第51話

蓮華はこくりと頷く。そしてメニュー表を見てほっと胸を撫でおろした。


 これであればすべて蓮華でも読める。難しい漢字は使われていなかった。


「オムライス……、ハヤシライス、コロッケ……定食」


 だが、別のところで悩みが生じる。どれも魅力的に思えるため、注文が決まらなかった。


「だ、旦那様はお決まりなのでしょうか」


 先ほどから蓮華がメニュー表を陣取ってしまっている。慌てて千桜が読みやすい向きにして手渡すと、軽く制された。


「決まっているから、そのまま見ていていい」


「……そ、そうなのですね。ちなみに、旦那様はどちらを頼まれるおつもりなのですか?」


 いつも決まったものを注文しているのだろうか。ちらりともメニュー表を見ていないが。


 メニュー表を受け取り直し、顔を上げてはっとする。何気なく尋ねたつもりだったが、千桜はぴくりと眉の端を上げていた。


(きっと生意気だったに違いないわ……!)


 冷たい瞳がじっと蓮華を見ている。もともと表情が顔に出ない人物ではあるのだが、今の千桜はどことなく不愉快そうに映った。蓮華は狼狽し、視線を右往左往させる。


「あ、あのっ、私、なんという失礼を」

「その、待て、違う。そうではなくてだな……」


 だが、それも杞憂だった。


「私は……ここのコロッケ定食が好きなんだ」


 言いにくそうに、重々しく吐き出された。「好物を頼むつもりだ、などと気軽には言えんだろう」と罰が悪そうに眉を顰めている。


 聞いてしまってもよかったのか。蓮華が見る限りでは、千桜は機嫌が悪そうだ。


(旦那様は、コロッケ定食がお好きなのですね)


 だが、知らなかった。


 毎日食事をとっているのに、好物の話をしたことはなかった。そもそも、屋敷で食事をする際には基本的に会話すら発生しない。あるとすれば事務的な内容だった。


 注文を決めるのに悩んでいた蓮華だったが、なんとなく、千桜と同じものを食べたくなった。


 巴家の下働きをしていた頃には、自分がまさかカフェで食事ができるとは思いもしなかった。


 台所の隅っこで、冷や飯にお湯をかけて食べていた。それも三日に一度という頻度だった。短時間で食べきれずにいると、女中に取り上げられた。生きる活力が得られず、蓮華は次第にやせ細っていった。


 巴家での待遇もあって蓮華は食にあまり関心がなかったが、小鳥遊家に来てからは一日の楽しみとなりつつある。味覚や嗅覚を感じるようになった。そしてなにより、向かいには千桜が座っている。


 一人では――ないのだ。

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