第63話

金色に輝く豪奢な甲冑。黒光りしている巨大馬。最後尾には、魔族の里で見たサンベルク帝国の国旗が彫られている特殊兵器が連なっている。それらを取り囲むように、次々と民衆が集まってきた。


「凱旋など、いつぶりでしょうか」

「…さあ、かなり久しいですねえ。とくに今日はなんだか…兵士たちの気が立っているような」


 キャロルもターニャも訝しげな顔をしている。祈り日以外に行事というものが存在しないサンベルク帝国において、軍の凱旋とはきわめて異例のことだ。先頭を闊歩しているのは国境防衛軍総司令官であるジークフリート・バーナードだ。そしてその右後方に続くのは、ハインリヒ・ローレンスであった。


 彼らは威厳を振りまき、周囲に己の姿を見せつけている。そして、エレノアは凱旋の列のある部分に目がいき、全身の血液が逆流した。


「ああ、あれは…」

「エレノア皇女殿下、お部屋に戻りましょう」


 たじろぐキャロルと、とっさにエレノアの注意を逸らそうと試みるターニャ。


「いいえ結構よ。…っ、なんてことを!」


 エレノアはそれを制して、宮殿前広場まで駆けていった。



 凱旋の列の中ほどには、槍に串刺しになった魔族の子どもが晒されていたのだ。


 宮殿の外に出ようとするエレノアを監視役の近衛兵士が止めにかかる。だが、エレノアにはどんな言葉も耳に届かなかった。頭に血が上り、怒りに支配されていたのである。

 それらを強引に振り切って、エレノアは民衆たちをもかき分けていく。慌ててターニャが駆けつけてくるのにも気づかなかった。


「――何をしているっ!!!」


 エレノアは凱旋の列を塞ぐように立ちはばかり、高潔な怒号を響かせた。

 民衆はどよめいたが、すぐに静まり返った。


 エレノアの視界には、串刺しになり体液を垂れ流して弱り果てている子どもの魔族が映り込む。全身が総毛立った。


(なぜ、こんなひどいことを!)


「……あの子を今すぐ解放しなさい」

「これはこれはエレノア皇女殿下、ご機嫌麗しゅう」


 エレノアは穏やかに挨拶をする気など毛頭なかった。血が煮えくりかえり、頭の中が真っ赤に染まった。


「これが、気高き軍人のすることか!!」


 エレノアは逆上し、ジークフリートとハインリヒ、そして凱旋の列を作っている兵士たちを睨みつけた。

 ジークフリートはハインリヒを見やると、慎ましく礼をとり、エレノアの前まで歩み寄った。

 その間にも串刺しになった魔族の子どもは弱っていく一方であった。まるで、かつて聞いたキキミックの両親を思い出す。善良な心を持つ者ができる所業ではなかった。


「我々の士気を高めるために、必要なのでございます。どうかご理解ください」

「理解など、できるものか!!」


 うやうやしくエレノアの正面に跪くハインリヒ。エレノアは怒りに震えて、冷静さを失っていた。

 ひどい。ひどすぎる。エレノアは魔族の子どもを何度も見やった。激痛を押しこらえ泣いている。母の名前を呼び、流れ出る体液をとどめることができていない。

さらには、サンベルク帝国の民衆は初めて見る魔族を興味深そうに眺めているのだ。何故、このような辱めを受けねばならないのか。


「この馬鹿げた行為を今すぐやめなさい!!」


(私が助けてやらねば、あの子が死んでしまう!)


 エレノアはサンベルク帝国の民に絶望をした。何故助けない。何故意義を申し立てない。何故愉快な眼差しで辱められている者を見る。そして何より理解ができないのは、このハインリヒであった。

 残虐極まりない行為をしておきながら、何故ここまで穏やかに笑っていられるものか、と。


「魔族などにまで憐れみを向けられるとは、なんと慈悲深いお方なのでしょう」

「御託はよしなさい。私はあの子を解放しろと命じているのよ」

 

 エレノアは静かな憤怒を向ける。


「……ああ、なんとお優しい」

「はやく、あの子を解き放ちなさい!」

「ええ、ええ、承知いたしました。ですが、憚りながら、このハインリヒの願いをどうか聞き入れていただきたいのです。あの魔族の子をあなた様に差し出す代わりに、私を伴侶にすることをお約束してくださる、と」


 クスリと笑うと、ハインリヒはエレノアの手をとり、口づけようとしてくる。エレノアはさらに真っ暗な暗闇の中に落ちていく感覚がした。


「悪魔のような人…!」


 エレノアはここまで誰かを憎らしいと思ったことはなかった。

 要求をのまなかったら、魔族の子を見殺しにしてしまう。逆に要求をのめば、永遠にオズと結ばれなくなってしまう。

 ぎりぎりと歯を食いしばり、ハインリヒを見つめる。


「……と、いうのは冗談でございますが、ですが、そうですね…」


 ハインリヒはあくまでも堅実な姿勢を崩さない。常に己が正しいとばかりの振る舞いをするのだ。

 好意を寄せられていた当初は、何も知らないままに舞い上がっていた。今になっては、そんな己が愚かしい。


「憚りながらこのハインリヒ、あなた様の髪をどうか一束、頂戴したいのです」


 ハインリヒは悪びれもなく口を開く。


(髪…?)


 エレノアは訝しく思った。だが、考えている余地はない。一刻もはやくあの魔族の子を救い出し、治癒をほどこしてやらねばならなかった。


「いかがでしょう…?」

「そうすれば、あの子を解放してくれるのね」

「女神オーディアに誓って」

「……分かりました」


 護身用に所持していたナイフで長い髪の一部を切り落とす。それを差し出すと、ハインリヒは部下に何やら合図を送った。

 串刺しになった魔族の子がエレノアのもとへ運ばれてくる。駆け寄って槍を抜いてやり、女神オーディアの加護を授けてやる。


 女神オーディアの加護を魔族に与えることなどありえない――といった具合に、民衆は騒ぎ立てた。だが、エレノアはそれにかまいもしない。


「ありがたき幸せでございます。エレノア皇女殿下」


 ハインリヒの声掛けに応じず、エレノアは必死に祈りを込めた。どろりとした体液は流れ出てとまってはくれない。魔族の子どもは、弱弱しく震えていた。


「ああ……ですが、申し訳ございません。せっかくの美しい髪が…」

「もうよい。下がりなさい」

「……失礼いたしました。では、またお会いしましょう」


 ハインリヒはエレノアの髪の束を麻の布に包み込み、懐に忍ばせる。瞳に浮かぶのはやはり、歪曲した執着であった。

 エレノアは魔族の子を自室に運ばせ、数日かけて治癒を施した。

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