第48話
その日の夜、ケイシは私に喋りかけてこなかった。ソファに座っている私をまるで空気のように扱った。
昨日は行為後、いつの間にか意識を失っていた私はベットの上にいたまま眠りについていたけど。
行為をしないなら、ベットに行く必要もなく。
ケイシがどこで眠りについたかは知らないけど、私はそのままソファの上で足を抱え、座りながら眠った。
今日はベットの上で眠らなくていいらしい。
次の日の朝、何時に起きたか分からないけど、私を空気のように扱うケイシはキッチンの方で珈琲を作っているようだった。
ここに住み出してから分かったのは、ケイシはよく煙草を吸うってこと。
珈琲と煙草の匂いが混じり合う…。
ケイシが出ていき、私はゆっくり立ち上がってユウリが教えてくれた洗面台へと向かった。手探りで、アザが出来ないように蛇口に指先を当て水を出す…。
ユウリが用意してくれた歯ブラシで歯を磨き、顔を洗い…。ユウリが教えてくれたタオルの位置まで数歩ほど足を動かす。
そしてソファに戻った私は、また足を抱えた。
何も出来ない時間との戦い…。
ユウリが、朝ごはんとお昼ご飯を買ってきてくれた。ユウリが私に「寒くないか?」と尋ねてくる。
空気扱いしないユウリに、泣きそうなほど嬉しくなりながら、「…大丈夫です」と声を漏らした。
ケイシが何時に帰ってきたのかは分からないけど、またユウリが帰ったあとだった。
ケイシは今日も、私に何もしなかった。
まるで私が石になったのように、私がここにいることを気づいてないかのように。ケイシは私に喋りかけても来ない。
また朝になると、煙草と珈琲の匂いだけを残して出ていく。
ユウリがきて、「目の調子はどうだ?」と話しかけられる度、私はまだ生きているのだと実感した。ユウリがこの部屋にいるのは約数分。
決して石のように、私を空気扱いしない…。
私はもう、ケイシが話しかけてこない限り、この人としか会話が出来ないのだろう…。
だってこの部屋から出ないから。結婚した今、出ることは許されないのだから。
私はずっとこの部屋にいなくてはならない…。
もっと喋っていたい。
だけど、それを私が言う訳にはいかない。
大好きな人…。
会いたくないと思っていたのに、また会いたい存在に変わってしまった。
ずっと喋っていないからか、随分口周りの筋肉が減ったよう気がする。
ユウリがいない間は、ずっとポーチを撫でていた。2つになった、私の宝物…。このポーチはどんな色をしているのだろうか…。
見てみたい。
ユウリの顔も、見てみたい…。
きっと凄く優しい顔をしてるんだろうな。
ユウリとケイシがいない時、泣くことは多々あった。けれども悲しいとか怖いという感情ではなく。この感情が何なのか、今の私には分からなかった。
「……ユウリさん、」
誰もいない部屋で、ユウリの名前を言う。
もう、当たり前だけど、最後に行為を行ってから数日がたてばもう下半身の違和感は無くなっていた。
そのかわり、今日は何だか目に違和感があった。ぼんやりと、何かの明るい何かが入ってきて。目をこすってもそれは取れることなく…。
目に不快感を覚えながら、もしかしたら見えてきているのかもしれないと、ユウリのことを考えていたその日の夜、──…久しぶりにケイシに話しかけられた。
「お前、」と、その声は〝あの時〟のベットの中での声よりも低く。
「ずっとそこにいるのな」
そこにいる。
ソファの上。
ここのソファから滅多に動くことは無い…。トイレとシャワーなどと言った衛生面なものをする以外ずっとここにいる。
ケイシに話しかけられるのはすごく久しぶりで、一瞬にして手のひらに汗をかいた。
「……なにも、する事ありませんから……」
煙草の香り。
ケイシの鼻で笑う音が聞こえ。
「…それに、うごいてケガをすれば、…」
ユウリが悲しむから…。いつもいつも、ケガの心配をしてくれる男。
「あなたが、怒る…から」
ユウリのことを口に出せない私は、咄嗟の言い訳を探した。
「……理由は?」
「面倒見れてないって、このまえ…あなたがタカ…さんに、暴力してたから…」
「……」
「ケガをしていたら、…その事であなたがユウリさんに怒る…かなって…」
バカなのか、私は。
咄嗟の言い訳も、結局はユウリの事になってしまっている。
「そんなにあいつが好きか」
バカバカしいと言われんばかりの口調で言ってきたケイシは、「お前まさかあいつとやってねぇだろうな」とありえないことを聞いてくる。
そんなこと、あるわけない。
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