第71話
ダンスは一曲が限界だった。
腰を支える證の手は生理的に受け付けられないようで華菜恋は早く離れたくて仕方なかった。
だがダンスの優美さは身に叩き込まれており、周りから称賛の声が上がる。
證も噂通りの腕前に納得はしたが、「これは誰だ?」という疑念は強まっていた。
昨晩抱き締めて寝た彼女のぬくもりはまだ腕が覚えており、その腕がこれは別人だと言っている。
そしていい香りがすると感じた彼女からは違う香りがしている。それは白粉や化粧品の匂いかとも思ったが、それだけではないものを證はひしひしと感じていた。
控えの部屋に華菜恋を連れて行くと顔色がまた悪くなっていた。先に帰るといい、と告げると、弱々しく頷かれる。
あとは榎木に任せて会場へ戻るがパーティーが終わるまで、證の頭の半分は華菜恋のことでいっぱいだった。
顔色の悪い華菜恋を見ても庇護欲はそそられないな、と思いながら松若邸に帰る。
パーティーがお開きになったのは深夜だった。離れの寝室では華菜恋がすでに寝ているだろう。庇護欲をそそられる方の華菜恋であれば、寝ていようと関係なく帰って一番に様子を見に行こうと思ったはずなのだが。
今の華菜恋が寝ているのだと思うと、顔を出さずそっとしておいた方がいいと思ってしまう。
「どうしてしまったのか……」
證自身がどうしてしまったのか。
それとも華菜恋がどうしてしまったのか。
どちらに向けた言葉かは分からない。あるいは両方に向けた言葉かもしれない。
がしがしと頭をかくと、窓に映る目付きの悪い男が見えた。
自室の書斎で眠るのは久しぶりだと感じながら細い寝台で横になる。
「はあ、華菜恋……」
身体は疲れているはずだが一向に眠気はやって来ない。考えれば考えるほど頭が冴えていく。
今の華菜恋に違和感を覚えたのはいつだったか。
心惹かれる華菜恋と、今の華菜恋の違いはどこか。
そればかり考えてしまう。
何度目かのため息を吐いて窓の外を見ると、ゆっくり白み始めていた。
身体を起こし、部屋を出る。使用人も寝ている早朝の廊下を静かに歩いて庭に出た。
離れの見える庭まで行き、華菜恋と共に座った岩へ腰を下ろす。
ここで華菜恋の手を握り、手の甲を撫でると恥ずかしそうにされ、それから握り締める小さな手を開き、彼女の手の平を見た。
「そうだ……、手の平だ」
ばっ、と勢いよく立ち上がった證は、確認しなければならない、と早足に離れへ向かう。
華菜恋が寝ていようと関係ない。今すぐ華菜恋の手の平を確認する必要がある。
彼女が彼女である証しが、そこにあるはずなのだ。
離れの扉を開け、真っ直ぐに寝室へ行くと、寝台の上には眠る華菜恋がいた。
ぐっすり眠っている華菜恋の右手を取ると手の平を上に向ける。
「ない?」
左手の間違いかと左手も確認するが、證の求めるものは右手にも左手にも存在しない。
「君は誰だ……?」
小さな呟きが眠る華菜恋を起こす。
「ん……なに?」
眠たいのだろう華菜恋の目蓋は半分も開いていない。しかしその隙間から證を捉えることは出来た。
「きゃっ、なっ……」
乱れた胸の合わせを両手で閉じながら身を起こし、腰を後ろに下げ、證から距離を取る。
「君は、……誰だい?」
「誰? わたくしは華菜恋です」
まだ眠たい華菜恋は不機嫌にそう言う。
「違う。君ではない」
「違うと言われても、わたくしは華菜恋です」
「違う、違う違う! 華菜恋は『わたくし』と言わない!」
そう言われた華菜恋の頭がはっきりと眠りから覚める。
そして芽衣胡が自分を『わたし』と言っていたことに気付く。
「あっ」
失敗したとでも言うような華菜恋の顔を見て、證はやはりと思う。
「彼女をどこへやった? なぜ彼女と同じ顔をしている?」
答えるつもりのない華菜恋は、つんと顔を横にそらす。
「教えてくれ。彼女はどこだ? 私の華菜恋はどこにいる?」
「わたくしは貴方のものではないわ」
「君のことではない。本物の華菜恋のことだ」
「本物? 本物はわたくしよ」
「では彼女が偽物なのか?」
「芽衣胡のことを偽物だなどと言わないで!」
「彼女はメイコと言うのか?」
華菜恋ははっとして口を押さえるが、すでに芽衣胡の名前をはっきり口に出してしまった。
「違うわ、違うわ!!」
「メイコと言うのだな。今どこにいる?」
「知りません」
「君たちは同じ顔をしているが、何者なのだ?」
「言いたくありません」
「君が本物の華菜恋で、彼女は華菜恋ではなくメイコ?」
「…………」
華菜恋は口をつぐむ。
「いつから代わっていた? どうして代わった? いや、そもそも何故本物の君ではなくメイコが嫁いできた? いや待て、万里小路に女の子は一人しかいないだろう? メイコは君の姉妹ではないのか?」
矢継ぎ早の質問が止まる。
證は華菜恋から回答が来るのを諦めて寝室を出た。
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