第11話

タマと、もう一人信頼のおける女中シヅに任せて、温乃を湯に入れてもらう。

 ふんどし一枚の桐也は、紋次郎に持って来させた浴衣を軽く羽織って縁側に腰掛けた。温乃が湯から上がるまでしばらく時間が掛かるだろう。

 少ししてから紋次郎が茶と饅頭を運んでくる。


「お召し上がりになりますか?」

「いただこう」


 紋次郎がお盆を置く。


「仕事に戻りますので、ご用の際にはお呼びください」

「ああ」


 頭を下げて戻っていく紋次郎から視線を饅頭に映す。『猫屋ねこや』の茶饅頭だ。中は甘さ控えめのこし餡がぎっしり詰まっている。大きな口を開ければひと口で食べることもできるが、桐也は半分かじって、それから緑茶に口をつけた。


 バタバタと、自己主張の激しい足音が近付いてくる。

 足音の主の顔を確認する前に桐也は辟易しながら残りの饅頭を口に入れる。


「下見に行ったのだろう? どうだった? 成果などなかったのだろう?」


 莫迦にするような視線を向けるのは桐也の義兄。名前を直哉なおやという。


「今回は……」

「お前の方は収穫なしか! はっ、今度もまた俺の勝ちだな」

 

 直哉は鼻で笑いながら胸を反らした。

 桐也はこの義兄のことが嫌いではないが、この勝負にだけはどうしても勝ちたいと思っている。

 どうでもいいと思っているものなら、大抵のことは義兄に譲るのだが今回ばかりは最後まで引きさがりたくない。


「まだ勝負は決まっておりません」

「そうだお前、ゴミを持って帰ったらしいな~」

「ゴミ、とは?」

「汚い娘を抱えて帰ってきたと水戸みとから報告を受けたぞ」


 仁王立ちの直哉は、縁側に座る桐也を不遜な態度で見下ろした。

 水戸とは家令の名である。水戸は直哉を我が子のように可愛がっている。その水戸の甘やかしが、傲岸不遜な直哉を作ったといっても過言ではないだろう。

 この家で直哉の態度について意見を言えるのは父親である尚人なおひとくらいだ。


 桐也と直哉の父は、尚人である。

 しかし母が違う。異母兄弟なのだ。


 直哉は正妻の子。

 対して桐也は妾の子。それも芸妓の子であるゆえ、直哉と正妻からは汚らわしいと疎まれている。


 だからなのだろうか。桐也は弱い立場の者を放っておけないのだ。


「あの子はゴミではありません」

「ああそうか。ゴミはお前のほうだったな!」


 おかしそうに大笑いした直哉は興味がなくなったのか、また主張激しい足音を廊下に響かせて戻っていった。


「はあ~。相手をするのが疲れる。あれで加藤家の嫡男だぞ? いいのか、あれが父上の後を継いでも?」

「良くはないでしょうね」


 桐也が声の方の顔を向ければ庭の方から早川が現れる。


「所用は済んだのか?」

「はい」


 早川は風呂敷包みを抱えている。


「何をしてきた?」

「古着屋で、着物を用立てて参りました」

「早川の着物か?」


 早川は背広を着ることが多い。着物を着る用事でもあるのだろうかと思った。


「私のではございません」

「では誰のだ?」

「温乃様がご入用でしょう」


 桐也は、はっとした。


「早川! お前は賢いな!!」

「光栄にございます」

「私はそこまで頭が回らなかったぞ。……だからか、責任を持てとタマが強く言ったのは……」


 表向きはタマの孫として屋敷に置くとしても、タマや使用人が大事に着ている着物を奪うわけにはいくまい。それに他にも女性には必要なものがあるに違いない。そのことに桐也は考えが及んでいなかったことを反省する。


「温乃様はどちらに?」


 桐也は右手の人差し指で左側を示した。そちらにあるのは風呂場である。


「タマとシヅに任せている。男手が必要だと紋次郎を合わせたら怖がられた」

「あの紋次郎を怖がる者がいるのですね」


 紋次郎は万人に好かれる愛嬌のある男だ。この屋敷の使用人たちにも、出入りの商人にも可愛がられている。


「相撲が悪かったな」

「相撲? もしかして桐也様、豪快に投げ飛ばされましたね?」

「はははは」

「全く……。しかし桐也様が仕事に出る間は、タマも困るでしょう。なにせ温乃様は歩けませんから」

「どうにかしないといけないな……」

「どこに行くにも連れて行くしかありませんね。ください」

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