第62話
*
黒薔薇嶺二の悪意に染まった瞳を前にして、蓮華はぶるりと震えあがる。
この薄暗い空間は、地下室か。蓮華は今いったいどこに幽閉されているのか。考えようにも外の景色も見られないため、検討がつかない。
蓮華が息をのむと、黒薔薇嶺二は目尻を下げて笑った。
「今、どんなお気持ちですか?」
「……気持ち?」
「憎らしいですか? 腹立たしいですか? それとも恐ろしいですか?」
黒薔薇嶺二の目を見ていると、闇の底に沈んでゆくような気がした。心の隙間を蝕んでゆくような感覚がする。言葉を交わしているだけで、思考が侵されてしまうような予感があった。
「こんなに殴られてしまって痛かったでしょう。どうして私が? そう思いません? 思いますよね?」
蓮華は唇を結んで押し黙った。黒薔薇嶺二が高揚しながら口を開いている背後で、美代は不自然に棒立ちしている。まるで操り人形のように、心ここにあらずな状態のようだった。
「蓮華様も、千代様や喜代様と同じ藤三郎氏の御息女。母親が異なるだけだというのに、何故ここまで虐げられなくてはならないのか?」
「やめて……ください」
「いっそ彼女に謝罪していただきますか? そうしなくては、恨めしくて恨めしくてどうにかなってしまうのではないですか?」
「……結構、です」
「あらあら何故ですか? これまで散々苦しめられてきたのではないですか? ご自身の生をも否定され続け、それでもなお、貴女は地を這ってでも生きてゆくしかなかったのでは?」
黒薔薇嶺二の声を聞いていると気分が悪くなった。耳を塞ごうにも手首の自由が奪われているため、それができない。
「実のお母様についても、不憫でなりませんねえ。首を吊られて亡くなられたのだとか。貴女はそれを目の前で確認されたのだと聞きましたが、いったいどんなお気持ちだったのでしょう」
黒薔薇嶺二の目が三日月型にゆるりと歪む。まるでこの状況下で悦楽に浸っているような表情だ。
蓮華の境遇に同情しているのではない。歪んだ興味関心を向けられているだけであることを、蓮華は理解した。
「酷いですねえ、我が子を置き去りにして、自分だけ楽になろうとするなんて」
寒い日の朝、母親が首を吊って死んでいる光景が脳裏に浮かぶ。ミシミシと木目が軋む音がやけに耳に残っている。変わり果てた母親の姿を前にして、蓮華は声を出すことができなかった。
悲しかったのか。
いや、虚しかった。
「あまりに無責任ですねえ? 優しい母親のふりをして、本当は蓮華様をずっとずっと後ろめたく思っていたのでしょうか?」
「……やめて」
「貴女を産んだことを死んで詫び、身勝手に生から逃げたお母様を憎みましたか? 恨んだでしょう? 恨んだでしょうとも」
「……やめて、ください」
黒薔薇嶺二はにたりと口角を上げる。闇夜のごとき瞳はおぞましく、見ているだけで底なし沼へ落ちてゆく感覚があった。
油断をすれば、漆黒に支配されてしまう。黒い影から数多の手が伸び、蓮華を引きずりこもうとする。
恨んでなどいない。いや、本当に断言できるだろうか。それは綺麗ごとに過ぎず、少しは恨んだのではないか。
何故、蓮華をおいて死んでしまったのか。死んで詫びるのならば何故、蓮華を産む決断に至ったのか。
のたうち回って嘆きたかった。慟哭するほどに悲しかったはずだ。
絶望の淵に立たされ、すべてを呪いたいと思ったのではないか――。
「そんな貴女とお母様をここまで陥れたのは、誰でしょう。そう……巴家ですねえ」
バチバチと焼却炉が燃える音がする。母親が焼かれていく光景を、幼い蓮華が呆然と見つめている。
誰一人母親の死を悲しまなかった。ろくに弔いもせず、むしろ迷惑そうに眉を顰めるばかりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます