第62話

エレノアの周囲には監視役の近衛兵士が多くつくようになった。城内での生活を余儀なくされると、サンベルク皇帝への謁見も叶わない状態が続く。エレノアは焦燥に駆られ、しきりに城内をうろついては兵士たちに理解を仰いだ。


「どうか、少しの時間でよいのです。皇帝陛下とお話をさせてほしいの」


 ここでくじけてはいけないのだ。優しいサンベルク皇帝がエレノアの願いを拒否するはずがない。

 女官長のキャロルと女騎士のターニャはエレノアの背後に控えているが、その表情は浮かばれない。エレノアの熱意は、近衛兵士たちにまったく届いてはいないからだ。


「なりませぬ。いくら皇女殿下のお望みであろうと、皇帝陛下がそれを望まれてはおりませぬ故」

「…そんな! ほんの少しの時間でもいいの!」

「申し訳ございません」

「ほんの少しよ! 少しだから!」


 エレノアは近衛騎士に食い下がったが、一歩も譲る気配がない。


「エレノア皇女殿下、毎日宮殿の中におられるのも退屈なさるでしょう。本日は軍の凱旋がございますので、ご覧になってはいかがでしょうか」


 話題の転換のためか、近衛兵士がエレノアに提案をするが、楽しい気分になどなれるわけもなかった。

 宮殿の中は息がつまる。宰相や国の役人たちとすれ違うと、皆、エレノアにこびへつらうのだ。発言の鱗片に様々な思惑が絡んでおり、事あるごとにご機嫌をとろうとしてくる。または、あわよくばエレノアの愛を授かろうと企む男もいる。誰もエレノアの考えに真剣に耳を傾ける者はいないのだと思うと、辟易した。


 ――こんなにも、息苦しい場所であったか。


 落ち込むエレノアに、ターニャは気のきいた励ましをくれる。ターニャは呆れかえってはいるが、なんだかんだエレノアを心配しているようであった。


「とても楽しいもののようには思えないわ。私に、兵士たちを労えと?」

「…そうしていただけるのであれば、兵士どもの糧となりましょう」

「…糧」


 近衛兵士は誇らしげに胸を張る。だが、エレノアは気落ちしたままであった。

 はやくオズに…魔族の皆に会いたい。彼らを太陽の下に迎え入れたい。膨らむ気持ちばかりが先行し、己の無力さを痛感させる。エレノアは廊下を引き返すと、豪奢な絨毯を踏みしめた。


「ねえ、あなたたちは、魔族のことをどう思う?」


 エレノアはしばらくバルコニーに出て、風にあたることにした。そばに控えているキャロルとターニャに問いかけると、二人はそれぞれ異なる表情を浮かべる。


「…そ、それはもちろん、忌々しい種族ではないのですか?」

「ターニャはそう思うのね」

「当たり前でございます。我々サンベルク帝国の民は、かの神話を聞いて育っています」

「ならターニャは、実際に魔族に会ったことはある?」


 エレノアは白銀の髪がさらさらと流れる。

 雲一つない青空には眩しいほどの光が昇っている。人間からの迫害を恐れ、身を隠すことを余儀なくされた魔族が見ることができない太陽だ。


「ございません…が」

「それなのに何故、忌々しいと決めつけるのかしら」

「はあ…。では、そうではないのだと?」

「ええ、とってもあたたかい種族なのよ。悲しみも、憎しみも、喜びも、愛おしさも、彼らは余すことなく享受する」


 エレノアは遠いイェリの里を思い浮かべる。それがどうにも遠い日の出来事のように思える。王都はあまりに、彼らの地から離れすぎている。


「惰性でございましょう。女神オーディアに呆れられてしまいます」

「いいえ、そんなことはないわ。そんなことは……ないはずなの。私たちは、どこかで生き方を…」


 何故、音楽や踊りなどの娯楽のいっさいがサンベルク帝国からなくなってしまったのか。過剰なまでの厳粛主義、少しの堕落も許さないといった風潮。人と異なる行為は敬遠し、定められた規律に従おうとする。

 外の世界もろくに知らなかったエレノアは、これまでは疑問にすら思わなかった。これがサンベルク帝国であり、エレノアが守護すべき対象なのであるとひたすらに思っていた。


「エレノア皇女殿下、あなた様は今、とてもよい目をしていらっしゃいますわ」


 眼下に広がる宮殿前広場を眺めていると、キャロルが穏やかに声をかけてくる。


「私は正直、魔族なる民についてはよく分かりません。きっと、恐ろしいのでしょうし、皇女殿下が仰るように暖かな種族なのだろうとも、思いますよ」

「キャロル女官長…」

「私の立場上、はっきりとは申し上げられませんが、おそらくは、この国の民は何かと決めつけすぎなのです」


 エレノアがはっとして振り返る。隣に立っているターニャがあからさまに青白い顔をしていた。

 女官長ともあろう立場の人間がここまで言えるものか。エレノアはたびたびキャロルに驚かされる。


「皇女殿下がしたいようにされるべきですよ。それが御身のためでございましょう」

「よくもまた…そんなことを…」

「あら、いいでしょう? 年増もまだまだ夢を見たいものなのですよ」

「はあ…やれやれ、夢などと……愚かしい」


 呆れかえっているターニャを見てクスクスと笑った。だが、この和やかな雰囲気は、はじける音により崩れ去ることになる。


「国境防衛軍が帰還したぞぉぉぉぉ!」


 銅鑼の音が鳴り響き、辺りは騒然とする。エレノアはバルコニーから眼下に広がる場所を凝視した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る