第12話
温乃は初めて湯に入れられて驚いた。
「いけません、暴れないで! 待って、待ちなさい! 落ち着いて!!」
裸の温乃を抱えるのはシヅである。シヅが一度動きを止めて、それから温乃が落ち着くようにと抱き締めてくれる。
温乃にとって年若い女性は加代と若奥様を想像して怖くなってしまうが、タマとシヅに対してはそれほど恐怖はなかった。
タマは五十半ば。シヅは四十前半。
シヅは片手で大根を五本は軽々抱えるほどの骨太な女だった。
温乃の背中や足にある痣や古い傷を見て、タマもシヅも顔をしかめる。
「大丈夫よ。痛いことはしないから」
その言葉を聞いて温乃は少しだけ落ち着くことができた。
「今から温かいお湯に入るのよ、ゆっくり入ってみましょう?」
シヅの優しい声に温乃はしぶしぶ頷いて、それから時間を掛けて身体の隅々まで綺麗に磨かれたのだった。
菖蒲の花が描かれた浴衣を着せてもらった温乃はシヅに抱えられて、ある一室に連れて行かれた。
「失礼します」
「入ってくれ」
部屋の中から桐也の声が聞こえて温乃は嬉しくなる。
シヅが襖を開けると、そこはこじんまりとした部屋だった。
桐也が襖の前まで来て「おいで」と手を伸ばす。温乃はその腕に戻るのが当たり前のように桐也の首に手を回して抱えられた。
「胃に優しいものと、甘いものを用意してほしい」
「かしこまりました」
シヅが下がり、襖が静かに閉められる。
「石鹸のいい匂いがするな。気持ちよかっただろう風呂は?」
温乃はどう答えていいか分からず眉根がわずかに寄った。
桐也が大きな台に腰を下ろす。椅子かと思ったが、桐也に寝台だと教えられた。
「昔、私が使っていた部屋なんだ。本来の部屋は二階にあるのだが、……まあなんというか上は居心地が悪くてここを使っていたんだよ。ここの隣が台所になるから、一日中うるさいかもしれないが、タマもシヅも呼べばすぐに来るから安心してここを使うといいよ」
温乃の眉間を桐也が指で撫でる。最後の一言こそ桐也が伝えたい思いだったのかもしれないと、温乃は肩の力を抜いた。全身強張っていたのだろう。詰めていた息も抜けていく。
「次は私が風呂に行ってくる。その間、ここにタマかシヅを呼ぶが、どちらがいい?」
桐也以外は要らないと温乃は首を横に振った。
「一人で待てるかい?」
コクコクと温乃は頷く。
「何か必要なものがあるだろうか?」
温乃は今度は首を横に振った。でも本当は桐也が必要だと言いたい。だけど我慢する。それを言ったらきっと桐也は困った顔をするだろうから。
桐也を困らせるのは本望ではない。
桐也は『気持ちよかっただろう風呂は』と言った。そう言ったということは桐也はあの恐怖の湯が好きなのだ。それを邪魔しては嫌われてしまうかもしれない。
一人きりで待つのは慣れている。大丈夫だ。
それよりも桐也に嫌われるほうがよっぽど怖い。
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