入らない事があったら暴れるわ、物壊すわ、もうほんと、ろくなもんじゃない」

「ああ、それなら一番最初に出くわしましたが、あれきりそういえば、見ませんね」

 レイラはげんなりと肩を落とす。ソウはケイと気が合うのか、楽しそうに談笑する姿をよく見る。専ら話題はレイラについてなので、いい加減嫌にもなる。

「猫被ってんのよぉ、男の前だから。旦那さんの事となるともう、何枚かぶりゃ気が済むんだってくらい、そこかしこの猫を借りて、」

「ちょっとケイ、あんたもうあっち行きなさいよ!ソウと二人っきりにしてあげようとか、思わないわけ!?」

「旦那さんが怖がるでしょーが、あんたと二人きりなんて!」

「なにもしないわよ!でしょ、ソウ!」

「え?ええ、まぁ、ここに来てからは、とんでもない事はなにも」

 突然話を振られ、ソウは応じる。

「ほら、みなさい!とっとと帰って体でも鍛えてなさいよ、ケイ!貰い手がないわよ、そう弛んだ体じゃ。あんたの取り柄はその体だけでしょ」

「そういうこと言う!?胸が豊満だとおっしゃい!」

 ケイといると、喧嘩腰になる。ケイとの関係はそれが心地良いのだが、ソウがいると口喧嘩が白熱してしまう。ソウに悪いところを聞かれまいと、つい必死になってしまうが、当然逆効果だ。

 案の定、今日もソウは少し引き気味に喧嘩を眺めている。またやってしまったと、ソウの苦い顔を見ると熱が引いていく。そのせいで、ケイに負けっぱなしになっているようで、少し癪だ。

 ケイは小さくなっていくレイラを見て、やはり可笑しそうに言う。

「やっぱ凄いわ、旦那さん。レイラをここまで変える男がいるとは、本当に思ってもみなかった」

 ソウが苦く笑っている。光栄だとは、思っていそうにない。

「しょうがないでしょ、好きなんだから。あんたも早く男作りなさいよ、ケイ。そんでとっととそっちにいって、ソウと二人にして頂戴」

「はいはい。しょうがないから、二人にしてあげよう、この優しいケイ様が。こんなんだけど、よろしくね、旦那さん」

「旦那では、ないですが」

 このやり取りももう何度もなされているが、ケイは改める気がないようで、いつもソウを旦那さん、と呼ぶ。最近ではソウも、一応違うと言ってはみるものの、それに慣れてきているようでもあった。

「いいお友達ですね、レイラ」

 ケイが行ってしまうと、ソウは不意にそんな事を言った。

「え?誰が?ケイ?」

「ええ。言いたい事を言い合って、それでも次に会う時にはまた笑って言いたい事を言う。いい関係だと思いますけど」

「えー、ああ、まあ、仲が悪いとは言わないけど。悪友だけど、ケイがいないと張り合いがないのも確かだし」

 だが、ソウがいる時くらいは気を遣って欲しい。自分に正直なレイラとて、可愛く見られたいとは思う。猫くらい被らせてくれても罰は当たるまい。今更だと言われれば、ぐうの音も出ないが。

 レイラはそっと手を伸ばし、拒まれない事を確認してからソウの手を取る。手を繋ぐことはソウから許可がおりているものの、そうは言っても鬱陶しいと思われたくない。ずっと握っていたい気持ちと、顰め顔を向けられる恐怖への葛藤の末、どうしても遠慮がちになる。当然、本当はもっとガツガツいきたい。

 死を待つ我が身で我慢も虚しく、二人きりでいると正直なところずっと引っ付いていたい。家にいる時は試すように抱きついてみたりもするのだが、無言のソウの顔を見るのが怖くて、直ぐに身を引く自分が哀れではある。だが、嫌われるよりはいい。笑ってくれて、名を呼んでくれるソウがいるだけで、それでいいのだ。欲求不満ではあるが、そんな自分に負けそうな時にはこう胸に問いかける。二度とあの笑顔が見られなくても良いのか、と。

