第27話

桐也が祠に閉じ込められていた少女を助けたのは、自分が後悔したくなかったからだ。

 助けずに帰れば、桐也はきっと後悔するだろう。


 あの時、こうしていれば。

 あの日、ああしていたら。


 きっと後悔して、うじうじ悩む日が続くのだ。悩むくらいならば行動すればいい。それが失敗に繋がる結果だとしてもやらないよりましだと桐也は考える。


 安治が少女に投げる言葉は、かつて義母が桐也に投げた言葉と同じであった。


 全て己が悪いのだとそう思わされる言葉に背筋が粟立つ。


 助けた少女は「たべて」と桐也にしがみついて懇願した。意味を図り兼ねたが、それはきっと殺してほしいという意味だったのだろう。

 

 人生を諦めた者の瞳だった。


 桐也は確かに同情したのだ。そして少女の悲しみに同調してしまう。


 少女を助ければ、幼き自分をも助けられる気がして……。そのようなわけはないのに、それでも桐也は必死で助けた。


 少女が自分を必要とすることで、桐也は空っぽの中身が埋まるような心地よさを得ていた。

 喉の渇きが癒されるように、胸の奥底が温かな空気で満たされる。


 ――そうか。私は必要とされたかったのだ。


 得心した。

 これまでいつも誰かのために行動することばかりで、桐也自身を求められることなどなかった。


「きいや」


 幼女のように口の動きがたどたどしい少女が桐也の名前を嬉しそうに呼ぶ。それがたまらなく愛おしい。


 温乃が桐也の服をきゅっと掴むたびに、えも言われぬ幸福感に満たされる。

 それは日毎に独占欲へと姿を変えていく。


 温乃を甘やかして、桐也の腕の中から出られないようにしたかった。桐也なしでは生きられないように甘く溶かして閉じ込めておきたかった。


 それなのに、温乃は春来山に戻ると言い出した。


 ――なぜだ? 必要としていだろう私のことを? 私はもう必要ないというのか?  


 温乃の言葉に桐也は確かに打ちのめされた。


「ずっと一緒だと、そう言ったのに、……温乃は私から離れるのかい?」


 温乃だけは手放しはしない。

 心の空洞を埋めてくれる温乃だけがずっと側にいてくれたら、後は要らないのに。


 なのに温乃は桐也の気持ちを捨てて、ひとり春来山に帰ってしまった。


「なぜだ! 温乃を迎えに行く」

「桐也様、お待ちください」

「早川、お前は知っていたのだな?」


 伽藍とした部屋を見て唖然とする桐也とは対照的に、早川はどこまでも落ち着いていた。

 これから桐也をなだめるための言葉も数通り用意してあるのだろう。


「すぐに商談です。忘れものがあると家に取りに戻られただけでしょう? すぐに先方へ向かいますよ」


 忘れ物といっても愛用の万年筆を机に忘れてきただけのこと。普段であれば取りに戻らない。

 しかし今日だけはどうしても取りに戻らなければならないと思ったのだ。

 時間がないと渋る早川にも無理に頼んで家に寄ってもらった。


「行くぞ」


 書類が入った封筒を投げ捨てて、走って外へ出る。


「お待ちください」

「温乃を連れ戻す」

「あの子を幸せにできると本当に思っているのですかっ!」


 桐也は早川の顔も見ずに駅へ走った。

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