第5話
「明日はどこ行く?」
「んー、どうしよっか」
付き合ってはじめての夏。夏休みに入ってから、私たちは毎日のように会っていた。過ごせない未来を先取りするように。
雨の日の遊園地。地下街デート。映画鑑賞。
ただ始点から終点まで、各駅停車の電車に乗って揺られながら話すだけの日。
図書館で本を参考にやりたいことを探す一日だったり、来世の夢を語ったりする日もあった。
地下鉄のホームで肩を寄せ合い、私は水を、朔玖くんは血を飲みながら明日の計画を立てる。
「カラオケ、行きたいかも」
個室だし、もし疲れて姿が戻りかけても焦らなくていい。安心して二人で過ごせる場所に最適だと思った。
「いいね。じゃあ明日も、最寄り駅集合で」
「うん。楽しみ」
恋人繋ぎをしたまま、顔を見合わせる。電車が出たすぐあとだからか、ホームには私たちしかいなかった。
「ねぇ、乗る前に、......キス、したい」
血のやり取りはできないけど、人間らしく口付けを交わすことはできる。それで十分、幸せだった。
柔らかい朔玖くんの唇が私の唇に触れた。
まだこれから帰るのに、まるで今から別れを惜しむように口付けを交わすのは、最寄り駅まで戻ると家族に見られる危険があるから。
ルールを破っているからこそ、幸せでいっぱいな反面、少し後ろめたさもある。
「香水、好き。好きだよ」
「私も朔玖くんのこと、大好き」
繋いだ手の力を、愛を伝えるように強くする。
一度のキスじゃ、何十年分の未来を先取りできなくて、長く優しいキスを何度も、誰かが降りてくるまで重ねた。
そんな幸せな時間は、いつか不幸へと叩き落とされる。生きている限り遭遇する落下地点は、夏休みも終わりがけになった今日という日に訪れた。
手を繋ぎ、コンビニで見つけた串刺しの冷凍みかんを二人で分け合いながら歩いていた。目的地は水族館。ワクワクしながら電車に乗るための改札前だった。
「あなたたち、なにしてるの」
お母さんと、隣にもう一人、女の人。二人してドスの効いた声で、鬼のような形相で、こちらに近寄ってきた。
「……お母さん……」
「……母さん」
朔玖くんが低い声でそう言って、思わず「えっ」と言ってしまいそうなのをこらえる。
仕事中なのか、世にいうオフィスカジュアルのシンプルかつ万人受けしそうな服装に、いかにもパソコンが入っていそうなカバンを肩にかけていた。
最悪だった。
私のお母さんと、朔玖くんのお母さん。一度に両方に見られたら、もう誤魔化しようがない。
「ルール違反なのは、わかってる?人間で言うと、殺人と同じくらいの犯罪になるのよ」
朔玖くんのお母さんが、ぴしゃっと言い放つ。
じゃあ、神様はなんで私たちを出会わせたんだろう。好きな人と好き同士なんて、奇跡みたいなことなのに。その奇跡が訪れない人だって、この世に何人もいるのに。この奇跡を手放すことは簡単だけど、叶えることの苦しさもしんどさも、喜びも全部知っているのに。
「とりあえず、今日は帰りなさい。帰ったら、話しましょう。あなたのお見合いについて」
朔玖くんのお母さんも怖かったけど、うちのお母さんも負けじと怖かった。
私たちを繋ぐ手を引き剥がし、ちょうど通りかかったタクシーに私一人、乗せられた。
言葉を交わすことさえ許されないと察することができるほど、この場の雰囲気はピリついていた。
今から、朔玖くんが責められたりしないだろうか。いくらきっかけは彼でも、想いを伝えたのは、この恋人の関係をリスタートすることになった原因は私なのに。
やっぱり、あの告白はしてはいけなかった。好きな人を、一瞬でも嫌な気分にさせないためにも。
明日は会えないかもしれない。もしかしたらもうずっと、会えないかもしれない。
顔を見ることも、声を聞くことも。メッセージのやり取りさえも禁じられるかもしれない。
そんな未来が当たり前だったはずなのに、今は考えただけでも耐えられない。
好きでもない人と一緒になるくらいなら、いっそ、もう……。
私の頭に浮かんだのは、二択だった。
もし朔玖くんも同じ気持ちなら、最後に思い切りやりたいことをして、人生を一からやり直す。
もしこのままお別れになったら、私はもう、一人で二十歳を迎えよう。この先ずっと隣にいるのが朔玖くんではなく、気持ちもない人だったら、私も相手も縛られていてしんどいだけ。
生きていく意味を感じられずに、消えない恋心が残る朔玖くんのことを考えて苦しくなるだけ。
まだ、泣かない。未来が決まるまで。
「ごめんね、お母さん。明日、ちゃんと顔を見て、お別れしてくるから」
いつもより早く、イライラした様子のお母さんが帰ってきたから、玄関口で伝えた。あんなにピリピリしていたのに、一瞬で安心した顔になって、「そう」と微笑んだ。
「お見合いの日取り、明日の夜に話そう」
とりあえず、前向きに。少しでも朔玖くんに飛び火する可能性を抑えたい。
「私、お母さんのこと大好きだよ」
部屋に戻る前にそれだけ伝えて、顔を背けた。
まだ決まったわけじゃないけど、早かったら明日はもう、帰ってこない。
私の中で、幸せになる覚悟と普通に戻る覚悟。その両方の準備はもう、できていた。
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