 ソウは繋いだ手を振り払わないが、握り返してくれる訳でもない。それでもその熱を感じられるだけで、とりあえず満足だ。多くは望まない。

 その日は、族長に会いたいと、ソウが言った。

 族長の仕事は何かと問われれば、伽羅族内における揉め事の処理や、彼らが暮らしやすいように制度を整備したりすること、としか言えない。当主に比べあまり日の目をみる仕事ではないので、あまり意識したことがない。

 レイラとしては、男の間の揉め事の際に出てくる、といった印象だ。当主が生まれる以前でこそ、族長は伽羅のために尽力し、制度の整備や身の振り方を考える大事な役目を負っていたのだが、当主が生まれてからというもの、影が薄い。制度や決まりなどについても既に完成されてきているために、指導者の地位ももはや名前だけとなっている。伽羅に有事ありし時には、また活躍の場があるのかもしれないが、そういう意味では出番などないに越したことはない。

 ソウの中では、族長は当主よりも立場が上だという認識のようで、挨拶もまだだから、と言った。確かに、立場でいえば族長の方が上のはずだが、今の族長はもうかなりの高齢で、レイラの方が顔のたつ立場になってしまっている。次の族長次第ではどうなるか分からないが、このままでは、族長というものがそもそも、いなくなるかもしれないと、最近では思う。

 ソウに会わせて不都合はないが、会って楽しいものでもない。レイラは渋々、族長の家へと足を運んだ。

 伽羅の今の族長は、既に伽羅の中では神格化された存在である。古くは亡き光の神からの助言を受けて、伽羅を今の体制へと導いた、言うなれば今この村に生きる全ての伽羅の命を支えた男である。しかし、今は耳の遠くなってしまったただの翁だ。

 昔話はもう耳にタコなので、レイラなどは近寄らないが、つらい時代を実際に経験した者達は、今も族長を慕っている。

 今日も、数組の年長者達が、族長の家の前でたむろしていた。こうして穏やかに昔話に花を咲かせるのが、彼らの幸せだというのだから、それはそれでいい。しかし、今日は少し気が重い。案の定、レイラではなくソウに目を止めて、たむろ組の一人が言う。

「あれま、これが噂のレイラの婿さんかい」

「婿ではないですが。初めまして、ソウです」

「はい、初めまして。まあまあ、レイラが選んだとは思えない優男だね」

 目を細めてじろじろとソウを見る老婆に、レイラは言う。

「これはあたしのだからね、あんまりジロジロ見ないで頂戴」

「ケチだねぇ、減るモンでもなし。ほらご覧よ、細っこい腕をして。レイラの相手は大変でしょう」

 わいわいとソウに群れてくる年長者達を遮り、レイラは問う。用件を言わなければ、話が全く進まない事は分かっていた。

「族長は?」

「中にいるよ」

「皆さんは、族長とお話はされないんですか?」

 人懐っこく笑うソウは、年長者達をはねのけるでもなく、あえて輪に混ざっていく。面倒な話になるのに、とは思ったが、ソウが話を聞きたいと言うのなら、それもいい。レイラには向けられない愛想の良い顔を眺めているのも一興だ。レイラには厳しい言葉の数々が投げかけられるが、本来愛想の良い男なのだろう。優しい目をして、穏やかに相槌を打っている姿も素敵だ。品がいい。

