第41話

「今宵はここで食事にしよう」


 目の前にあるのは洋食屋。證馴染みの【太陽軒】である。改元した年に店を開き、まだ数年。


 透明硝子窓の向こうにはそこかしこで笑顔が咲いている。


 證が扉を引くと、ベルがチリンと鳴る。


 どのような所に連れて来られたかまだ分かっていない芽衣胡の目に茶色の優しい光が広がった。松若家のように無駄に眩しい光ではない。暖かさに包まれた春のような光と秋のような色が芽衣胡の視界を優しく彩る。


 広くはない店内。二人掛けと四人掛けの円卓が両手指で数えられるほど。


 證は迷うことなく右奥に向かうと一番奥の二人掛けの席で止まった。

 椅子をひとつ引くと、腕にのる小さな手を導いて椅子と円卓の間へ。


「座りなさい」


 證にそう言われた芽衣胡の膝裏に何かが当たる感触。それが椅子だと分かり芽衣胡は静かに腰を低くし、お尻を落とす前に指先で座面を確認する。


 確かにそこに椅子があるのだと理解した芽衣胡が座ると、證も向かいの椅子に座った。


「何が食べたい」


 緊張する芽衣胡に掛けられた声は、ややぶっきらぼうに聞こえるが冷たさはなかった。


 證は品書きを芽衣胡に見せるが芽衣胡には小さな文字など見えない。否、見えた所で読み書き出来ない芽衣胡には何が書いてあるのか分からないのだ。


「ええ、と……」


 言葉に詰まる芽衣胡に、證は抑揚のない声で質問する。


「たまごは好きか?」

「はい」


 たまごと聞いて芽衣胡の脳裡にサンドイッチが浮かんだ。またサンドイッチを食べることが出来るのかと期待するが、どうやらそうではないらしい。


「オムライスでいいか?」


 おむ、と口の中で繰り返した芽衣胡は急いで首を縦に二度振った。


 店員を呼んだ證がオムライスを二つ注文する声を聞きながら、芽衣胡は緊張と期待に胸が膨らんでいく。


 注文したものが来るまで十分はあっただろうか。


 その間、證は口を一度も開かなかった。だから芽衣胡も黙っていた。だが芽衣胡は證から向けられる視線は感じていた。

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