第2話
この世の人口は、一割がキツネ。一割がヴァンパイア。残りの八割はただの人間。
一割づつの私たちには、決められたルールがあった。
『ヴァンパイアとキツネは、決して恋愛関係になってはいけない』
『二十歳の誕生日までに生涯を共にするパートナーと婚約しなければ、その先を生きることはできない』
正直バカだなと思う。この世に一割しかいない相手と恋愛関係を持つなとか、二十歳までに婚約しろとか。現実的じゃない。
「生きるのって、しんどいなぁ」
疲れから元に戻りつつある自分の姿は、気持ち悪い。ハロウィンの仮装みたいに可愛いものじゃない。耳も尾も、リアルなキツネ。
人間と同じ食事を強いられているから、体力が持たない。だから、少しでも疲労を感じる度にキツネに必要な栄養が詰まったサプリを飲まないと、人間の姿をキープできない。
めんどくさい。生きづらい。それが私の人生の感想。
「空き教室っていうか、もう倉庫なんだよなぁ」
廊下で声が聞こえたかと思うと、背もたれにしていた扉が開いてグラッと身体が傾き、右腕でダンボール箱を抱えている柊木くんの足元に背を預ける形になってしまった。
何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。バッチリ目が合っている柊木くんの顔がサーっと青ざめて行くのをみて、私も同じように血の気が引くのを感じた。
やばい、と思ったのは、やっとこの姿を見られてしまったと理解できたあと。ドサッと、柊木くんが持っていたダンボール箱が廊下に落ちた音がしたときだった。
もう遅いとわかっていながらも、膝丈の絶対に隠しきれないスカートで必死に尾を隠し、制服の上に羽織っていたパーカーのフードを被った。
「あー……っと。誰にも言わないから。その、香水がキツネだってこと」
荷物を拾い、中に入って扉を閉めた柊木くんは、私の隣にしゃがみこんだ。
絶望感溢れる力のない声で、「約束する」と寂しそうな目をこちらに向けながら。
「……ありがとう……」
優しいからなのか、クラスメイトのこんな人間とかけはなれた姿を見て言いふらしたくなったり、疑問をぶつけたりしたくなるだろうに、柊木くんはそんな様子は一切見せなかった。
ただ、一人でなにかに納得したように頷いていた。
「戻らないの?人間に」
手にサプリを握ったまま、呆気に取られていたからすっかり忘れていた。
「戻るよ。帰れなくなっちゃうから」
水でサプリを流し込み、少し待つ。十分ほど経つと、耳も尾も消えて完全に人間の姿に戻った。
「ねぇ、なんで誰にも言わないって約束してくれたの?」
ただただ沈黙が続くのが気まずくて、その優しさについての説明を強いるような質問をしてしまった。聞いてから、話せと焚き付けているみたいになっていないかと不安に駆られる。
「……だから」
「え?」
やっぱりなし!と取り消そうと思ったけど、その前に柊木くんはボソッと何かを発した。
「俺も一緒だからさ。気持ち、わかるってゆーか」
「え……!柊木くんもキツネだったの?」
一生同じ生命体の人には出会えないと思っていた。もちろん恋愛対象として見る気はさらさらないけど、この苦悩がわかる人がいると思うとなんとも言えない嬉しさが込み上げてきた。
「香水、そんな可愛く笑えるんだな」
「あ……。あんまり笑わないようにしてたんだけどね」
背筋がゾクッとした。嫌なこと、思い出した。
「それより、柊木くんは何キツネ?私白キツネなんだけど」
少し強引すぎたかもしれない。でも、今さっきの話を続けるのは無理だった。柊木くんも聞いていて気持ちいいものじゃない。
……そもそも興味はないから、掘られる可能性のが低かっただろうけど。
「いや、違う。……俺は、ヴァンパイア」
そう、指で口端を引き上げると、鋭い牙が顔をのぞかせた。怖いとは思わなかった。むしろ、かっこよくて羨ましいと思った。
「そっか」
まさかの告白に驚いたけど、頭は冷静だった。
さっきまで考えていた、あのルールが頭をよぎる。
『ヴァンパイアとキツネは、決して恋愛関係になってはいけない』
