第6話
ペアコーデをするのは、クラスで二組だった。
女子同士のペアのヘンゼルとグレーテル。あとは私たちのシンデレラ。
それにしても、衣装合わせというのは、なんともきらびやかな空間。
「なっちゃんと山戸くんいい感じ!」
ちょうどピッタリの衣装を身につけて謙介くんの隣に立つ。売り物に比べたら簡易的なのは見て取れるけど、それがむしろ学生らしくていい味を出している。
「動きやすいように、ドレスは膝下くらいの丈にしてみたんだけど、良かったかな?」
自分の衣装は全部丸投げしていた時点で文句は言えないし、もう治すに直せないけど、親切心で聞いてくれる。
「新鮮で可愛くて、私は好きだよ」
白が多く含まれた水色の、光沢感のあるドレス。そこからちらりと見える白いレースが、ここにしかない特別なものの印みたいで胸が踊る。
「よかった。山戸くんは?どう?」
「……そりゃあ、可愛いし誰よりも似合ってる」
まっすぐ私を見て言う謙介くんの返事を聞いて、家庭部のその子は焦って照れて、言葉に困っていた。
「それは、よかったんだけど、その……」
「……あー……。僕の着心地のこと?」
ハッと気づいた謙介くんも、顔を真っ赤に染めながら「動きやすくて、うん、バッチリ」と軽く身体を動かしながら答えた。
「イチャイチャすんなよ」
謙介くんの友達が、彼の肩を一度叩いて冷やかしている。私の隣では茉那がニヤニヤしながら「よかったね」とつぶやいた。
完全に恋心がバレているのが恥ずかしくて、「そんなんじゃないよ」と小声で言い返す。
そのあとまた制服に着替えて、内装の準備を数日かけて終わらせると、とうとう文化祭当日がやってきた。
他校の人が来たり、両親が見に来る家庭もある。授業がある日常の学校でも人が多いと感じるのに、廊下を歩くのも躊躇してしまうくらい人がごったがえしている。
「これ一番さん!」
「六番さんの注文置いとくね!」
「ご注文お伺いします」
童話のゆったりとした時間が流れるあの雰囲気を味わう時間もないほど、当番の時間は忙しくて、教室でこんなに動き回ることは今回が初めてだ。
「シンデレラペア!ちょっと集客行ってきて」
空席は目立たないはずなのに、文化祭実行委員が集客から戻ってきたヘンゼルとグレーテルの二人が持っていた看板を私たちに押し付けて持ち場へ戻って行った。
「緋鞠、行こう」
何食わぬ顔で手を取られ、握られる。謙介くんと手を繋ぐのは、二回目。杏鈴と繋ぐときとは違う、大きくて骨ばっている男の子の手。
「勘違いされちゃうよ?」
「お姫様と王子様が手を繋ぐのは普通のことだよ」
教室を出て、人混みの中を歩く。人が多いところを通るたび、謙介くんが私の手を強く握る。
誰にでもこういうことをするのだろうか。そういう理由があれば、簡単に女の子の手を取るの?
