第3話

朝、初めての待ち合わせ。

そんなことをする友達なんていなかったから、誰かと時間と場所を決めて落ち合うことにワクワクした。

「香水、おまたせ。待ったよな」

「私もさっき来たところだよ」

例に沿ったような会話を交わし、なんだか恥ずかしくなる。二人して、顔を赤く染めて少し俯く。

初めて誰かと手を繋ぐんだもん。緊張するに決まってる。

「じゃあ、行こうか」

私の手を取って、お互いの指が絡まる。

顔だけに留まらず、全身が照れて熱い。世の中の恋人は、平気な顔をして手を繋いでいるのかと思うとただただすごいと感じる。

「こんなに照れるんだね。手を繋ぐって」

相手の手の感触、自分との肌の色の違い。ついさっきまで恋人という名のただのクラスメイトとしか見ていなかったのに、手の大きさとか、ゴツゴツと骨ばっている骨格に、変に緊張してドキドキと心臓が早く脈打つ。

「そ、だね」

キャパオーバーになりそうだけど、見せつけていかないとこの関係の意味がなくなってしまうから、柊木くんの手をぎゅっと握って前を向いた。

「え、あの二人付き合ってるの?」

校門をくぐると、早速誰かが私たちを指さして声を上げ始めた。

悲鳴なのか歓喜なのか、お似合いだと褒められる声もあれば、絶望にくれている人たちもいて、手を繋ぐことでどう見られるのかが一目でわかった。

「顔真っ赤じゃん。可愛い」

「へっ?」

ドキッ。心がそう、文字にしたような音を立てた。

……私って、こんなに単純だったっけ。

顔から火がでているのではないかと不安になるほど、熱い。空いている手で頬を触るけど、熱があるのかと思うほど体温が高い。

「や、ごめん」

「いや、大丈夫」

おかしいのは私。

可愛いなんて、聞くとついげんなりしてしまう言葉だと思っていたのに、そう言われただけでなんだかまっすぐ柊木くんの顔が見られないなんて。やっぱり、手を繋いだから?

「香水って、意外と顔に出るよね。コロッと表情が変わって、またポーカーフェイスに戻るっていうか」

「うそ、ずっと無表情のつもりだったのに」

「ほら、今も」

それはきっと、気が抜けているから。絶対に好かれないし、好きにならない相手だから、笑うことさえ怖くないとどこかで思っているところがあるのだろう。

「いいじゃん。俺の前だけでも、気持ちのままに表情にだしたら、残りの時間もっと楽しめるよ」

それは一理あるかも。

柊木くんの前でだけなら。お互いの秘密を知り合っている相手だし、必死に表情筋を固めているのも疲れる。もう男避けになってくれている彼がいるのだから、解禁しても寄ってこないよね。

「ありがとう」

「ん。俺教室行く前に、空き教室で血補給してくる。香水はどうする?」

やっと離された手。温もりが風にあたって消えてしまいそうなのに、いつまで経っても熱は抜けない。ただ、やっとまともに息ができてほっとしたような、残った温もりはさっきまで感じていた優しい温もりとは違うから寂しいような。

なんだか複雑な気持ちだけが心に残った。

「行く。移動教室多いから、栄養補給しておかないと」

人通りが少ない場所になると、手の距離どころか柊木くんとの距離が少しづつ開いていく。やっぱり好きでもない子と手を繋ぐのなんて、嫌だったのかな。

自分の手を見て、なんだかどこかのヒロインみたいだと笑みがこぼれる。そんなに可愛いものじゃないのに。

「香水、おいでよ」

先にいつもの空き教室の扉を開け、手招きをする彼に小走りで駆け寄る。走るのなんて小学生以来だから、少し足がもたついた。

「うおっ。大丈夫か?」

倒れ込んだ先で、軽々と受け止めてくれる。こんなの、影で私のことを好きだと言っていた人たちも、言い寄られて困っていても見て見ぬふり。無理をしてふらついて、人前で倒れ込んでも知らんぷり。

