第39話


 帝都に構えるダンスホール‟カナリア″は、ひと際豪奢に輝く。美しく囀る愛玩鳥からと到底想像もつかぬ華やかさ。千桜のエスコートにより自動車から降りた蓮華は、いつかの夜と同様にほうと見上げてしまった。


「まあ……御覧なさい、小鳥遊様よ……!」

「あらあらあら! なんて素晴らしい夜なのかしら」


 端正な顔立ちに、すらりとした背丈を兼ね備えている千桜は、帝都の街ではよく目立つ。女たちの歓喜の声を耳にして、蓮華は肩をすくめて俯いた。やはり、蓮華のような地味な娘が隣に立ってはいけないのかもしれない。普段、屋敷で過ごしているだけの蓮華は、外の世界の現実を突きつけられた気持ちになった。


 おそらくは、蓮華の心は千桜の左眼に見透かされているのだろう。そっと差し出された右手。ゆっくりと顔を上げると、冷え切った瞳が向けられている。


「誰の言葉も信じなくていい。ただ私だけを信じていなさい」

「……はい」


 だが、かけられる言葉の一つ一つはこれほど優しい。


 手をとると、蓮華と千桜は入り口へと繋がる階段を上った。


 千桜が通ると、塞がっていた通路に道が生じる。燕尾服やドレスを身に着けている者がほとんどである社交場で、帝国陸軍の軍服はよく目立つ。賑わっていた空間に緊張感が走り、背筋が伸びる心地がした。


「これは珍しい。小鳥遊少佐殿ではないか」

「隣に連れているお嬢さんは、いったい……」

「縁談は悉くお断りになられていたのではなかったか?」

「うちの娘も、会ってもいただけずに足蹴にされたぞ」

「まさか……ありえない。どこの御令嬢だ?」


 華族の者たちからの視線が突き刺さる。興味関心といった類から外れた、妬み嫉みの感情。蓮華はこういった薄暗い感情を向けられることに慣れていたが、その影響が千桜にも及ぶのかもしれないと思うととたんに恐ろしくなる。


 だが、千桜は信じろといった。信じる。信じる。命令に従う――ではなく、信じるということ。


 蓮華にはその分別がつかずにいたが、いずれにせよ己の意見など取るに足らないのだろう。はやく、この邪魔な感情を消さねば。迷惑をかけたくないのに、不安が押し寄せるのは何故なのか。


 今までであれば、感情を無にし、傀儡のように振舞うなど容易かったはずなのに。


(どうして、消えてくれないのかしら)


 これでは胸を張れているとはいえない。千桜の足を引っ張ってしまっている。それではいけないと思いつつも、どうにも胸のしこりが取れない。


 蓮華は千桜の腕をとり、メインホールへと進んだ。

 千桜が姿を現すなり、会場の空気ががらりと変わる。


 服装を正し、気を引き締めるそぶりする者もいる。千桜は辺りを静観をすると、二階席へと蓮華を連れていく。


「あの」


 朱色の布があしらわれた椅子に腰かけ、蓮華は千桜に声をかけた。


「私のことはどうかお気になさらず。きっと、ご用事があるのでしょう?」


 問いかければ、重々しいため息が聞こえてくる。

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