8、帝都男子は必要とされたい

第25話

「もっとのんびりした所で余生を過ごしたいわ。そうね……、海とか見える場所もいいわね」


 はじまりは、霧野のその言葉だった。

 

「そろそろ、あの季節ではないかしら?」


 病室から窓の外をのぞむ。染井吉野がつぼみをつけ始めている。


「たらの芽、ですか?」

「そう! 天ぷらにして食べたいわ。たけのこと、ふきはお浸しにして、それからせりとかつお節をごはんに混ぜて、三つ葉はだしと卵でとじて、うどはやっぱり酢味噌でいただきたいわね」


 霧野が好物の山菜が美味しい時季になる。

 余生を過ごすなら、海より山の方が楽しく暮らせるのではないだろうかと桐也は考えた。


 だが母の願いは叶えたい。

 山から海が見える場所。そんな所はないかもしれない。あったとしても、のんびりと暮らせるような所ではないかもしれない。

 出来れば気候が穏やかで、空気が美味しいところがいいだろう。


 条件を頭の中で箇条書きにしていく。


 北よりも、南。

 まずは帝都から西の地図を開いた。


 目ぼしい場所をいくつか挙げて、父の尚人に相談を持ちかける。


 しかし尚人は是とも言わずに口を横に引き結んだ。

 長い時間黙考した末に、尚人は桐也に条件を出す。


「桐也が、直哉との勝負で勝てば許そう」

「勝負でございますか?」

「次のホテル建設地の立案で優劣を競う」


 詳細については後日、と言って退室させられた。


「ホテル? 建設地は今まで父上の一存で決めてこられたのに?」


 この勝負の思惑は何だろうかと考える。

 廊下に控えていた早川も首をひねった。


 すでに後継者と決まっている直哉と勝負しなければならない理由は何だろうか。

 庶子である桐也はいつだって嫡子である直哉を立てるように一歩引いていた。直哉より秀でていてはいけないと、直哉と同じことは絶対に手を出さない。


 きっと直哉と同じ道を進めば横に並んでしまうからだ。

 横に並んで己の力を誤魔化すより、別の道を歩めばいいと思っていた。


 尚人の仕事の手伝いはするが、それは全て直哉の仕事とは関係ないものを選んでいた。


 それがここにきて同じ道に立ち優劣を競うとはいかがなものか。


「旦那様は桐也様を試しておいでなのでしょう」

「試す?」

「甘やかされて育った直哉様はあまり良い噂を聞きません。後継者から外したいと思われたのでは?」

「直哉を後継者から外してどうするのだ?」


 早川が面食らった顔をしている。


「どうすると? 決まっているではありませんか、力量を正当に評価されて桐也様が後継者となるのです。加藤家の主となれば家の権限は全て桐也様の手に入ります。お母上様のことも憂うことなく自由にさせてあげられますね」


 後継者になる気などさらさらなかった。しかし早川の言が桐也の心を動かす。


「母上を、自由に?」


 芸妓の霧野は、尚人の気まぐれで手をつけられた。霧野が身籠ったことなど知らずに、それ以後顔を見せることもなかったという。

 幼い桐也には、父親は亡くなったのだと言い聞かせられていた。


 しかし桐也が五つの時、突然尚人は現れた。


『私の血をひく男児よ』


 尚人は喜ばしい顔をして桐也を母から切り離した。霧野は置いて、桐也だけを連れていく。それは拐うも同然だった。


 桐也が泣いても、霧野が泣いていても、誰も取り合わない。


「今日からこれがお前の母だ」


 紹介された義母はにこりとも笑わない。尚人の後ろで嫌悪をあらわにめつけていた。


 義母は尚人の見ていないところで桐也を貶める。


「芸妓の子などを家に入れては、加藤家が穢れます。早く出ておいきなさい」

「全く作法もなっていないわ。ああ、食事が美味しくなくなってしまったわ、お前のせいで」

「ああ気分が悪いわ。ああお前が同じ家にいるからだわ。いなくなってしまえばよいものを」


 桐也をみれば、悪口のひとつでも言わなければ済まないようで日増しに義母の口は酷くなっていく。


 幼い桐也には、自分が悪いのだと思うしかなかった。

 実母とも会えず鬱々とした日々を過ごしていた桐也の前に、桐也をここへ連れてきた張本人が仁王立ちする。


「桐也よ、しばらく早川の家で暮らすのだ」


 尚人はとうとう桐也を加藤邸から追い出した。


 尚人の言う「早川」は尚人の学生時代からの知己である。

 子どものいない早川と、早川夫人は快く桐也を迎え入れてくれた。


 そこで紹介されたのが二つ年上のトオルだった。


 トオルは元々孤児で、育児院から養子としてこの度、迎え入れられたのだと聞いた。


 これは後になって分かったことだが、早川と夫人は桐也のための遊び相手としてトオルを用意してくれたのだ。


 トオルは頭がよく真面目で、遊び相手としては物足りないこともあったが、桐也の面倒はよく見てくれた。


 育児院には子どもがたくさんいて、年上は年下の面倒を見る決まりなのだとトオルは教えてくれる。


 トオルは自分が読む本を桐也のために音読してくれた。桐也が読めない文字はトオルが丁寧に教えてくれる。


 桐也の子守であるトオルが勉強好きなお陰で、二人の遊び時間は勉学に関することが増えていった。

 

 桐也は早々と将棋を覚え、大人の早川と互角にさすようになる。

 桐也とトオルは切磋琢磨し、お互いが良い好敵手となっていた。


 しかし桐也が中学校へ上がるという時になって、また尚人は桐也を引き取りにきた。


 今度はトオルと離されるのか――そう落胆した。霧野と離された時、泣いても喚いても無理矢理に連れて行かれた記憶がよみがえる。

 

 だがあの時のような何も出来ない幼子ではない。


「父上は私に何をお望みなのですか?」


 桐也は泣くことなく、はっきりとそう尋ねた。


 表情をあまり変えない尚人が、わずかに目をみはったのを桐也は見逃さなかった。


「頼もしくなったのだな」


 何を望んでいるのかと聞いた、その問いへの答えはない。


 だが何かしら桐也への展望があるから引き取りにきたのだろう。

 トオルのお陰で聡い子に育った桐也は尚人に条件を出す。その条件が飲まれるか、飲まれないかは分からないが、尚人に聞く耳があるのなら加藤邸に戻ってやってもいいと思った。


「私を加藤家に連れて帰るならば、一度母と会わせてください。それから母の生涯の面倒を見るとお約束ください」


 一つ目の条件はさておき、二つ目の条件は鼻で笑われるかもしれない。


 ――たかが芸妓ごときの面倒を見ろと言うのか? 


 返ってくるだろう言葉を想像して背筋が冷えた。

 

「帝国大学卒業」


 尚人から返ってきた言葉に桐也は眉を寄せる。


「それが最低条件だ。先ずは会わせてやろう。それから入学までは金銭の援助は約束する。その後はお前次第だ。よく励め」


 尚人の眼差しから「期待している」と言われているようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る