第3話

「それにしても酷い雨だ。風もだんだんと強くなっている……。野分か……?」


 祠の壁板や屋根がいつ飛んでもおかしくないほどの風雨。

 雷が瞬く。風が叫ぶ。雨が怒る。祠が泣いている。


「君の……、家族は?」


 両親が心配しているのでは、と桐也は問う。

 それに少女は一瞬身を固くして、それから首を横に振った。


「そうか、すまない」


 触れてはいけないことだったかもしれぬ、と桐也は自分の質問が配慮の欠けたものだと悔いた。

 その時、とてつもなく大きな音が響くと同時に祠の扉が外側に向いて開き、そして吹き飛んでしまった。

 横殴りの雨が祠内に容赦なく侵入してくる。


「おおっと……、これはいけない。少し待っていてくれるかい?」


 桐也が立ち上がろうとすると、少女が桐也の袖をきゅっと握った。


「大丈夫。ちょっと見てくるだけだから。ね?」


 少女の肩に優しく手をのせると、袖を掴んでいた少女の指が震えながら離れていく。


 桐也は今度こそ立ち上がると、ぽっかりと口を開けて風雨を吸い込む入口の外に顔を出した。

 容赦なく打ち付ける雨に、一瞬で頭が重くなる。


 刹那、まばゆい光と地を割く轟音が祠を襲う。

 桐也が少女を振り返ると、確かに少女と目が合った。


 おびえているのに何故か美しく、その瞳に惹かれる。

 少女が床を這いつくばって桐也の足に縋りついた。


「山神様っ!」


 少女はそう言って、桐也にこいねがう。

 


「やま、がみ? いや、……私は――」

「山神様っ」

「いや、だから」


 困惑する桐也をよそに少女は「山神様」と何度も繰り返す。


「落ち着いて、大丈夫だから。ね?」


 すると少女は桐也の足から離れ、そして平身低頭した。


「山神様! あたしを食べて!」

「食べる?」

「山神様! 早くっ! 早く食べてっ!!」


 必死の懇願に桐也はたじろぐ。


「いや、待て、落ち着け……落ち着きなさい」


 落ち着いていないのは桐也も同じ。自分が先に落ち着き状況を把握すべきだと思うのだが、鼓動がうるさくなるばかり。


「早く食べて……早くあたしを殺して」


 殺すとは何だ、と桐也はその日一番の衝撃を受ける。


「殺さないし、食べない。落ち着いて、ね? 落ち着いて――」

「そうじゃ! 落ち着くのじゃ! こやつはきようさまを誑かす狐狸の類。決して山神様などにはあらず。騙されてはいかん!」


 いつの間に入口に、仁王立ちした男がいる。激しい雷雨のせいで足音に気付かなっかったのだ。

 男は背こそ桐也より低く見えるが、短い着物の袖からのぞく腕はたくましく、胸板も厚い。

 その後ろから桐也の名前を呼ぶ声がした。


「早川か?」

「桐也様っ。ご無事で!」


 男の後ろに早川が見える。


「祠に入るでない。お前もだ! 穢れた身で結界内に入り、大事な結界を破りおったなっ!! 早くきようさまから離れて外に出ろっ!」


 男が唾を飛ばしながらまくしたてる。


「いや、だが、この子は何なのだ?」

「よそものに話す必要はない」

「きようさまとは? 山神とは何だ?」

「教える必要はない。それより早く出ろ! 山神様がお怒りじゃ!」

「だから山神とは――」


 質問を続ける桐也は突如、視界が反転した。男に腕を引かれ、祠の外に投げ出されたのだ。


「桐也様!!」

「だっ、大事ない」


 背中から落ちたため強い痛みはあるが、雨のせいで地面がぬかるんでいたおかげで、身体は動くし息もできる。

 早川が桐也を支える。


「山神様、どうかどうかお怒りをお鎮めくだせえ」


 男が祠に向かって手を合わせ、それから泥の上に額づく。

 しかし怒りはおさまるどころか増すばかり。雨粒は大きくなり、山肌に穴を開けそうな勢いで落ちてくる。雷神は頭上にいるのではないかというばかりに閃光を放ち轟音を響かせる。


 とうとう地が割れた。

 木々が倒れ、下へと流れていく。


「村がっ!?」

「危ないぞ!」


 倒壊する木に向かっていく男を桐也は引き止めようとしたが、屈強な男の力に適うはずもなく腕を振り払われる。


「あの子は! 中の娘はどうする!?」


 しかし男からの返答はない。

 殴るような風が吹く。


「桐也様、逃げましょう」

「ああ」


 桐也の目に男の姿はもう見えなかった。桐也は視線を祠へと移す。


「中に女の子がいるんだ」

「女の子!?」


 驚く早川を置いて桐也は再び祠に足を踏み入れた。

 隅で震える少女を桐也はすぐに抱き締める。


「大丈夫だ。ここから出よう」

「あたしを食べる?」

「いや、それは……」

「桐也様、急ぎましょう」

「ここは危ない。私と一緒に逃げてくれるかい?」


 少女はこてんと首を横に傾げた。


「……山神様と一緒?」 


 桐也は答えを与えることもせず、少女の手を取る。しかし少女は立ち上がらない。


「あたしは『きようさま』だから、山神様と一緒に――」

「ああ、一緒だ!」


 桐也は山神様などではない。少女を助けるために嘘をついた。

 少女は安心した顔を見せてから自分の足を示す。


 両足には縄が巻きつけられ、それは中央にある柱に括りつけられていた。桐也は今の今まで気付くことができなかったことに歯嚙みする。


「なんだこれは!? 早川っ、刃物を持っているか!」


 叫べば怒りに震える声が出た。


「ナイフで良ければ」

「貸してくれ」


 山歩きに必要だと上着のポケットに入れていた小型のナイフを早川は急いで桐也に渡す。

 桐也は受け取ると刃先を守る革の鞘を素早く外して縄を切る。何年もそのまま使用していたのだろう縄は数回切り込むと簡単に切れた。太さのある縄だが、十年、もしくはそれ以上の年月で使用していたようにも感じる。

 少女の幼さを考えて、桐也はやり場のない怒りに手が震えた。


「立てるか?」


 少女は首を横に振る。立てないのだと。


「そうか」と、桐也は少女に向かって問題ないと笑いかけた。

 桐也は少女を背中に乗せる。

 そうして捕らわれの姫を祠から出し、春来山の西側に向かった。

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