「あの人はもう歳だから、あまり騒ぎ立てると疲れるらしくてね。気分がのったら出てくるから」

「そうですか。それでは、お邪魔しては申し訳ないですね」

「いんやぁ、レイラの婿なら大歓迎さ。この前も、一目見てみたいと言っておった。ほら、レイラは自分から来ないから」

 冷やかされるのが分かっていて、好んでくるはずもない。レイラが黙っていると、ソウは笑って言う。

「しばらくお世話になるのに、ご挨拶を忘れていた私が悪いんです。すっかり失念していて、申し訳ない」

「・・・あんれまぁ、これはまた、いいとこのお坊ちゃんかい?どこで拾ってきたんだい、レイラ。いい男捕まえて。あんたにゃ勿体ないよ」

「ほんとほんと、まさかレイラに男を見る目があったとはねぇ」

 年寄りというのは、どうしてこうおしゃべりなのだろう。また騒ぎ出す面々に貶され、げんなりしつつも、レイラは溜息一つで苛立ちを払う。年寄り相手に怒鳴っても仕方がない。

 話に巻き込まれないようにと、少し離れた所に腰を下ろしてソウを眺める。どうせレイラは貶されているのであろうから、敢えて耳に注意は払わない。ソウが輪に混ざって笑い、驚き、また笑う。くるくると変わる彼の表情だけを眺めて幸せを噛み締める。

 ソウが村の皆に認められていくことは、とりわけ年長者に褒められるというのはそうは言っても気分が良い。いつも口を開けば愚痴と文句しか出ない彼らが、レイラは男を見る目があると褒めた事を思い出す。ソウを囲んで笑う年寄り達を見ていると、何故か自分まで褒められているような、誇らしい気持ちになった。実際は、違うのだろうが。

 ソウは、出会い方こそレイラが失策を講じたが、基本的にはやはり、人当たりがいい。人好きのする笑顔に、柔らかな物腰、年寄りの話も嫌な顔一つせずに聞いている。よほど聞き上手なのか、話す方にもどんどん力が入っていく。

 レイラも、あんなことさえしなければ、こんな風にソウに接してもらえたのかもしれない。実際のところ、子供を無理やり作らなければ、ソウには二度と会えなかったのであろうから、レイラのとった手段は間違ってはいなかった。それでも、レイラにも敬意を払うソウを、手に入れてみたかったと少しは思う。

「騒々しいな、どうした」

 不意に、家の中から翁が姿を見せた。伽羅の族長である。はっきりと皺が刻み込まれたその顔には、貫禄があるといえばあるが、弱っている姿を見ると、ただの小さな力無き翁だ。

 ソウは、族長に向かって頭を下げる。

「ご挨拶が大変遅くなりました。少し前から村でお世話になっております、ソウと申します」

「ほら、レイラの婿殿」

 添えられた言葉を聞いて、翁はああ、と呟くように言い、深々と頭を下げた。

「ようこそ、ソウ殿。あのレイラが、なにやら失礼をしてしまったようだが、悪い娘ではないのです。どうかご容赦を」

 レイラは面食らい、慌てて噛み付く。

「ちょ、族長が頭を下げることないでしょ。自分でしたことは、自分で謝るわよ」

「あの通り気の強い娘ですけどね、自分に正直な娘なのです。貴方が心底気に入ったから、しでかしてしまったんでしょう。貴方には、本当に申し訳ないが」

「いいえ。もう過ぎたことですから」

 ソウが、族長に頭を上げさせる。レイラは、心の中に言い知れぬ靄がかかるのを感じた。まさか、族長がレイラの事で頭を下げるとは思ってもみなかった。いつも、小言ばかり言う癖に。

「そう言ってもらえて、感謝します。短い間にはなりますが、どうぞレイラをよろしく」

「ええ、こちらこそ」

 しっかりと握手をする族長を見て、レイラはここ最近で初めて、ソウから目を離している自分に気付く。

 レイラは族長の顔を見つめる。ソウとの時間も限られているが、この族長や適当にあしらってきた年長者達とも、もう直ぐ会えなくなるのだ。

「皆、レイラを心配して。愛されているのですね」

 帰り道にそう言ったソウの言葉に、レイラは胸を打たれる。鬱陶しい小言とも、もうあと僅かだ。彼らがレイラを気にかけてくれていることだって、分かっている。だが、それが当たり前になり過ぎていて、今更感謝など、考えたこともない。

