第38話

人っていうのは、あまり喋らずにいると口のまわりの筋肉も弱まり、上手く発声出来なくなるらしい。


吃りやすくなるというか、口が開くのが遅くなるというか。


簡単に言えば、前までは言えた早口言葉を、言えなくなってしまうような感じで。



けれども目は違う。


目は使えなければ使えないほど、神経が鋭くなる。音にも敏感になるし、嗅覚だって鋭くなる。


あと、物の距離感。

見えないはずなのにイスなどは〝この辺にあるな〟って、慣れなのか、なんとなく分かってくる。だけど、それはなんとなくってだけ。


見えないものは見えないから、額に何かをぶつけたりするし、手を伸ばすことが怖いと思ってしまう。


まだまだ怖いし不便なのは変わらない…。

段差なんか、特に怖い。

あると思っていたところに床がなく、踏み外し、足を怪我する場合もある。

目が見えない人がいつも杖を持っている理由が、分かった気がした。



「……落ちてるぞ」



優しい声がする。

この人は、昨日からここにいる。

どうしてここに居るか分からない。

私はよく分からない理由で、ケイシと結婚する。そしてもう、この人とは会わないはずだった。…そう、この人の祖父のすごく偉い人に言ったはずなのに。



「……え?」


「写真?破れてるっぽいけど…」



ユウリにそう言われて、私はとっさにポケットの中を確認した。ある。ケイシに破かれた写真が。

いつも着替える時は、無くさないようにしていたのに。



「わ、…わたしのです…きっと」


「…そうか」



ユウリが、欠片を私の手のひらに乗せてくれた。もう絶対無くさないようにと、ポケットの中に入れ…。



「すみません…ありがとうございます…」



お礼を言えば、彼は「ああ」と言うだけで。それ以上は何も言わない。

前みたいに私に話しかけてこない。


布団一式しかない部屋の中は、多分ユウリと私の2人きりだった。時計の音も聞こえず黙り込んでいる時、──ガチャっと足音とともに扉が開かれた。


足音でケイシだと分かり、とっさに身構えた。



「何かあったか?」



ケイシはもう、ユウリに敬語は使ってない。



「この子が写真を落としただけで…なにも」


「写真?」


「破れた写真です」


「ああ、俺が破ったやつな、まだ持ってんのか」



ケイシの鼻で笑う声が聞こえ。ユウリが黙る。

ケイシの言葉に泣きそうになっていると、「それ以外は?」と、ケイシの声が低くなり。



「…ありません」



それと同じように、ユウリの声も低くなり、私は黙って二人の会話を聞いていた。



「なんだ?怒ってんのか?お前、タカの代わりに来たんだからしっかり働けよ」


「分かってます」


「無理なら出ていけ、別に止めやしねえよ」


「出ていきません」


「俺の下についたからには、背く事は許さない。はいはい言うこと聞け、七渡さんみたいに俺は甘くねぇからな」


「…はい」


「分かったら婚姻届、役所から持ってこい。夕方までにこいつの名前書かせとけ」




ユウリがここにいる理由は、なんとなく分かっていた。


ユウリは多分、私が可哀想だから、優しいユウリはタカの代わりにお世話をしてくれるようになった。

それか、ケガをしているタカが復帰するまでの期間だけか。




「記入したそれも、お前が出しにいけよ」




鼻で笑ったケイシに、ユウリは「…はい」と返事をしていた。やっぱり、その声は低かった。

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