彼氏って、こんなにその人のことを思ってくれるんだ。それがたとえ偽物だとしても、柊木くんはそうしてくれるんだ。

「……うん。ごめん」

私も、彼女としてまっすぐ柊木くんのことを想いたい。困っているときに一番に助けに行けるくらいまでには、成り上がりたい。

恋愛対象としては見れないけど、親友には、なれるから。

「ねぇ、それ、どんな味がするの?」

まずは、知るところから。まだ私は、柊木くんのことをほとんど何も知らない。

「人間の血の味。実際に人間に流れているのはその人の気分によって味が違うらしいけど、これはただただ鉄分って感じ」

シンプルにトマトジュースと記載された紙パックの中身が血の味のドリンクなんて、誰も思わないだろう。

「一口、飲んでみたい」

「いや、一口はさすがに香水の身体が心配だからダメ」

一口って二十ミリリットルもあるんだぞ?と真剣に注意されてしまった。少ないようで、いざ数字にされると意外と多いんだなぁ。

「でも私、柊木くんのこと知りたいの。彼女として怪しまれないように。少しでも、柊木くんのことを助けられるように」

綺麗事だよね。無理なものは無理なのに。

「わかった。いいよ」

「え、いいの?」

絶対また無理だと断られると思っていた。

「うん。その代わり、香水のサプリも一錠分けて」

「それは、いいけど……」

野ねずみの粉末とか、虫の粉末がこれでもかってくらい凝縮されているから、多くて半錠、いや、四分の一くらいじゃないと受け付けられないかもしれない。

手で割るのは無理だし、割るための道具もない。このホコリが舞う空き教室にあるのは、生まれつき薄く鋭い、人間になるためについてきたような歯。噛み切れるとは思うけど、さすがに私も柊木くんも嫌だろう。

「明日、割って持ってくる。一錠は柊木くんには多すぎると思うから」

「多分大丈夫だよ。俺、強いから」

そう、手の甲にBB弾くらいの人工血液を器用に絞り出して、私に近づける。小さく震える鮮やかな赤色が、なんだか可愛らしい。

「これだけ?」

「うん。何型かもわかんないのに、むやみやたらにあげられないよ」

ヴァンパイアが飲むための人工血液は、数十パーセントの割合で本物の血液が入っているらしい。そう、どこかで見たのをふと思い出した。

「いただきます」

貴重な栄養を味見させてもらうんだから、少量でもありがたくいただかないと。

ドキドキしながら、ペロリとそれを舐める。

初めて味わう、スプーンのような味。決して美味しいとは言えないような、どこか不快感を感じるような、そんな味。

「不味かった?」

「……私には合わなかった」

やっぱり顔に出てしまっていたらしい。嫌な思いをさせたかと思ったけど、「そうだよな」とむしろ楽しそうに笑っていた。

「人間も、血の味がすると「うぇっ」みたいな顔するんだよ。これがごくごく飲める俺は、やっぱり人間とは違うんだよな」

チューっとそれをストローで吸い上げながら、今度は寂しそうな顔をした。

「なんか、寂しいよね。同じ見た目なのに、いつも違う世界にいる感覚」

結局押しに負けて、一錠そのままを柊木くんに手渡した。感じている寂しさを、肩を寄せて共有するように。

「わかる。でも、俺にとって香水は……」

「……え、私?」

「うぇっ!なにこれ苦っ!なんかどことなく生臭い気がするんだけど、そういうもの?」

なんだかしんみりして、その中にぽかぽかとした暖かい、ふんわりした日差しが差し込んできたかと思ったら、柊木くんが急に咳き込んでその空気は消え去った。

「だから割ってくるって言ったのに」

それに、私は溶けだしてもそこまで不快感はないけど、サプリだから水と一緒に飲み込んで、味わったことはほとんどない。

これが、拠り所である私たちの大きな違いかと肩を下ろした。

「いや、知れてよかったよ。それに、そこまで不味くはなかったよ」

「嘘つき。顔に不味かったって書いてあるよ」

口角がぴくぴくしていて、必死に笑顔を作ってくれているのがわかるほど。

「意外といける!てゆうの、想像してたんだけどなぁ」

ごくごくと、新しい紙パックにストローを刺して味を誤魔化していた。近いようでやっぱり遠いのかと、嫌な喪失感に襲われた。

もっと知りたくて、大切な存在になりたくて。それだけのはずなのに。なんでこんなに寂しいんだろう。

彼女のふりをしないといけないのに。付き合ったばかりの幸せそうな雰囲気を醸し出さなきゃいけないのに。

どうしようもなく、心に穴があいたような、この初めての感覚が苦しかった。

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