それは、過去のことがあるから。
昔、恋に落ちたキツネとヴァンパイアが、婚約をしようとその儀式である吸血行為を行った。
しかし、常に栄養も血も不足しているキツネは規定の吸血量の半分で失血死。
相手のヴァンパイアは、人間のものではない血液を体内に入れたことにより、穢れて亡くなった。
二度と繰り返さぬようにと、このルールが掲げられたのだ。出会う確率が低く、ごくごく稀にしか起こらないことだけど、だからこそ気をつけろという意味合いがある。
『二十歳の誕生日までに生涯を共にするパートナーと婚約しなければ、その先を生きることはできない』
というのも、キツネは単純に動物としての寿命があり、それが二十歳と規定されているだけ。婚約したらお祝いとして、人間と同じ寿命が与えられる。
ヴァンパイアは、婚約するときに初めて人を吸血する。これが誓いとなるのだが、今後生きるために必要な血液はそのパートナーからもらうことになっている。
普段は人工血液をジュースと偽って飲んでいるが、それが飲めるのは十九歳までと決まっている。
「ほんと、謎だよな。こうしてルールを読み返すと」
柊木くんは、ため息をつきながらキツネとヴァンパイアの家庭に必ずあるルールブックを小声で、話しやすいようにアレンジしながら音読した。なんの意図があるのかはわからないけど、きっと遠回しに「俺に恋をするな」と伝えたかったんだろう。
「わかる。だから私ね、パートナーは作らないって決めたんだ。二十歳っていう寿命でこの世を去るって」
こちらも遠回しに、あなたを好きになるつもりはないと、伝えたつもりだった。そもそも誰のことも好きにならないのだから、柊木くんにその矢印が向くことは100%確実にありえないけど。
「俺も。二十歳になって自然に死ぬって決めた」
なんて暗い話だろう。
きっと、この事情を知らない人からしたら何を馬鹿なことを言っているんだと白い目で見られるに決まっている。
「こんなに辛い思いして、みんなと違うのに馴染もうとして、馴染めなくてっていうのがこの先何十年も続くって考えると、早く解放されたいって思っちゃうな」
「わかる。理解されないってわかってるのに、一緒に生きていくなんて無理な話だよな」
今だって、体力を使うとキツネに戻ってしまうから、体育の授業に一度も参加したことがない。この時点で、みんなとの亀裂が入っているように感じていた。
きっとそれは柊木くんも同じ。彼は雨の日の屋内であれば参加できるけど、そんな日は少ないから私と同じでほとんど体育の授業は見学。
容姿端麗なのも、人口の一割に入っているということも理由の一つになるかもしれない。
「なぁ、いいこと思いついた」
私が「モテるのもしんどいよね」とぼそっと呟くと、なにか閃いたように瞳を輝かせた。
「なに?いいことって」
柊木くんの顔を見つめる。彼の顔がじわじわと赤く染まっていくのをみると、なぜか私まで伝染する。
「どうせお互いパートナー作らないなら、恋人にならない?」
「へっ!?」
思わぬ提案に、自分でも驚いてしまうほどの大きな声が口から飛び出す。
「正確には恋人のフリ?ほら、モテるってしんどいだろ?お互い女避け男避けとしてさ」
なんだ、そういうこと。
確かに恋人がいるとなると、寄り付く人も減るかもしれない。そうしたら、少しは穏やかな余生を送れるだろう。
「うん。いいよ」
「マジ?」
柊木くんは目を輝かせてこちらを見た。
相当困っていたんだろうと、その明るい表情から察することができるほど。
「私も、彼氏がいるって肩書きがあれば……。人間らしく生きていけるだろうし」
危ない。つい、話してしまうところだった。誰も知らないトラウマを、ポロッと。
「そうだな。最後に人間らしい生き方で人生を終えるのもいいな」
どこか幸せそうに、柔らかく口角を上げて窓の外を見つめていた。
柊木くんが来るまで感じていた息苦しさは、もうすっかり消えてなくなっていた。
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