第53話




 蓮華と帝都の街に出かけてから一週間ほど経った。


 穏やかな時間は束の間であり、千桜は多方面への監視の目を怠らない。

依然として総理大臣指示派議員の不審死があとを立たず、むしろ最近では事件の発生頻度が増しているほどだ。警察は重い腰を動かさず、ろくに調べもせずに自殺として処理をする。


 一方で、政界では発言の自由が奪われ、民主主義の根幹が揺らぎかけている現状があった。

そこに加わる軍部の圧力。東雲をはじめとする大本営にとっては、総理大臣は邪険な存在なのだ。


「号外でーす、号外でーす」


 山川とともに帝都の街中を歩いていると、新聞社の男の快活な声が聞こえてきた。


「一部貰おう」

「ありがとうございます!」


 小銭を渡して新聞を受け取る。


 【田中議員、一家無理心中か】


 一面に大きく印字されている煽り文句。千桜は眉間に皺を寄せながら記事に目を通した。


「この事件も、やはり黒薔薇伯爵絡みでありましょうか……」

「おそらくは、な」

「一家心中だなんて、いったいどうしたらそんなことが」


 仔細には書かれていないあたり、警察で情報隠蔽があるに違いない。この国の中枢が腐ってしまっている以上、裏から直接腐敗の芽を叩かねばならない。


 千桜は元来正義感は強い方ではあったが、最近では、突き動かされる理由はそれだけではなくなった。


 守るべき存在ができた。


 蓮華だ。


「……洗脳の類か、それとも」


 ダンスホール‟カナリア‟で頻繁に見かけるようになった黒い茨のような心の色。


 通常、人の心の色は多少似通っていることはあるにしてもまったくの同色同型はありえない。


 なのに何故、あれほどまでに酷似するのか。何者かが働きかけているに違いないのだが、それを誰が、どのように行っているのかが分からなかった。


「監視の頻度を増やす必要はありますでしょうか」

「いや、増やしたところで、効果は期待できないだろう。あの男はよほどのことがないかぎり、表舞台に顔を出さない」

「であれば、議員に忠告を促す……など」

「それも得策ではない。あまり目立った動きをすれば、軍部の目が光り、かえって私たちが動きにくくなる。そもそも、黒薔薇嶺二にとっては、政治など微塵も興味はないのだろうが」


 国家の転覆もまた一興というところか。誰もが安らかであれる喜劇は退屈するとでもいいたいのか。すべては、己の快楽を満たすために用意された脚本だとでも言っている気配さえする。


(つくづく趣味が悪い)


 千桜は号外から街中へと視線を向ける。震災後の不況を乗り越えた帝都の街には、次から次へと舶来物が入った。社会の在り方も時代とともに変遷し、誰もが平等を唱える風潮が根付いていく。


 華族もそうでない者も関係ない。男と女も関係ない。


 この国では昔から女は家を守るものとされていたが、今では職業婦人として社会に出て働く者がいる。男女で座席が分かれていた映画館はなくなった。きっと近いうちには、女にも選挙権が与えられる時代がくる。


 社会は、そうあるべきなのだ。だが、暗躍する者は、己の快楽を満たすがために、古臭い考え方をする連中に揺さぶりをかけている。


(そして、蓮華にも)


 千桜は冷たく目を細めた。


 前髪で隠された左眼には、帝都の街を闊歩する人々の心の色が映る。黄、青、緑、赤、紫、茶……そのどれもが十人十色であり、一つとして同じものは存在しない。


 嘘をついている者、隠れた信頼を寄せている者、揺らがぬ熱意をもつ者――。


 すべて見えてしまうからこそ、千桜の心情には波音ひとつ立たない。実の母に拒絶された時も、千桜は冷静に受け止めた。あらかじめ分かっていたからだ。


 目の前の人間が何を思っているのか。それが色となって浮かび上がり、千桜に伝わってくる。


 生まれた瞬間から客観的に生きることを余儀なくされた。千桜は己の境遇を煩わしく思いながらも、ある意味では冷静に受け入れていたのだろう。


 この先も、それでよいと思っていたはずなのに。


 賑わっている街を見回していると、目につく‟色‟がある。


(――あれは)

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