第2話
男はむっつりとした顔でマントを合わせている。その不貞腐れたような顔が愛おしくて、レイラなどは顔がにやけて仕方がない。眺めているだけで、心が満たされる。
「こんないい女を抱けて、その態度は失礼なんじゃないの?」
レイラはにやけた顔をそのままに、男の一挙手一投足まで見逃すまいと、マントのボタンを留める指先を見つめる。指先までもしなやかで美しい。
「犯されて喜べと?生憎そんな嗜好は持ち合わせてない。・・・早く、服を着てください」
男は視線をレイラに向けることなく、あらぬ方向を見遣る。レイラはかなり裸に近い姿のままだ。
「貴方にだけよ。今日から貴方だけ。この体を見る権利があるのは」
男は少しだけ赤くなる。
「いいから、早く。そんな格好のままいられたのでは、文句も言えない」
「照れちゃって。貴方いくつなの。見たまんまの年じゃないんでしょ?」
レイラは仕方なく服に手をかける。そっぽばかり見られたのでは、男の顔が見れない。
「見たまんまの年ですよ。なんです、子供を犯したことに罪の意識でも持ってもらえるんですか」
男、もとい少年はじろりとこちらを睨む。怒った顔がまた可愛いかったが、それは言わないでおく。
大概の種族において、ある一定の年で肉体は成長を止める。実際に生きた年齢と、見た目の年齢は往々にして違っているものなのだが、どうやら目の前の少年はまだ肉体年齢が止まっていないらしい。
「うそ、ほんとに?なによ、妙な色気があるから、もっと年重ねてるのかと思ったわ」
ほんの少しだけ申し訳なくも思ったが、後悔は微塵もない。少年はすっかり服を整え、立ち上がる。
「見たところ、私とは種族が違うようですし。子供がなんとか言っていたようですけれど、子供が生まれるとは思えないですね。初めて会った男をこんな野っ原で襲うような女性とは関わり合いになりたくないので。これで失礼させてもらいます」
少年は心底嫌そうにレイラを睨めつける。しまった、大人しい女の方が好みだったかと思いながらも、レイラは飄々と返す。
「まぁ待ってよ。貴方にとっては残念なことに、あたしは伽羅族なの。かなり高い確率で、私は貴方の子供を産むわ」
「伽羅」
少年は目を丸くして、次いで青くなる。伽羅の事は知っているのだろう。自分の子供が生まれる事への明らかな動揺を感じた。
「でも、あたしは貴方に父親としての責任を果たして欲しいなんて、これっぽっちも望んではいないから安心して。ただ、あたしが貴方の子供を産みたいと願って、勝手に子種を頂いただけ」
「そういうわけにはいかないでしょう。貴女はそれで良くとも、子供にはどう説明するのです。男を犯して出来た子だから父親がいないのだ、とでも?」
子供がそんな事を考える頃に、レイラはこの世にはいない。しかしそれは、更に少年の負担となることが分かっているだけに、口にする気はない。
「父親は死んだということにでもすればいい。でも、この子に父親の事を話してあげるために、一つだけお願いがある」
「・・・なんです」
「この子が生まれるまで、あたしの側にいて欲しい。あたしは貴方の事をもっと知りたいのよ」
少年はなにか言いたげに口を開きかけ、一度その言葉を飲み込んで大きく息を吐いた。くしゃり、と髪を掻き上げる姿が素敵。もはや病気だ。
「いいですか。私はさるお方に仕える身の上。狩猟区にも仕事で来たのだし、これから急いで帰って報告をしなければならない。私にとっては不可抗力であったとはいえ、私の子が本当に生まれるというのであれば、子供のためを思えば父親としてあるべきだろうという気持ちはある。でも、それこそ私は貴女をよく知らないし、仕出かした行動だけを見れば、妻として娶って慈しむ心が生まれるかといえば、正直ゼロに近い」
レイラの心が、少しだけ疼く。
「幸い私には心に決めた女性も、婚約者も当然妻もいないから、娶ること自体は可能ですが。私の主人も、話を聞いて受け入れてくれる寛大な方です。でも私は、このような手段で私を拘束する貴女を好きにはなれない。それでも、側にいろと言うんですか」
少年は真剣な目でレイラを真っ直ぐに射抜く。これが、本当にこの年頃の少年がする目だろうか。力強い男の目をしている。レイラは、我知らず微笑む。
「好きになってくれなんて、そんな傲慢なことは言わないわ。だけど、あたしは貴方を愛している。信じてもらえないかもしれないけれど、あたしはそれを命を持って証明するわ。この子供が生まれるのさえ見届けてくれたら、この子は伽羅で責任を持って育てる。貴方の妻にして欲しいなどということも、貴方の主人に迷惑をかけるつもりもない。生まれるまででいいのよ。もちろん、その間貴方を拘束するだけの対価を、きちんと支払いましょう」
「対価?」
