第63話
その晩、證は「間に合った」と微笑んで離れに戻って来た。
「おかえりなさいませ。そちらは?」
證の手に大きな何かがある。
「貴女のドレスだ。立ってくれないか?」
「はい」
椅子から腰を上げた芽衣胡の身体にドレスが当てられる。
日焼けの残る顔の下で、明るい黄色の生地が芽衣胡の顔を美しく魅せている。
「やはりこの色がよく似合う」
ぶっきらぼうな所などない優しい低い声。慈しみさえ含まれているようで芽衣胡の胸がざわざわとする。
――これ以上、優しくしないでください。
つんと鼻の奥が痛くなった芽衣胡は證から顔を背けた。
「気に入らなかったか?」
「いえ……。嬉しくて」
「そうか。良かった。明日は誰よりも君が一番美しいだろう」
着飾った芽衣胡の姿を想像した證が笑みをこぼす。そしてドレスを
「食事に行こうと思っていたが、今日は遅くなった。だからこれを買って来たのだが一緒に食べるか?」
證は毎晩どこかしらに芽衣胡を連れて行っていた。何を食べさせても驚いたように喜ぶ顔の芽衣胡を見て、食事がとても美味しいと證は感じていた。
次は何を食べさせたら、この無垢な少女は顔を輝かせるだろうと、どこに連れて行くか悩む時間さえ證は楽しんでいたのだ。
證は太陽軒で無理を言って作らせたサンドイッチを円卓の上に置いた。
「これは?」
箱の中を覗き込む芽衣胡を見て、證はまた微笑む。
「たまごのサンドイッチと、それから先日食べたじゃが芋のコロツケのサンドイッチだ」
「あのコロツケがパンに挟まれているのですか?」
「ああそうだよ。食べるか?」
「はい! もう聞いただけで美味しそうです」
離れの中はすべて把握している芽衣胡は棚の上段から皿を二枚出し、證と自分の席に置く。
證がひと切れ箱から取り出し芽衣胡の皿にのせた。
「いただきます」
菱越百貨店の大食堂でいただいたクロケットも美味しかったが、太陽軒のコロツケの方が芽衣胡の舌には合った。また食べたいと願っていたコロツケを別の形で食べることが出来るなんてと喜ぶ。
――證様との最後の晩餐にはとても相応しい気がするわ。
初めて離れでいただいたのもサンドイッチ。そして最後の夜もサンドイッチ。きっと思い出の品になるだろうと、味わうようにひとくち齧る。
「……、本当に美味しいです」
たまらず、涙がほろりとこぼれてしまった。
「華菜恋? 泣くほど美味しいのか?」
「はい。美味しいです。とても、とても」
「そうか。またいつでも作らせる。なんだったら明日の夜食に作らせようか?」
「いえ。また――」
――次の機会に――そうお願いしようとして口を止める。芽衣胡に次はない。
次ここにいるのは華菜恋だ。
芽衣胡にサンドイッチを食べる次の機会はないだろう。これが人生最後にいただくサンドイッチになるのかもしれない。
そう思いながら、ひとくちひとくちを大切に噛み締めて、思い出を身に刻むようにゆっくりと味わった。
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