第23話
紋次郎の叫び声を聞きながら落ちた温乃は衝撃を覚悟したものの、なぜかふわふわしたものに包まれていた。
「君、とても勢いよく落ちてきたね? 大丈夫なの?」
温乃の手に触れているのは白い毛だった。
「うさぎ?」
「そうだよ。本当においらを助けに来てくれたんだ。また会えて嬉しいよ」
「うさぎ!」
感動の再会に水を差すように紋次郎の声が上から落ちてくる。
「温乃さん~! 無事ですか~!」
「もんじ!」
「あっ! ご無事なんですね。良かった~。どうやら山が削れている場所のようですよ。こちらに戻ってこれ、ないですよね? 紐か縄か探して参りますのでお待ちください」
紋次郎の足音がタタタと聞こえた後にはもうしんと静かになっていた。
「うさぎ、……いたい?」
「うん。足が痛い」
うさぎの言葉に昔かわしたやり取りが思い出される。
「『そうだね』」
「『いたいよ』」
「『しかたない』」
ふふ、と温乃はおかしくて笑ってしまった。
「なんだ君、笑えるじゃないか」
「あたし、きようさま、ちがうから」
きようさまではなく、人間だから笑ってもいいのだと言いたかった。
「あのね、なまえ、はるの」
温乃は頬を上げたまま、名乗る。
「そうか。優しい名前をもらったんだね」
「うん。くすりのおしごと、できるよ」
袂に入れていた乳鉢と乳棒を出してうさぎに見せる。ちょうど、月明かりが差して温乃の手元を照らす。
しかし温乃は下敷きにしたままのうさぎの姿がはっきりと見えてとても驚いた。
「おおきいね!」
温乃の膝に寝転んでいたうさぎは、温乃よりも大きくなっていた。むしろうさぎの身体の上に温乃が寝転んでもすっぽりと収まってしまうほどの大きさだった。
「いっぱいたべた?」
「ははは。そうかもしれないね。でもね、おいらは今、君の知っている白兎ではなく白狼なんだ。分かる?」
理解できず温乃は首を傾げた。
「白兎と白狼の間に、白蝶だったときもあるけどね」
温乃の脳裡に祠の中に迷い込んできた白蝶が思い出される。
「ちょうちょ?」
「どうしてか虫になると会話ができないらしい。四つ足もんだと喋れるのになあ……」
「ずっといっしょ、だった?」
「そうだよ。白兎が消えた後は白蝶になって君をずっと見守っていた。いや、君だけじゃない。ずっとずっと、きようさまを見守ってきた」
「まえの、きようさま、しってる?」
「もちろんさ。前のきようさまはあずきババの妹だったよ。その前のきようさまはあずきババの祖父の姉だったね。まだその前も知ってる。きようさまとなった女性のことはみんな知っているよ」
うさぎ――ではなく白狼の声が悲しみに染まる。
「どうして――」
泣いてるの、と問おうとしたが、白狼の大きな瞳がとても綺麗で言葉とともに吸い込まれた。
「ねえ、とっても痛いんだ。薬を作ってくれる?」
「へ?」
温乃は引き戻されるのに時間が掛かった。白狼が優しく笑う。
「薬草はその辺に散らばってるはずなんだけど」
「え?」
散らばっているとはどういうことだろうかという疑問に白狼は真面目に答えた。
「鳥たちにお願いして摘んできてもらったんだよ。君が来るから薬を作ってもらおうと思って」
「あたし、こなかったら?」
「ん~~、このまま野垂れ死んでいたかもね。まあでも、もう数日は大丈夫だよ。鳥たちが木の実も一緒に運んできてくれるから。でもさ、ほんのちょっとの木の実じゃこの腹は満たせないんだよ。身体が大きいというのも考えものだね?」
「あ……」
温乃は汽車の中で食べた握り飯の残りを持っていたことを思い出す。
「ごはん、たべる?」
乳鉢を入れていた右袖ではなく、左袖の袂から笹包みを取り出した。
「おいらが食べてもいいの?」
温乃はうんうんと頷きながら笹の包みを開いて握り飯を差し出した。
白狼が口を大きく開く。大きな牙が見えたが、温乃は躊躇することなく大きな口に握り飯を放り込んだ。
もぐもぐと大きな口が動いて、にかっと笑った。
「うまい! 馳走になった」
「うん。……あ、いたいの、あしみせて?」
「ああ」
白狼は左の足だと教えてくれる。
「ここを崩したのはおいらだよ。雨のせいで緩くなっていた地面に思い切り踏み込んでしまって、そのまま崩れ落ちてしまったんだ。その時に足を挫いてしまったみたいでね。擦り傷の方の血はすでに止まっているかな」
月明かりの下で見る白い脚には茶黒くこびりついた血がそのままになっている。一度綺麗に洗ったほうがいいのだろうが、水などない。
足を挫いたというが温乃は医者ではないため、どうして良いか分からない。だがここに散乱する薬草を潰しただけでいいのなら温乃にもできそうだった。
温乃の師匠はうさぎなのだから、それでいいのだろう。
月明かりが差しているうちに薬草を拾い集める。乳鉢に薬草を入れては、這って移動して、また薬草を集める。
十分に集まったところで温乃は薬作りを始めた。
うさぎ、いや白狼を助けるためにここまで来たのだ。温乃は驚異の集中力で薬を作り上げる。白狼が呑気に欠伸をしていたことにも気付かなかった。
「できた! ぬりぬりする」
「ああ、頼むよ」
濃緑のすり潰した薬草を指で取り、白狼の患部に塗り込んでいく。
白狼は時々「もう少し上も」とか「ちょっと左の方も」と指示してくれた。
全てを塗り終える。
「やはり君の作る薬は良いな。なんだか早く治りそうな気分だよ」
早く治ってくれるならば温乃も嬉しいと思う。
「その指についている汁を温乃の足にも塗ってみたらどう?」
良い考えだね、というように温乃は首を縦に振った。
指の汁は垂れ、手の平が緑色に染まっている。その手で右の足首を優しく包んだ。
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