「ええ。金銭だというのならそれもいいけれど、仕事で狩猟区にとは、変わった仕事を申し付ける主人だわ。ざっくりでいいのよ、どういう類の仕事をしているのか教えてもらえれば、それに見合った対価を、あたしは支払うことが出来る」
レイラをじっと見つめたまま、観察するように少年は口を開く。
「諜報活動を」
「なるほど。それならばどう。貴方の集める情報には関係がないかもしれないけれど、氷国に入国する許可を申請してあげるわ」
少年の瞳が揺らいだのが分かった。
「知っての通り、氷国は他国と国交のない閉ざされた国よ。滅多なことでは他国の人間を招き入れないことで知られている。その氷国の内情を見る機会をあげると言っているのよ。どう、貴方の知識の幅を広げるだけでなく、貴方の主人にとっても封鎖された国の実情が知れる事はなにかと役に立つ事があるのではない?」
「貴女に、氷国の門戸を開かせるほどの力があると?大家の要請にすら応じないと聞きますが」
レイラは不敵に笑う。
「貴方を抱いた女は、ただの使えない下っ端伽羅族なんかじゃないのよ。あたしに選ばれた事をもっと誇りに思って頂きたいものだわ」
少年は呆気にとられたように苦い顔をして、小さなため息を漏らす。諦めたのか観念したのか、少年はそこで初めて、小さく笑った。
「変な人ですね、貴女は」
(笑った)
ぐらり、と脳が激しく揺れて、卒倒しかけた。胸が、苦しい。足元がぐらついて倒れこみかけたレイラの腕を、少年が力強く引く。
「子供を宿した可能性があるのでしょう。少しは気をつけたらどうです」
何故こんなにも、体が熱い。何故こんなにも、手離し難い。
「レイラよ。あたしの名は、レイラ」
「残念ながら私は日陰の身。名を語る事は出来ません。お好きに呼んでください。伽羅のレイラ、ですね。私は主人の元に戻らねばなりません。許可を得て、改めて貴女の元に伺いましょう」
「本当に!?」
レイラは少年の腕を掴む。少年は何を警戒したのか、慌てた様子でぞんざいに手を振り払い、三歩下がる。
「子供が父親の事をなにも知らないというのも、可哀想ですから。それに、本当に入国が叶うというのならば、氷国にも大いに興味がありますし」
「きっとよ、必ず会いに来て。待っているから」
「本当に貴女は伽羅族で、子供が出来ている可能性が高いんですね?」
「あら、そこから信じていないの?」
「全面的に、貴女の何も信じていません」
酷い言われようだが、冷たい目すらも格好いいと思ってしまう自分はやはり、病気なのだろう。これが恋か、とレイラは初めて覚えた感情に嬉々とする。
「伽羅じゃなければ、なぜこんなところに?氷国は目の前で、ここは狩猟区の危険区域、瑪瑙よ。・・・あ。これよ、これ。ご覧なさいよ、氷国の身分証よ」
身分証は、国によって発行される指輪である。
現在この世界には四つの国があり、紅国、雷国、水国、氷国と呼ばれる。身分証にはそれぞれの国によってカラーが決まっており、氷国は白だ。
自分の指輪を示しながら少年の手元に目を遣る。雷国に帰ると言っていたが、確かに薄い黄色の身分証、雷国の指輪がその指には輝いていた。
「・・・まあ、いいでしょう。伽羅族の女性は性に奔放だと噂に聞きますが、貴女も例に漏れないようですし」
「ちょっと待った。そこは否定させてもらうわ。確かにその噂は真実であると認めるけど、あたしは相手はちゃんと選ぶ!」
「それこそ確認のしようがない事ですし、別に興味もありません。私が確認したいのは、貴女が本当に伽羅で子供が出来ている可能性が極めて高いことと、氷国への入国許可を本当に得てくれるのかどうか、これだけです」
「その二つに関しては、約束するわよ。守らなかったら殺してくれてもいい」
子供に関して言えば、いくら伽羅とは言え、一度の契りで必ず子供が出来る訳では流石にないが、あくまで可能性の話だ。可能性は、極めて高い。嘘ではない。
「絶対に会いに戻ってきて。待ってるから」
レイラが念を押すと、少年は完全に信用してくれた訳ではない様子ではあったものの、ふいと視線だけを投げて言った。
「ええ、必ず。伽羅のレイラ」
少年はそれだけを言い捨てて、雷国の方へと消えていく。レイラは高ぶる胸の鼓動冷めやらぬまま、その場にへたり込む。お腹を撫でると、子供が息づいているような気がした。あの少年の子供。あの美しい少年の。
レイラは喜びに打ち震える。自分でも不思議だ。会って間もないというのに。氷国王にも動かなかった食指だというのに。これが、運命というものだろうか。止められない心の動悸を、こんなにも嬉しいと思うなんて。
「早く、早くあたしに会いに来て」
レイラは幸せのままに帰路に着く。途中で出くわす圭中家の一行を前に、自分が出かけてきた理由を思い出すのは、もう少し後のこと。
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