第4話

ソウを連れ立って村に出ると、家から出ただけで歓声が上がった。どうやら一目ソウを見ようと、皆が押しかけてきたらしい。家を取り囲むようにして近隣の者達が群がっている。

 すっかりフードを落としたソウは、さらさらと美しい髪を風に遊ばせながら、目を丸くしながらも事態を見守る傍観の姿勢に入る。これだけの黄色い悲鳴を一身に受けても物怖じしないとは、さては言われ慣れているなと、少し心が靄っとした。

「これがレイラのお気に入り?やぁだ、確かに可愛い!」

 その筆頭、ケイがソウの頬を両手で包み込み、顔を覗き込む。ソウ自身は逃げるでもなくなされるがままになっているが、レイラがかっとなってケイの手を振り払う。

「ちょっとケイ!ソウに手を出したら殺すわよ」

「おお怖。ソウっていうのね。あんたこの年頃には食指が動かないんじゃなかったの?少年少年言うから幾つなのかと思ってたけど、ほんとに少年じゃないのこれ。あーでも可愛い、食べちゃいたい」

「・・・伽羅っていうのは、こんな女性ばかりなんですか?」

 ソウはげんなりしたように言う。

「こいつと比べられるのは心外だわ!」

「野っ原で男にのしかかっといて、どの口が言うのよ!」

 喧嘩を始めている間に、ソウが人波にのまれてどんどん遠ざかって行く。その行く先々でなにやら声をかけられているようで、レイラが慌てて人垣を蹴散らした後にはぐったりと項垂れるソウが残った。

「この村、身の危険を感じるのですが。よもや、その辺でのしかかっては来ませんよね?」

 ソウは心なしか顔色が悪い。揉みくちゃにされがてら過剰に触られたらしく、マントの前を抱えるように頑なに合わせて丸くなっている。

「大丈夫、当主の男に手を出す馬鹿はここにはいないわ。そんなことより、氷国。行くでしょ」

「もう許可が?」

「ふふ、口づけをしてくれたら連れて行ってあげるわよ」

 レイラは唇を差し出したが、ソウは冷ややかに言った。

「氷国に行くのは最初の約束でしょう。レイラが約束を破るというのなら、こちらにも考えがありますが」

 つれない男だ。だがそれすらも可愛いと思う自分は、やはり病んでいる。レイラはソウからのキスを諦め、その頬に勝手に唇を押し当てた。

「ちょ、レイラ!」

「ふん、口づけをしないなんて誰が約束したのよ」

「私はそんな事をしに来たのでは」

「ソウがどんなつもりで来たかは知らないわ。愛する男に口づけをしてなにが悪いっての。言ったでしょう、覚悟しなさいって」

 ソウはなにかを言いかけたが、結局諦めたように項垂れ、溜息をつく。

 彼の事が知りたい。もっと、もっと。

 年の感じからすると、十は年下のように思われるが、その割にはどうも大人びた話し方をする。仕えるべき人がいると言っていたことからも、官吏であることにはほぼ間違いがない。かなりしっかりと教育されているのだろう。

 彼は、聞いたら答えてくれるだろうか。

「ソウは、いくつなの」

「今更それを聞くんですか」

 嫌な顔をされてしまった。しかし、怪訝そうに眉根を寄せても可愛い。惚れた弱みというものは、思っていた以上に恐ろしい。

「十四です」

「えっ!?」

「良心の呵責でも?貴女にそんな良識、求めていませんが」

「いや、手を出した事には全く後悔はないわよ。でも、そう。十四」

 レイラは、お腹に手を当てる。まだたった十四年しか生きていない子供に、子供という枷を背負わせてしまったことに、少しばかり申し訳なさを覚えた。しかしやはり、この男を選んだ事には微塵も後悔はない。

 種族にもよるが、十四と言えば、獣売屋などのように子作りを始める種族とてある。ソウの種族ではそうでないことは、彼の反応を見ていれば明らかではあるが、犯罪ではなかろう。

「そういうレイラは、いくつですか」

「え?あー、その、い、いくつに見える?」

 ソウはじっとレイラを見つめながら口を開く。視線だけで射殺されそうに心臓が痛い。

「やった事だけを見れば、私より年下であると思いたいですが。まあ、二十五、六といったところですか?」

「・・・まあ、そういうことで。しかし、どんな育ち方したらそんな風になるのかしら。仕えている人っていうのは、どんな人なの?どこの誰かは、言えないんでしょ?」

 ソウは辺りを興味深そうに観察しながら、レイラを見ることなく答える。

「言えません」

「どうせ聞いても分からないのに?」

「では聞かないでください」

 取りつく島もない。怒ってはいないのだろうが、そもそも根本的に、レイラを嫌っているのだろう。だから彼は笑わないのだし、怒っているように見えるのだ。

 綺麗な顔がちらりとこちらを向く度、心臓が跳ね上がる。レイラを見ているのではない。それでも、レイラの目にソウが映っている、ただそれだけの事がこれほどまでに嬉しい。

「もう来てくれないかと、思ってたわ。実は」

「約束ですから」

「そうね。でも、首を長くして待ってたの」

 ソウが振り返る。レイラを、見ている。

「正直に言えば、貴女が伽羅でなければ、懐妊の可能性が極めて低ければ来ませんでした。こうしている間、私は仕える主人から目を離しているのです。その間に不慮の事態が起きたらと、考えるだけで恐ろしい」

