第59話
私は無意識に、今、ユウリには会いたくないと1歩だけ後ずさった。
「風呂」
トーンを変えず、どうでも良さそうに呟くケイシの声が聞こえて。
「風呂…?こんな時間にですか?」
私がいつもお風呂に入るのは、夜の時間。朝に入るなんて今までに無かったから。ユウリが不思議に思うのは仕方がなくて。
「普通だろ、ヤったあとにシャワーすんのは」
嘘をつくケイシに、顔を下に向けた。
生理で汚れたから風呂に入ってると言わないケイシ…。
「あいつの飯は俺がするから先に事務所行っとけ」
「…飯は俺の仕事のはずです」
「その仕事を指図した俺が言ってんだわ」
「……」
「さっさと行け」
泣きそうだった。
ユウリに1人にしないでと、
我儘を言ったばかりなのに。
朝に来ると約束を守ってくれているのに…。
私が約束を守れていない。
「分かりました…」
遠ざかっていくユウリの足音が聞こえ、ユウリの足音が玄関の外へ消えたと思えば。
脱衣場の扉が開く音がして、「…何突っ立ってんだ」と、怒っているケイシの声がした。
「……すみません……」
「……」
「あの、シーツ…洗います……」
「もういい」
「で、も、……血が、…」
「クリーニング出せば取れるだろ」
「す、すみませ…」
「……」
「ごめんなさい……気づかなくて……」
「もういいって言ってるだろ」
「で、も…血が…」
「血には慣れてる」
慣れてる、と言われても。
「ど、うして、…」
「あ?」
「どうして…ユウリさんに、うそを…」
鼻で笑ったケイシが、「なんだ、俺にやられてんの知られたくなかったのか?」と、また力強く私の腕をひいた。
見えない景色の中、いきなり掴まれるのは、驚いて肩がビクっと動く。
怒っている…
「今度、この時間にするか?」
「……っ、…」
「ユウリに見せんのもアリだな」
「やめて……」
「しゃぶるか?あいつの。お前の口だけなら貸してやってもいい」
「……やめて…ください…」
「──……イヤなら俺が言うこと文句言ってんじゃねぇよ」
耳元で鋭く言われ、私は顔を下に向けた。
「俺がしろって言えばしろ、分かったな」
「……は、い」
「むこう、座って待っとけ」
「はい……」
「あとでタカが買ってくるから、それまでなんとかしろ」
なんとか…。
生理用品のことだと分かった私は、「…すみません……」と、また頭を下げる。
「…ソファにパン置いてる、勝手に食え」
「…はい……」
15分ほど経った時、タカが部屋に来た。
タカはそれを渡した後、「下で待ってます」とすぐにいなくなり。
ケイシは「だいたい大きさ分かるだろ」と、袋のまま私に渡してきた。
「すみません……」と、また何度も謝る私に、鬱陶しそうにため息をだす。
「だから〝はい〟でいいだろ、いちいち謝ってくんな」
「すみ、ません」
言われたのに、また謝ってしまう。
ああ、また怒らせてしまった。
そう思い汗をかきそうになると、その人の方から音がした。
「だから、」
その声は、ソファに座っている私のよりも下の位置にあった。
もしかしたら膝をおり、私の目線に合わせようとしているのかもしれず。
「お前は俺の嫁だろ?そんな気遣いはいらない」
よめ…。
「生理で汚したぐらいで謝らなくていい、わざとじゃなかったら俺は怒らない」
「……」
「別にお前のこと殴ったりしてないだろ」
殴ったり……。
タカに暴力をしていたケイシを思い出す…。
確かに私は、されたことはないけど…。
「…いちいち泣くな」
泣くなと言われても。
「……だ、って、こわい、んです、」
「なにが」
「…っ、」
「セックスか?」
「けい、し、さ」
「無理だぞ、あれは。お前と結婚したのは子供を作るためだからな」
「……っ、…」
「……うぜぇから泣くな、」
何かが頬に触れた。
何かが私の涙をふく。
また、ぽろぽろと涙が出る。
「違うんです、…」
「何が」
「……せ、めて…、する時は、声をかけてくれませんか……」
「……」
「痛くても、苦しくても……いいんです」
「……」
「…だめ、ですか………」
「……」
ケイシの立ち上がる気配がする。
「分かった」と、何かが頭にふれる。それは軽く動き、同じような動作をして。
…まるで子供のように私の頭を撫でてきたケイシは、「コーヒー飲めるか?」と聞いてくる。
コーヒー?
「は、い」
「いれてくる、その間にそれ付けてこい」
ケイシが遠ざかっていく。
ケイシの言う通り、トイレでそれをつけた。あまり付けるのには困らなかった。
戻ればコーヒーの香りが漂ってきて。
「ブラックしかねぇからな」
泣くなと言われたのに、また泣きそうになる。
ブラックが嫌だとかじゃない。
ケイシが、私にコーヒーを作ってくれたことで、涙が出そうになった。
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