第49話

日曜日の午前、蓮華は着慣れていないワンピース姿で姿鏡の前に立ち尽くしていた。


 外出の一件は、家令から千桜に即座に伝わった。はじめこそは渋っていたようだが、千桜とともに行動するのであればさほど心配はないだろうということで、なんとか許可が下りた。屋敷の中での生活は退屈するだろうとの千桜の配慮もあってではあったが、蓮華はやはり無理な我儘を言ってしまったのではないかと憂慮した。


「……蓮華、身じたくは整ったか」


 すると、襖の向こう側から声がかかる。蓮華ははな子にこしらえてもらった鞄を持った。


「は、はい。お待たせいたしました」


 襖を開けると千桜がいる。ただそれだけであるが、蓮華の胸は煩かった。軍服ではなく、シャツとズボンのみを着用している千桜は、いつもと違って見えたのだ。


「今日は、無茶を言ってしまい大変申し訳ございませんでした」

「いや、私も家に籠らせきりで悪かったと思っていた」


 蓮華は気恥ずかしくなり、俯く。女から逢瀬の誘いをするなどはしたなかったのではないか。家令に申し出てもらったのはよいものの、そもそもデェトで何をすべきなのか分かっていない。


「あの……私、ただ旦那様に日頃のお返しをしたかっただけなのでございます。だから、あの、まさか一緒に出掛けていただけるなどとは思ってもいなかったのです」

「橘から聞いている。以前に見返りは求めていないといったはずなのだが、好意を無碍にするのも野暮だろうと思ってな」


 千桜は微笑を浮かべる。


「だから、これはあえて私からの頼みだ。おまえの今日一日を私にくれると嬉しい」


 蓮華は唐突に穴に埋まりたくなった。


(結局、私がいただいてしまっているのではないかしら……!)


 「行くぞ」と身を翻す千桜を追いかける。せめて余計な心労はかけさせないように努めよう。千桜の隣を歩くに恥じない振る舞いを心がけよう。気を引き締めねばならない状況下ではあると理解しつつも、蓮華の胸の音は高鳴るばかりだった。


 デェトとは、何をするものなのか。蓮華はこっそり女中のはな子に聞いてみたのだが、まったくもって想像がつかなかった。


 異性とカフェで食事をしたり、デパートメントで買い物をしたり、公園でソーダ水を飲んだりすることをいうそうだ。堅物な印象が根強い千桜とこのようなことをしている自分を思い浮かべられなかったが。


「いらっしゃいませ、二名様ですか?」


 カランカラン。耳障りの良いドア鈴の音がする。銀座まで自動車で移動をして、最初に入ったのは雰囲気のいいカフェだった。


「ああ」


 蓮華はカフェにはじめて入る。色鮮やかなステンドグラスと舶来物のランプが印象的な店内を目にして、ほうとため息をついた。


 洋風なつくりではあるが、ダンスホール‟カナリア‟とはまとう空気が異なる。流れているジャズは親しみやすく、客層は一般客がぼとんどだ。


 給仕に席まで案内されると、千桜は慣れた手つきでメニュー表を広げる。

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