 ふと、能力を継いで当主となった時の、族長達の顔を思い出した。物悲しげで、レイラを心配するその顔は、愛に溢れていた。

「そうね」

 ソウの手をとる。

 レイラはこの男を選んだ。自分の命よりも、この男を。族長は、そんなソウを見て笑っていた。

 レイラは幸せなのだと、思ってくれただろうか。心配しなくてもいい。レイラは今、ソウの隣にいられて、幸せなのだから。死にゆく自分が不幸だと、あの人達に思われたくない。

 あなた達が心配し、育んでくれた命が幸せに散る様を、彼らに見せてあげたいと思った。



 ソウは、レイラの家に泊まっている。

 レイラが無茶をしないように、子供を気遣ってくれる。彼は料理もうまく、子供のためにと毎食手作りのものを準備をしてくれた。村に顔を出せば黄色い声が上がり、既にすっかり伽羅に馴染んでいる。

 実際、ソウを狙っている者もいるとかいないとか小耳には挟んでいる。レイラの手前大っぴらな動きはないが、ケイが言うには、すっかり村のアイドルだと聞く。妊婦を苛々させて、この悪友は何がしたいのだろうと思わなくもないが、彼女は真実しか言わない。

 ソウは、レイラの見ていないところで一人で動く時間が増えた。レイラとしては手放したくはないが、そうはいっても当主としての仕事があるうちは、閉じ込めておくのも可哀想だ。そんな仏心で、外出を渋々許したものの、そんな話を聞かされると後悔しかない。手の早い輩が、いつソウに襲いかからないとも限らない。

「自分を棚に上げて、よく言うわね。平気よ。当主の男に手を出したらどうなるか、皆分かってるわよ」

「どうなるか覚悟した上で手を出すヤツだっているかもしれないでしょ。あんないい男」

「だったら、外に出さなきゃいいのに」

 ケイは可笑しそうに言うが、笑い事ではない。ただでさえ男が少ない村だ。そこにあんな美味しそうなご馳走をぶら下げて、我慢できる狼がいるだろうか。

 外に出した事は、後悔している。だが、一度認めてしまったものを、今日は駄目だとは言えない。理由がない。寂しいからと試しに言ってみたら、笑い飛ばされた。

「それで、一緒に寝てるの?あんた達」

 ケイは、仕事の引き継ぎに精を出しながら、次に見合いを望んでいる者の資料に目を通すレイラを、横から小突く。

 レイラの家は、当主の家である。代々当主の住んできた家で、当主になった者が引き継いでいく。単純に、仕事が出来る環境を移すのが邪魔くさいからだという理由が大きい。ケイはレイラの仕事を引き継ぐ必要性から、毎日のように家を訪ねて来る。レイラが仕方なく仕事を始めると、気を遣っているのかソウは村を探索して来ると言い置いて出かけてしまうのだ。お陰で毎日悪友と顔を突き合わせる時間が出来てしまい、レイラとしては不満で一杯だ。少しでも長く、ソウといたいのに。

 さっさと引き継ぎを終えて、ケイに仕事を丸投げして自分はソウに引っ付いて歩く。目下の目標はこれだ。

「同じ部屋だけど。寝台は別に決まってるでしょ」

「ええ?つまんない」

「一回添い寝を頼んだら、白い目で見られた」

「それはかなり切ないわね」

 切ないなどというレベルのものではない。触れたいものに触れられないストレスは、ケイには分かるまい。

「ソウも、ちょっと変なんじゃない?抱ける女を前にして、断固拒否だなんて。あたしには負けるけど、あんたも中々いい体してんのにね」

「やっぱそう思う?実は女に興味なかったりして」

「可能性あるんじゃないの。あー考えたくない。勿体ない」

 レイラとて考えたくない。しかし、手を繋ぐ、軽いハグ以外に、最近のソウとのスキンシップはない。軽いジャブは打つのだが、その度に白い目で見られたのでは心も折れる。

 しかし、レイラがソウを無理やり押し倒した時、彼は初めてではないなと思った。レイラやケイのような節操なしがそうそういるとは思えず、そうなると、ソウ自らが関係を持ったことになる。