「外出る?」
「えっ」
「なんか、しんどそうだし。新鮮な空気吸いに行こう」
階段を降りて、昇降口から外に出る。
陽の光が眩しくて、なんだか私とは正反対な世界がそこにあるような気がした。こんな私が存在してはいけないような、明るいことに満ちた世界が。
忙しなく動いているときは考えなくて良かったけど、最近の私は暗い。ジメジメした場所で生きる苔みたいに、なめくじみたいに生きている。こんな私が嫌になる。こんな、好きな人と行動を共にするときでさえ、気を遣わせるほどどんよりしている自分のことが。
「ちょっとここで座ってて」
誰もいない部活用の倉庫に置いてあるマットに座らせられると、謙介くんは看板を置いてまた外へ出ていった。
足元は、シンデレラらしからぬ革靴のローファー。謙介くんに関しては、スニーカー。
これが現実。
校舎に入るとまたお姫様に戻るけど、それも今日だけの特別で、ずっと謙介くんの隣にいるなんてできっこない。そう思うと、不意に涙が流れた。
ポケットのない衣装でハンカチを持ち合わせているはずもなく、それはただ流れて床へと落ちた。止めようと拭っても、ずっとテロテロな素材の手袋が吸い取っていくだけ。
「おまたせ」
謙介くんが戻ってくる前にやっとの思いで止めた涙は、彼の余計に心配そうな顔で、止めたけどバレたんだろうなと察することが出来る。
「水買ってきた」
キャップを開けて渡してくれるその水を喉に流し込む。ひんやりした温度が心地よかった。
「ごめんね。ありがとう」
「気にすんな。僕はいつでも緋鞠の味方だから」
何があったか、何もないのだけど、深入りしてこない優しさについ甘えてしまう。
「好き」
思いが、溢れてしまった。
顔が熱い。きっと買ったばかりの水でも冷やしきれないほど、熱い。
「えっ」
「ごめん、先戻るね!」
「ちょっと!緋鞠!」
呼ばれるのを無視して、扉を閉めて走った。
フリルが多いスカートだから、ただでさえ足が遅いのに、上手く走れない。逃げるように校舎に入り、ローファーからガラス風の靴に履き替えて階段をかけ上がる。
履きなれないヒールの靴だから、カポッと片足が本物のシンデレラみたいに脱げて落ちてしまった。
「緋鞠、待って」
微かに声が聞こえている中で取りに戻る暇なんてあるわけもなく、足の高さの差に苦戦しながらまた走る。
「王子様!シンデレラの靴、落ちてるよ!」
不親切にも、誰かが謙介くんにそう伝えている声が聞こえた。集客のための演技だと思っているのだろうか。それなら、ここからが大事な章のスタートになるのだから、そのまま置きっぱなしにするのが理想だけど。
「ありがとう!」
綺麗に通る声で、そう口にするのが私の耳にも届いた。
「緋鞠っ」
人気の少ない場所にたどり着いたとき、私の腕を掴んだ。一瞬ひやっと冷たくて、そのあとじわじわ体温を感じる。
「ごめん、水持ってたから冷たいよね」
パッと手を離された瞬間また走り出そうとしたけど、読まれてまた捕まった。
「靴、脱ぎっぱなしだと危ないですよ、シンデレラ」
そう、私の足元にさっき脱ぎ捨ててきた片足を置き、すっぽりと足を収納した。それがなんだか手馴れているように見えて、また気分が落ちた。
今まで、いくら好きでも、謙介くんが女の子と関わっていてもこんなに暗くなることなんてなかったのに。
「なんでそんなに優しくしてくれるの?」
聞くと、不思議そうな顔をした。
「緋鞠と同じ理由だよ、きっと」
「僕ね、」
私が口を挟む暇も与えないまま、きっと返事をしようとしている。さっきの、事故のような告白に。
「待って。まだ、返事しないで。もうちょっと。覚悟が出来たら、ちゃんと聞いてほしいから」
先延ばしにしたくて、そんなことを言った。謙介くんに思いを伝える、その覚悟をしなければいけない理由を、本人の前で作ってしまった。
「じゃあ、待ってる。いくらでも待てるから」
謙介くんはまるで本物の王子様のように跪き、私の手の甲にそっとキスをした。
「戻ろっか」
立ち上がった謙介くんの隣、こんどは温もりを感じずに歩く。
「すいません、写真部なんですけど」
下りの階段に差し掛かったとき、曲がり角の影からひょっこり現れた男の子が立派なカメラを首から提げて私たちに声をかけた。
「なんですか?」
「この写真、文化祭の写真コーナーに飾ってもいいですか?」
ちゃちゃっとカメラをいじって見せてもらった写真は、ついさっき、手の甲にキスを落とす王子様とその温度を受け取るシンデレラが映っていた。窓から入る光も、しんとした教室が並ぶ静寂な廊下も、全てが私たちを引き立てる。そんなプロが撮ったのかと思うような一枚がそこにあった。
「緋鞠は?いい?」
「謙介くんがいいなら……」
私の返事を聞いて、男の子に二つ返事で許可をしたあと、「その写真をデータでもらいたいんだけど、いいかな?」とお願いして連絡先を交換していた。
「あとで見に行こう」
「うん」
口約束をしたけど、教室に戻ると想像以上にバタバタしていて、結局男の子が撮った写真を見に行くことはできなかった。
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