第39話

隣に座っているおじさんは何も言わないでただ見下ろしてきているだけ。


奥底に沈んでいた幼少期の大事な記憶。


あまりに今を生きすぎていて忘れていたものだ。






「日光に行くとそんな父と母の笑顔が見れたから、私は──その頃から絵を描き始めたんです」






正確に言えば、日光の風景画を描き始めた。


私にとって絵を描くことは生きる一部になっていった。




「働きづめな父と母に、日光の風景をいつだって身近に見せてあげたかった」


「…」


「これを見れば、二人は笑顔になってくれるって、幼いながらに思ったから」




ガタンゴトン……。




依然として電車は揺れていた。


途中で何駅か通り過ぎた気もする。



景色は依然として田舎風景だったけれど、物理的な移動距離は結構なものになっただろう。





そして思う。


またどうでもいいことを他人にベラベラと話してしまった。



私の身の上話なんて、誰が聞きたいだろう。


人が良さそうなおじさんだったから最後までしっかり聞いてくれたけど、謝ろうと思って横を向いた時に私はその動きを止めてしまった。








「……すま、ないっ……」



────その頬に涙が伝っていたからだ。

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