 それはそれで腹立たしいが、しかしレイラの直感が正しいとすると、女に興味がない訳ではない、という事になる。単純にレイラに魅力を感じないか、触れたくないほど嫌っているか、その二択になってしまう。どちらにせよ、気が遠くなる。どちらなのか、確かめるのも怖い。

「どうせ嫌われてるなら、ついでにもう一回押し倒してみればいいのに」

「簡単に言ってくれるわね。そのまま自国に帰っちゃったらどうするのよ」

「縛りつけとけば?あんたの方が強いでしょ」

 それは考えた事が、実はある。だが。

「睨まれ続けて終わるなんて、ごめんだわ。あたしは、ソウの笑顔が見たいんだから」

「重症ね」

 ケイはお手上げ、と白旗を振る。レイラとて、あらゆる手段は考え尽くした。結果として方法は見つからず、毎日ソウが笑いかけてくれる現状に、満足しようと決めたのだ。不満がなくはないが、どうしようもない。

「嫌われてる方が、良かったのかもしれない」

「というと?」

「嫌われてるから、っていうのを理由になんでも出来たかもしれないから。今は、思い上がりかもしれないけど、嫌われてはいないんじゃないかって、思うのよね。好かれてるとは、流石に思わないけど」

「普通に話してるもんね、見た感じ」

「でしょ?」

 だからもう、これ以上嫌われるような事は出来ないのだ。目も合わせてくれず、声をかけてもくれず、当然微笑んでもくれない。そんな地獄のような状況には、耐えられない。

 溜息まじりに仕事に戻ろうとするレイラに、頬杖をついたままケイは言う。

「それで、言わないまま帰すのね?彼」

「言ってどうするの。ソウの性格なら、子供を引き取らざるを得なくなるかも。子供をソウの、枷にはできない」

「まぁ、言ったところでどうなるものでもないからね。子供は順調なんでしょ?」

 レイラは腹に手を当てる。

「そうね。なんだか、男のような気がする」

「そうなの?じゃあ、ソウに似た子になるかもね」

 この子も、思えば哀れな子供だ。母親は顔を覚える前に死に、父親の顔も知らずに育つのだ。どんな子供になっていくのか、想像もできない。伽羅の血は、異種族と交わると子供を相手に似せる。おそらくは、ソウのような黒髪の少年になるのだろう。

 ソウがいなくなってしまっても、ソウに似た子が残る。だが、似てくる前に自分は死ぬのだ。

「安心しなよ。ソウに似たら、あたしがもらってあげるわ」

 ケイが笑いながら言うが、目の奥が笑っていない。ソウ以外の誰もが、レイラが死ぬ事を知っている。死ぬのが分かっている相手に、いつも通りに接するのは、どれほど難しいのだろう。