「そんなに大事な主人なの」

「ええ。私は、あのお方より後に死ぬことはない」

「男?女?」

 レイラの問いかけに、ソウがきょとんと目を丸くする。

「は?」

「その主人よ。男なの、女なの?」

「主人のことは、何も、」

「男か女か、聞いてるだけよ!この世界の半分が男で、半分が女よ!そんなの分かったところで、あたしがソウの主人を探し当てられるわけないでしょ!?そもそも言っておくけど、あたしはソウの素性を洗って会いに行こうなんて、これっぽっちも思ってないわ。迷惑なことくらい、このあたしでも分かるわよ。ただ、愛する貴方の事を、一つでも多く知りたいだけじゃない。正直貴方の主人のことなんて、どうでもいいわよ。貴方が好きな人がどういう人間かに興味があるだけで、それがどんな地位の誰だろうが、そんなことはどうだっていいわ!関係ないもの!だから隠したいなら隠せばいいけど、言いなさい、男なの!女なの!正直なところ、女なら殺してやりたいわ!」

 ソウは言葉もなく、ただ目を丸くしている。まくしたてたレイラはと言えば、ソウの愛を一身に受けるその主人とやらが、妬ましくて仕方がない。

 ソウは一にも二にも、その主人を優先する。後に死ぬことはないとまで言い放った彼の、崇拝する主人がもしも女だったらと考えただけで、心臓が飛び出しそうだ。

 不意に、ソウが笑い始めた。心底可笑しそうに、けたけたと笑う姿が可愛くて、つい見惚れてしまう。笑った。ずっと仏頂面だった彼が、笑った。

「恐ろしい嫉妬もあったものですね、レイラ」

「しっ、嫉妬?」

 そうか、これは嫉妬かとレイラは恥ずかしくなる。いい年をして、こんな子供相手に何を言っているんだろうかと思う反面、それほどまでに愛しているのだと思える事に感動すらしている。そんな男に、レイラは巡り合ったのだ。

「ええ、そうね。だから言いなさい。男か、女か」

「男ですよ」

 ソウは可笑しそうに即答する。先程まで何も答えなかったのが嘘のように、小さく笑う。

「困った人ですね、レイラ。私はどうやら、とんでもない人に目をつけられてしまったらしい」

「本当に、男?」

「ええ。私の周りに、女性はいませんよ」

 見間違いではない。ソウが、レイラに笑いかけている。その笑顔が、レイラだけに。

 嬉しくて堪らない。心臓というものは、こんなにも早く鼓動を打つことが出来たのかと、心配にすらなる。

「なにをにやけているんです?」

 ソウは不思議そうに、しかし少し距離をもってレイラの顔を覗いている。そう上目遣いに見られたのでは、抱きしめてやりたくなる。心臓がもたない。

「あんたが可愛くて堪らないのよ!」

「え?どこがです!?」

 ソウは何かを察してか、さっと飛びのいてしまった。肩を竦めて、怯えるようにこちらを見ている様子はまるで小動物で、レイラには可愛くて堪らないが、本人は初めて会った時のことが余程トラウマになっているように見受けられる。

「笑った顔、とか」

「では、笑わないように心掛けます」

「ちょっ!?そんなこと言わないで、もう襲ったりしないわよ!」

「信用できません」

 また取りつく島もなくなってしまった。

 笑顔からのギャップに、ソウなりにレイラから身を守ろうと素っ気なく振る舞っているのかもしれない、とふと思った。

 彼は、話をする時にはちゃんと目を見て話してくれているし、会話もしてくれる。だが、レイラを警戒しているのか、距離を縮め過ぎないように頭で考えた距離を保っているように思える。レイラに好かれないように、敢えて素っ気なく振舞っているような、本当の彼はこうではないような、そんな違和感がある。

「本当よ、ソウ。もう、貴方の合意なく襲ったりしない。ただちょっと、手を繋いだり、抱きしめたいだけよ。だってしょうがないでしょ、愛してるんだから。だからそんなに警戒しないで。絶対に、襲いかかったりしない」

 ソウは、ちらりとこちらに視線を寄越し、真顔で言う。

「残念ながら信用は出来ませんので、是非行動で証明して頂きたいものですね」

「分かったわ、どうしたら信用してくれる?」

 手を伸ばしかけて、止める。触れたくて堪らないし我慢するつもりは毛頭ないのだが、やはりどうせなら素っ気ないよりは、笑っていて欲しい。先程の笑顔は、心を照らすように眩しかった。

「日々の行いでもって判断させて頂きます。出だしがあまりにも酷かったので、これ以上悪くなるような事はそうそうないかとは思いますが、私と貴女は、他人です。夫婦でないどころか、想い合う関係ですらない。そこのところを肝に銘じ、良識のある行動を是非お願い致します。とてもではないですが、何ヶ月も保ちそうにありませんので」

「うっ、・・・わ、分かったわ。気をつける」

 どこまでが彼の中で良識的なのか、推し量るところから始めろという訳だ。距離を縮める為には仕方がない。

「あと、これだけは聞いておきます。私が貴女を愛せなくても、貴女はそれでいいんですか」

「そりゃあ、愛して欲しいけど。これでもかってくらい、いちゃいちゃしたいし。でもそれは、願ってどうにかなることではないから、仕方ない」

「私は、十四ですよ」

「さっき聞いたわ」

「貴女から見たら、まだほんの子供でしょうに」

 ソウがそう言ってする呆れ顔も、こんなにも愛おしい。

 レイラがそっと伸ばした手を、ソウは振り払わなかった。繋いだ手が熱くて、全身に電流が走っているよう。なんだか泣けてさえくる。このくらいの事は、どうやら許してもらえるらしい。

「ふふ、愛してる」

「それはもう聞きました」

 ソウは苦く言って、小さく微笑んだ。

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