終章

第75話



 光明寺の客間の上座には證、その隣に芽衣胡が座す。

 證の向かいには榎木、そして伊津。光生と秋乃は襖の内側で控えていた。


 誰も口を開こうとしない中で榎木が口を開く。


「華菜恋様は頑なにお話しくださいませんので、どうか芽衣胡様、話してくださいませんか? 二人の入れ替わりのわけを」


 芽衣胡の目が前に座る伊津を捉える。今までぼんやりとしか見えなかった顔の輪郭が分かる。伊津の瞳には芯の強さが伺えた。


 その瞳が、「話すかどうかは芽衣胡様に任せます」と言っている。


 芽衣胡は隣の證を伺う。

 視線に気付いた證が優しく笑った。


「教えてくれ。……ゆっくりでいいから」


 大丈夫、誰も君を責めないから、と證は芽衣胡の手の上に自分の手を重ねる。


「……證様、榎木さん、騙してしまって、……申し訳ございません」


 続いて伊津も申し訳ございませんでしたと芽衣胡と共に頭を下げてくれる。


「いや、謝る必要はない。むしろ君が私の元に来てくれたことには感謝しているのだ」


 ありがとうの意を込めて頭を静かに下げた芽衣胡は一度息を深く吐き出した。


「何から話せばいいのか……」


 皆が黙って芽衣胡の話しに耳を傾ける。


「わたしと、それから華菜恋は、……双子なのです」

「うん、だが万里小路の姫はひとりだと聞いている。それはどうしてだ? 姫は二人ではないのか?」

「おほん、それは私から話しましょう」


 咳払いした光生が万里小路の闇を話し始める。


「万里小路家は双子が産まれる家系のようで、双子は不吉なものだと代々受け継がれてきたようです。それで双子のうち一方、または両方を殺すことで繁栄してきたのだと聞いております。それ故に万里小路家は双子の片割れである芽衣胡を殺したのです」

「殺した? いや、だが、ここで生きているではないか?」

「はい。芽衣胡はここ光明寺に捨てられたのです。そして表向きには生まれなかったことになっております」

「捨てた? 我が子をか?」

「證様。母は、父にわたしを殺させないために光明寺へ預けてくださったのです。わたしは母のお蔭で生かされております。ですから、わたしは万里小路の姫ではなく、ここの孤児なのです。母はわたしをここに預ける時、わたしに名前をくださったそうです」

「芽衣胡と?」

「はい」


 うむ、と證は納得したような納得してないような表情で唸る。


 そんな證に向けて芽衣胡は、華菜恋と同じく二人とも殺される夢を見たことを話した。


「それは夢なのか? やけに生々しく聞こえるのだが……」

「現実だったようにも思いますし、予知夢を見たのかとも思います。本当の所はわたしにも華菜恋にも分かりません」

「それで、二人とも死ぬ未来を避けるために芽衣胡が華菜恋の身代わりになったということか?」

「はい。騙してしまい申しわふん――」


 芽衣胡の唇が、證の指に挟まれて閉じられた。


「謝るな。……謝らないでいいと言っただろう」


 しゅんと項垂れる芽衣胡を見て、證は指を離す。


「その入れ替わりは、私と君が再会するために必要だったのだ。そうだろう?」

「證様……」


 證の優しい考えに、芽衣胡の心が救われる。


 證を騙したのではない。證と芽衣胡が会うために必要なことだった。そう考えると沈んだ心が軽くなる。


「だが何故元に戻ったのだ? 芽衣胡は華菜恋の代わりを完璧に務めていただろう?」


 ここまで来たら洗いざらい喋ってしまわないと證は納得しないだろう。芽衣胡は恥ずかしそうに声を小さくする。


「ぱあてが」

「ん? 何だ?」

「ぱ、ぱあちいのダンスが」

「パーティーのダンスか?」


 こくこくと芽衣胡は視線を下に向けたまま俯く。今は誰の顔も見られない。


「ダンスがどうした?」

「證様、證様」

「なんだ榎木?」

「お寺でダンスは習いませんよ」

「あ……」


 榎木の助言によって證も気付いたらしい。


 そこに伊津が応戦する。


「でも芽衣胡様、必死に練習されたのですよ。ね? 頑張りましたよね、芽衣胡様!」

「でも、出来なかった。頑張ったけど、10日で習得など無理です」

「私のせいだ……。私が君はダンスが得意だと聞いたなどと言ったから、君を追い詰めてしまったのだろう?」

「違います。わたしが踊れなかったからです」

「でもあと数日あればきっと踊れたと思いますよ!」


 伊津の励ましに、芽衣胡は首を振る。

 無理だ。人間、向き不向きがある。


 華菜恋が得意でも、芽衣胡は不得意。

 そのようなことはきっとたくさんあるのだ。


 俯く芽衣胡の横で證は何を思ったか立ち上がった。

 皆の視線が證を向く。そのような視線などお構いなしに證は芽衣胡の腕を引き上げた。


「わわっ!」


 驚く芽衣胡の腰を支え、立ち上がらせた證は芽衣胡と向き合う。そして空いている左手で芽衣胡の手を取る。


「いち、にい、さん、いち、にい、さん。このリズムだ」

「え?」


 何を言われているのか分からなかった芽衣胡も、その姿勢が何をするためのものか思い出す。


「行くぞ。いち、にい、さん」

「いち、にい、さん」


 松若家の離れで10日間練習した足運びは、身体がまだ覚えていた。


「そうだ、上手ではないか。いち、にい、さん」


 あまり広くはない客間の中を證はどこにもぶつからないよう移動していく。


「なんだ、普通に踊れているぞ?」

「それは證様がお上手だから、あっ!」


 芽衣胡は證の足を踏み付けてしまった。しかし證は気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに笑う。


「申し訳、きゃっ!」


 すぐに謝ろうとする芽衣胡の腰を證は両手で支えて抱き上げる。


「謝るな。私の足ならいくらでも踏み付けていい。だから次は私と一緒に踊って欲しい」

「次があるのですか?」

「ああ」


 證が笑うと、芽衣胡も嬉しくなる。


「君の居場所はこれから先ずっと私の隣だ」


 證の言葉に芽衣胡の胸は苦しくなる。あまりに苦し過ぎて、泣いてしまいたくなった。

 涙で潤む瞳の横に證が口付けを落とした。


「帰ろう。一緒に帰ろう」

「はいっ!」


 一緒にという言葉があまりにも嬉しすぎた芽衣胡は、證を映すその瞳から大粒の涙をこぼした。

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