「馬鹿言わないでよ。この子はお淑やかで、綺麗な子を嫁にもらうのよ」

「そっちこそ馬鹿言わないで。あんたの子供に、そんな女が嫁いでくるわけないでしょ。親が親なら、子も子なのよ」

「はん。あたしの子にはソウの血が入るのよ。いい男になるに決まってるでしょ。あんたのとこの子供とは、顔からして出来が違うのよ」

「くっ、言ってくれるわね」

 ケイの子供は、親の欲目を盛りに盛っても、綺麗な顔とは言えない。その代わりに愛嬌があるので可愛らしいが、顔の出来に焦点を当ててしまえば、彼女にも反論は出来まい。

「類は友を呼ぶって、言うでしょ」

「突然なによ」

 ケイは立ち上がり、戸口に向かって歩き出す。気付けば外が騒がしい。おそらくは、ソウが戻ってきたのだろう。

「あたしはそうは思わないけど、あんたとあたし、似てるらしいわよ」

「だから?」

 少なくとも、口の悪いところと節操がないところは似ている、と言わざるを得まい。

 さっと開かれた扉から、黄色い声が入ってくる。

「子供に母親の面影を教えたいなら、あたしが育ててあげるわよ」

 そう真顔で言って、戸口でソウとすれ違って出て行くケイの背を、ぽかんと見つめる。あのケイが、そんな事を考えてくれていたとは、思いもよらなかった。

「どうしたんです?レイラ」

 多種の葉を提げて戻ってきたソウが、不思議そうに言う。

「ケイが、子供を育ててくれるって」

「子供って?レイラの?」

「そう。あたしが、」

 死んだ後、と言いかけてレイラは我に返る。怪訝そうにレイラの言葉を待つソウに、慌てて笑って見せた。

「いや、なんでもない」

「子供をケイに任せるのですか?種族的な決まりとか?」

「違うのよ。ほら、その、一人で育てるのって大変だから、手伝うって言ってくれたのよ。ケイじゃ、ソウが嫌よね」

 ソウは今日のおかずにするのであろう葉を、台に並べる。

「ああ。いえ、嫌だなんて滅相もない。私は、子を捨てていく父親ですから、子育てに文句など言える立場じゃありません」

「捨てていくんじゃないでしょ。あたしの我儘なのだから」

「いいえ。捨てていくんです」

 ソウは、真顔で続ける。

「過程はどうあれ、その子は私の子なのでしょう?それならば、子供の側を離れて二度と会うつもりがないというのは、捨てていく事ですよ。私に子供を持つ意思がなかった事は、子供にとっては関係のない事ですから」

「そんなふうに、思わなくてもいいのに。あたしが勝手にした事を伝えれば、子供も分かってくれる」

「そうでしょうか?ああ、だから愛されていないのだ。ああ、だから捨てられたのかと、子供は思うのでは?望まれなかった事ほど惨い真実もないでしょうに、レイラはそれを伝えるのですか?」

 伝える、つもりでいた。

 父親がいない理由を伝えなければ、それこそ捨てられたと思うだろうと、そう思っていた。だが言われてみると、どう伝えたところで子供には望まれなかったという事実だけが残る気がした。なぜなら、本当に望まれていなかったのだから。

「本当に望まれなかったのだと、そんな酷な事実を告げるのか。それとも死別したのだとでも、適当な嘘をつくのか。貴女は、女としての自分だけしか見えていない。レイラ、貴女は母親になるんですよ。子供のためを思って、どうすべきが最も子供のために良いのかを、もっとちゃんと考えて行動すべきです。まず貴女は、最初の一手から間違えた。どう考えても子供のためになる選択ではなかったでしょう。だが、済んでしまったことをとやかく言っても仕方ありません。今後、生まれてくる子にどう誠意を見せるのか。今の貴女にそれが出来る気がしないことが、私はとても怖ろしい」

 怖いのは貴方だと、レイラはそんな事を思った。たかだか十四年しか生きていない身で、どんな生き方をしてきたらそんな考えに至るのだろう。母親になる自覚がない、それを指摘された事に少なからず衝撃を受けたが、此の期に及んでも、レイラはソウの事を想う。

 この少年は、年相応に育つ事を許されなかったのだろうか。大人びた仕草、大人びた言動、そこに無理を感じない事こそが、恐ろしい。人が倍の時間をかけて学ぶ事を半分の時間で詰め込む生き方が、生き急いでいるようで恐ろしい。

 大人びていることが哀れに思えた。そうしなければ生きて来られなかったのかと思うと、苦しくなる。こんなにも、自分の事のように苦しい。

 ソウは、レイラの表情を見てどう思ったのか、苦く笑って続けた。

「私も、捨てられた子なので」

 少年の闇は、少しだけレイラに向かって顔を出した。

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