第84話
「ハハ、私、いつも通学で下りしか使わなかったから、うっかりしてたのかなあ」
4月に大々的なダイヤ改正があっただなんて、とわざとへらりと笑っていると、
「え?」
エリさんの声が耳に入ってくる。
同時に何かを躊躇った、重々しい視線を感じた。
エリさんもサトルさんも、何かの糸がパチンと切れたように。
何故か深妙な表情で私のことを見つめていたのだ。
「学生、さん?」
「はい。高校生です」
「こう、こうせい…」
……けれど、それも一瞬だった。
すぐに明るい表情に戻ると、「随分垢抜けた女子高生さんですねえ!かわいい!」とエリさんは抱きついてくる。
なに、びっくりした。
というか、さっきの間はなんだったんだろう。
私が高校生だったら悪いのか。
「いやあ、私の高校時代ってこんなだったかなって思ってさぁー」
この人、相席をしただけなのになんでこんなにフレンドリーなの。
女性であってもいきなり抱き締めてくる人っていないよ、普通。
びっくりしたけれど、不思議なことに嫌な感じはしなかった。
「私、高校の時は部活馬鹿でね。オシャレだとかそういうのはなーんにも。ソフトボールのことしか考えてなかったから、少年だと間違えられるくらいで、髪なんて今より短かったんだあ。ベリーショートだよ。ベリーショート」
「ソフトボール…、すごい」
「そこらの男子よりも短かったよな。マジで女のカケラもなかった」と、さらにサトルさん。
でも、なんだかいいな、って思った。
私もいつかエリさんとサトルさんみたいに、誰かとこんな風に…。
白い歯をチラつかせて小馬鹿にしている彼と、気に入らないとばかりに眉を顰めているエリさんの関係が、私にはキラキラ光って見えた。
「ねえ、君はなにか部活とかやってたりするの?」
すると、興味深そうにエリさんが問いかけてくる。
私もエリさんの高校時代とさほど変わらない気がするなあ。
エリさんは私と距離をとった。
サトルさんもそんな私を静かに見下ろしてきている。意識が直接的に向いていないのは、ハルナさんだけだった。
「美術部です」
「美術…」
ただ所属している部活を口にしただけだ。
それなのに二人は随分と、慎重な眼差しを向けてくる。
そんなに珍しくもないだろうに。
なんて思って「ハハ、地味ですよね」ちょっとヘラヘラしてみると、エリさんは「そんなことない」とすぐに否定してくれた。
「どんな絵描くの?」
「んーっと、風景画と人物画。どっちも結構得意です」
「うわあ、すごい、見てみたいかも」
さっき降車していったミユちゃんのスケッチブックに描いた、ハルナさんの絵。
まるで染み付いたように鉛筆がサラサラと動いていった。
「でもいいね。高校時代って、人生の中で一度きりしかないもん」
「……そう、ですか?」
「うんうん。大人になると分かるの。私、ソフトボールやってた時はさ、すっごく過酷な練習ばっかりで、楽しくないって思ってた。だけどあの3年間は、振り返ってみるとどうしたって取り戻せない。変わりなんてない。いろんな葛藤があって不安定だったけど、すごくキラキラした、かけがえのない時間だった」
過去に思いを馳せているのか、エリさんは懐かしそうに瞳を下げている。
「かけがえのない…」
「そうだよ。宝箱みたいなものなの。ハタチ過ぎてみて分かるんだよ。あんな高校時代は二度と戻ってはこない」
「…戻って、こない」
「うん。思い切り笑って、思い切り泣く。子どもでも大人でもない中途半端な時期だからこそ、いろんなものがぶっ詰まった濃密な時間が、高校時代だったよ」
エリさんの言葉が妙に胸に刺さったのは何故だろう。
「なんだか変な方向に話が向いちゃったね」
私はここ最近無気力だった。
忘れかけていたものをこの旅を通して思い改めることができた。
多くの人に感動を与えたいと思って絵を描き続けてきたけれど、そのほかに、どうしようもなく駆り立てられるほどの強い想いがまだ胸の内側で燻ってるように思える。
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