第60話

パーティーまであと5日。


 華菜恋は伊津からの手紙を握る。


 どうして断らなかったの、と芽衣胡を責めるのは違うだろう。京都の親戚の家に身を隠して数日しか経ってないが、優しい親戚たちに囲まれて穏やかで憂いのない日々を過ごしている。


 松若に嫁いでからは息の詰まる、心休まらない日々の連続。證の怖い目付きが本当に嫌いだった。それから姑のスズメから向けられる視線も心底不快だった。


 證の子を身籠ったあとはスズメからの嫌がらせもあった。身体にいいとすすめられた薬湯は本当に苦くて不味くて臭くて、飲む振りをして捨てたことも数度ある。


 そのような鬼の棲む家に半身である芽衣胡が、自分の身代わりになり囚われている。


 穏やかな場所でひとり、冷静になればそれがどんなに惨いことか理解できない華菜恋ではない。


「どうして芽衣胡に身代わりなどを許したの……」


 今更になって後悔する。

 次は芽衣胡が殺されるのだ。あの鬼の棲む家で。


「嫌。芽衣胡が死ぬなんて嫌よ。そのようなことになったらわたくしは自分が許せないわ」


 芽衣胡が鬼のアカシに殺される姿を想像した華菜恋は身を震わせ、そして涙をひと筋こぼす。


「華菜恋さん? どうした? 泣いてる?」


 部屋の入口には従兄弟の万里小路 武満たけみつが、心配そうな顔で立っていた。


「菓子をもらったし、一緒に食べようかと思って」

「うん、食べたいわ。あっ、猫屋の豆大福ね!」


 泣いてなどいなかったというように華菜恋は口角をあげる。

 皿の上にまるまるとした豆大福が二つ鎮座している。華菜恋の隣に腰を下ろした武満は少しだけ大きく見える方の豆大福を華菜恋に差し出す。


「はい」

「ありがとう。いただきます」


 塩味のする赤えんどう豆と、甘く炊かれたあんこが口の中で絶妙な味わいとなる。


「ん〜、猫屋の豆大福ならいくらでも食べられるわ! 毎日食べたいくらい!」

 

 悲しい顔が晴れたことに武満はほっとした。

 華菜恋の横にある手紙が視界に入り、悲しい報せでもあったのかと武満は考える。


「話したくないことなら聞かないけど、……話すことで自分の考えが整理できることもあるし、僕でも良ければいつでも聞くよ?」

「武満さん。……ありがとう」


 だが華菜恋の口には猫屋の豆大福が入っていくばかりで、言葉は何も出てこない。


 武満はいつも優しい。證のような鬼ではなく、武満のような男性と結婚できれば自分の人生も違っただろうにと、ここに来て華菜恋は何度もそう思った。


 ここは幸せだと、そう感じる。しかしその裏で、自分の身代わりに芽衣胡が不幸に身を沈めている。これ以上ない苦痛をもたらす松若家に身を投じた芽衣胡を見捨てて、ここで幸せを甘受し続けることはできない。


 華菜恋は豆大福の最後のひとくちを口に運ぶと、やはりこのままではいけないと強く思った。


「武満さん」

「なんだい?」

「わたくし明日にでも東京に帰るわ」

「やはりご家族に何かあったのかい?」

「ええ」

「一緒に行こうか? 一人では危ないだろう?」


 武満の好意は嬉しい。

 だが武満と一緒に行ってしまえば、武満はずっと華菜恋の側にいてくれるだろう。そうしたら芽衣胡と入れ替わることが出来ない。


「大丈夫よ。一人で帰れるわ」

「それでは、汽車の切符を買ってきてあげるよ。それくらいはさせてくれ。心配だから……」

「ありがとう武満さん」


 武満の出て行った部屋で華菜恋は筆をとる。


 『パーティーにはわたくしが出るわ』

 そう一筆したためて、すぐに手紙を出した。


 それから荷造りをする。大好きな着物と洋服をたくさん持って来ていたが、全てを持ち帰るのは難しいだろう。気に入りのものを数着、大きな鞄に詰め、大きく息を吸う。


 鬼ヶ島に向かう桃太郎にでもなったようだと華菜恋は思った。

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