第55話

──────






朝の7時。

ほぼぴったりに、シイナが住む玄関の鍵を開ける。いつもいる焦げ茶色の皮のソファの上にシイナはいなく、あそこか…と思った俺は奥の方へと足を進ませた。

その部屋のベットの上で横になり、規則正しい寝息を出して瞳を閉じているシイナがいて。


ソファの上では座ったまま寝て、ちゃんと眠れてないシイナは、睡眠が浅いらしく俺が来た足音ですぐに起きるけど。

ベットの上では、ゆっくり足を伸ばして眠れるからか、俺が来ても起きないことが多い。


たまに、ベットの上で眠ってる。


本当ならこのまま眠らせてあげたいけど、俺も外に出なければならない。朝飯を手で渡さないと、シイナはどこにあるか分からず食べることができないから。



「…シイナ」と、できるだけ優しく声をかけた。瞼がぴくりと動き、ゆっくりと瞼は開く。

シイナは声をかけるとすぐに起きる。もしかしたら元々眠りが浅い方なのかもしれず。



「……おはよ」



そう言いながら、シイナの顔にかかっている髪を指先でのかせば、「………ユウリさん………?」と、安心しきっている声が、シイナの喉の奥から溢れ出た。



「…悪いな、起こして」



まだ少し寝ぼけているらしい彼女は、ここがどこか確かめるように手でシーツを撫でていた。ぼんやりとしながら起き上がり、「……もう朝ですか」と、小さな声で呟いた。



そのまま目を擦り、ぱちぱちと、瞬きをするシイナは俺の方を見てくるけど。その目は俺と合うことは無い。



「ああ。…起きれるか?」


「はい……」



シイナが手を伸ばしてきたから、その小さな手を握った。眠っていたからか、その手は温かい。

シイナはずっと日中はソファに座っているようで、ほんの少ししか動かず歩かないからか、出会った時よりも力が弱くなった。


多分、筋肉が落ちたのだろう。服から覗く手首も、細い…。


目が見えないのに、もう慣れたように洗面台で身なりを整える彼女の後ろ姿を見ながら…──。

昨日のタカの話を思い出し、軽く眉を寄せた。





「ユウリさん、いつもありがとうございます…」



シイナはいつもお礼を言う。

お礼なんか、言わなくていいのに。

俺がしたくてしてること。



「……これ、朝飯と昼。夕方のはまた来るから」



定位置になっているソファに座らせ、シイナが食べやすいパンやおにぎりを渡す。昼食の分も含めて。



「あの…ひとつ、お聞きしてもいいですか…?」


「ん?」


「すみません……時間、大丈夫ですか?ケイシさんに怒られないですか?」


「ああ…、あと5分ぐらいなら大丈夫」



シイナが不安そうに、俺を見つめてくる。

けど、やっぱりその目は合わない。



「私…、ケイシさんと結婚したので…もうここから出ることは無いのですよね…?」


「そんなことはない、……どこかへ行きたいならケイシさんに言って許可を貰えばいい……、何かあったのか?」


「…あ、……そう…いう意味…ではなくて。私はもう……ケイシさん以外の誰かに売られないのか…ってことです……」



誰か売られないのか?


…そんなことはさせない。

させない為に、俺がいるのに。



「あんたはずっとここにいる、ケイシさんの…そばから離れることは無いよ」


「………そうですか、それならいいです」



目線が、離れていく。



「どうした?何かあったのか?」



その目線に合うように、座っているシイナの近くで膝をおり顔をのぞきこんだ。



「………いえ、…売られないなら、このままの方がいいかと思いまして……」


「何が?」


「目の中がモヤモヤしてるので…、もしかしたら……視力が回復してきているのかもしれません…」



視力?



「見えるのか?」



思わず、声が大きくなった。



「…あ、…いえ、見えないんです、…けどこの前…戻りそうになった時と同じ感覚なんです」


「先生呼んでくる、看てもらおう」



そう言って、立ち上がろうとしたとき、「…よ、呼ばないで下さい」と、慌てて言ってくるシイナに、動きが止まった。



呼ぶな?

なんで。

視力が戻ろうとしてんのに?



「なんで?戻りたくねぇのか?」



顔を下に向け、言いづらそうにするシイナに、今度は優しく怖がらせないように「…いやなのか?」と、シイナの手を握った。



「…………売られるの、なら、体を売るなら目は見えた方がいいと思ったんですけど…」


「うん」


「こわいです、し、…ずっと暗いのは、ほんとうに、こわいです…」


「…」


「だ、けど…」


「…」


「私が見えるようになれば、ユウリさん、もう私のお世話をしなくていいから……」



シイナの世話…。



「ここに来なくて、いいようになるから…」



シイナの言いたいことが分かり、シイナの手を強く握った。



「視力が戻れば、私…ユウリさんともう会えなくなるんですか?」


「シイナ…」


「見えた瞬間、もうユウリさんと手を繋ぐこともできないんですか?」



弱々しいシイナの声…。



「……見えそうなこと、ケイシさんに言わないでください……、私を1人にしないで……」




抱きしめたいと思った。

1人にしない、するわけない。

俺はずっとあんたのそばにいると。



それでも口には出せないし、もちろん抱きしめることもできない。

シイナは、俺のものではないから。


俺は外から、シイナを守ると決めたから。




「来るよ、ちゃんとシイナの世話をする。シイナが好きな食べ物、買ってくるよ。おにぎりとかパン以外にも」


「ユウリさん…」


「俺があんたから離れることは絶対にないから」

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