第52話

千桜が給仕を呼びつけると、コロッケ定食二つ、ホットコーヒーとミルクセーキ一つずつ注文をしたのだった。


  *


 カフェで食事を済ませたあとは、公園のベンチで腹ごなしをした。公園は人で賑わっていて、蓮華はまたあたたかな気持ちになった。まるで、自分が社会に溶け込んでいるようだ、と。


 そして同時に、千桜に贈り物をするつもりでいたのに、蓮華ばかりがもらってしまっているのでは、と落胆する。ただ公園のベンチに座っているだけでも、千桜は周囲の警戒は怠っていないのだろう。余計な気苦労をかけてしまっているのにもかかわらず、蓮華はすっかり楽しんでしまっていた。


「あの……今日は本当に、ご無理を申し上げてはいなかったでしょうか?」


 隣を見ると、千桜の美麗な横顔がある。


「無理などしていない。むしろ、久方ぶりに羽を伸ばさせてもらった」

「……ですが」

「本当だ。おまえの提案がなければ、あの店に行く機会もなかったからな」


 きちんと労えているだろうか。蓮華は千桜を見上げて、唇を結ぶ。


「この公園も、よく学生時代に来ていた」

「そうなのですか……?」

「芝生に寝そべって、小説を読んでいたな。ちょうどあのあたり」

「もしかして、今私に貸していただいている小説を?」

「ああ、あれだけでなく、他にもたくさんの本を買っては読んでいた」


 帝都大学生の千桜の面影を思い浮かべる。きっと、今と変わらず美しかったに違いない。誰に声をかけられることもなく、大衆に混ざって、静かに読書をしている光景が浮かぶ。


 住む世界があまりに違った。巴家で下働きをしていた蓮華とは、出会うはずもなかった人物。巡りあわせとは不思議なものだ。天と地ほどにかけ離れているはずの千桜は、今――隣にいる。


「懐かしいものだな」

「旦那様は学生の時から、ご立派だったのでしょうね」

「お前は私を買い被りすぎだ。……今でも、力が及ばないものが多すぎる」


 蓮華からすると、日々国のため、正義のために尽力していること自体が素晴らしいと感じる。蓮華には世の中に立ち向かう勇気すらないのだ。


「不思議なものだな。おまえには、心の内を伝えるのに、抵抗を抱かない」

「え……?」

「ここまで誰かに知ってほしいと思ったこともなかった。言う必要性も、特に感じてはいなかったのだがな」


 池の湖面がきらきらと光る。鳩が一斉に飛び立ってゆく。千桜の紺桔梗の髪が陽光を浴びながら、風にのって揺れている。


 蓮華はそのあまりの美しさに目を奪われた。


「私も……」


 白黒だった毎日に、鮮やかな色がついていく。当たり前だと思っていた日々と、そうではない世界。千桜を通して、蓮華はさまざまな感情を知った。


「旦那様のことを知れて、おそらくは、嬉しかったのだと思います」

「そうか」

「うまく言えないのですが、自分のことのように胸があたたかくなって、ふわふわして。これは、良いことなのでしょうか?」


 聞けば、「ああ」と淡泊な返事がくる。


 独りではない。二人で生きる。蓮華と千桜は言葉数こそは少ないものの、心のつながりを感じていた。これまでは互いに必要としてこなかったそれに心地よさを抱く。


 なぜか、強くあれるような気がする。


 どこか、これまでと違う。


「私も、今日は有意義な時間を過ごさせてもらった」

「本当……でしょうか」

「本当だ。今は窮屈な思いをさせてしまってすまないが、落ち着いたら、また必ず来よう」


 片翼の鳥は、一羽では飛べないように、二羽で連なることによりはじめて大空をはばたける。

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