第61話

エレノアは魔族の里での生活を巡らせる。


「私はこの目で確認したのです。彼らは本来、心暖かな種族。富める者も貧しい者も皆等しくあり、我々人間以上に絆やつながりを重んじていた。同じ夢や大志を抱き、日々をたくましく生きる彼らが、悪であるとは思えません」


 母親とはぐれてしまった子どもを一緒になって探してくれた。異常時には身分の差は関係なく助け合っていた。何より、人間であるエレノアですら受け入れてくれたのだ。

 人間を深く憎んではいるものの、それには理由がある。人が奪うからだ。人が彼らを傷つけるからだ。


 そんな彼らは悲しく辛い時こそ、唄や踊りで励まし合う。サンベルク帝国の民がいっそ薄情であると感じてしまうほどに、情が深い種族なのだ。


(どうかご理解いただきたい…)


 エレノアは己が目にした魔族の真実の姿を伝えた。だが、サンベルク皇帝は敬虔な眼差しを向けたまま表情を変えない。


「夢や大志を抱くより、一人一人に定められた堅実な道を進むべきだと教えられているだろう? 行き過ぎた欲望は身を滅ぼしてしまう。そうなっては、女神オーディアも悲しむというものだよ」

「無礼を承知で申し上げております。私は、それだけが道ではないと思うのです」

「エレノア。魔族は悪しき種族だ。そのような軽薄な生き方をしていているから、かの厄災を引き起こしたのではないのかね?」


 サンベルク皇帝は終始穏和な態度であるが、言葉の節々には鋭さがあった。エレノアの考えを受け入れる姿勢ではなく、愕然とした。


(どうして、父上…!)


 夢の中で聞こえてきた父の声は、エレノアの聞き間違えであったのか。いや、そんなはずはない。あのような鮮明な夢は、きっと女神オーディアからの影響を強く受けている。

 エレノアの唯一の味方であるはずのサンベルク皇帝は、譲る様子を見せなかった。


「……憚りながら、夢や大志を抱くことの、どこが軽薄なのでしょうか。私には、サンベルク帝国の民の方がよほど薄情のように思えてならないのです。辺境の地の民を差別し、死者の埋葬もまともにしてやらぬとは、あまりにひどい」


 エレノアは喘いだ。緊張が張り詰め、足が何度も震える。父親だとはいえ、この国で最も位の高い人物に反論しているのだ。しかも、エレノアよりも何十倍も徳を積んでいるサンベルク皇帝に。

 エレノアが硬く唇を結ぶと、サンベルク皇帝はさらに告げる。


「仕方がないことなのだよ。彼らは、女神オーディアの加護を授かるには足らぬ生き方をしている。善行をなす者が多く授かって当然だろう? だから、差別ではなく区別という表現が正しいよ。…まったくエレノアは、あまりに外の影響を受けすぎてしまったようだね」

「それは」

「とにかく、今度はもう宮殿から出るのは控えなさい。父はエレノアが心配なんだ」

「父上…!」


 サンベルク皇帝がエレノアの正面に立ち、そっと肩に触れる。優しく諭すような言い方であったが、エレノアは腑に落ちなかった。


(この国で最も貴きお人に抗うなど、無礼であると分かっている。けれど、私は)


「人間が生命の源を奪ったから、魔族はなれ果てる道をたどるしかないのだと…聞いたのです!」

「…」

「それを返してもらえれば、魔族は人間を食わずに済むのだと聞いたのです! もし、人間と魔族の争いの種がそれなのであれば、返してやればいいのではないのですか? そうすれば、人間の脅威ではなくなる! 魔族を攻撃する必要もなくなるのです!」


 引き下がれない。ともに生きるとオズと約束をしたのだ。

 エレノアは自らを奮い立たせ、力強く叫んだ。


「私は、今まで何も知らずに生きてきました。それは、父上に大切に思われていたからこそであったのでしょう」


 幼少期のエレノアは孤独にさいなまれていた。父や母に甘えたくとも、これが己の使命なのだと理解することで我慢をしていた。自室の小さな窓から見える月と、本棚に並んでいる書物がエレノアのすべてであった。


「ですが、十六になり、世界の真実を知りました。私はわが国の民をもちろん愛している。そして魔族の民も愛している。サンベルク帝国の皇女として、どうにかともに生きる道を探りたいのです」


 そして、十六になり、イェリの森で魔族の王に出会った。離宮での暮らしでは得られなかった、絆、そして愛を得た。


「愛し子よ。皇女であるおまえが難しいことを考えずともよい。私はね、エレノアには良き伴侶を見つけて、はやく幸せになってほしいと思っているのだよ」


 サンベルク皇帝は穏やかに微笑む。エレノアはこぶしを握り、勇気を振り絞った。


「――私は、魔族の王のオズワーズを伴侶に迎えたいと思っております」


 だがその刹那、サンベルク皇帝の顔から表情が消えた。


「駄目だ。魔族の王だけは絶対に認められない」


 これまでは温厚な様子であったサンベルク皇帝だったが、厳しく叱責するような口調になる。眉を吊り上げている姿をエレノアは目にしたことがなく、動揺した。


「ちち、うえ」

「絶対にいけない。いいか? 絶対にだ」

「…わ、私は、オズワーズを愛しております。彼以外の男性を伴侶に迎えるつもりはございません」

「魔族の王だけは認められない。諦めなさい」

「いやです! 父上、どうか私の願いをお聞きください!」

「――…ならぬ! ……あの魔族の王は、また私からすべてを奪うつもりなのか!」


 エレノアはサンベルク皇帝にすがったが、ついに聞き耳を立てることはなかった。

 慈悲深いサンベルク皇帝であれば、エレノアの気持ちを汲み取ってくれると期待していた分、目の前が真っ白になった。


 弱音を吐きたくない。ここで諦めてしまいたくない。

 サンベルク皇帝が去ったあとの大聖堂で、エレノアはその場に座り込んだ。


(オズに会いたい)


 エレノアの瞳に涙が滲み、哀切な息が吐き出された。

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