第56話

それからは順調に物事が運んだように思う。運んだというより、壱成さんが全て計画を立てて段取りしてくれた。「カーテンの色は何色がいい?」など、家具に関しては私の好みを毎回聞いてくる。


「壱成さんのお好きな色にしてください。壱成さんの好きな色は私も好きです」


そう言えば、2DKのハイツはブラウンとホワイトカラーの、落ち着いた空間になった。なんだかこの色合いが壱成さんを表しているみたいで、とても好きになった。


3月になって高校を卒業した壱成さんは、もうこれからここに住むらしく、私はお父さんと「4月から」と約束をしたから、私がここに住むのはあと1週間ぐらいあと。



「壱成さんは、長い方がいいと思いますか?」


「うん?」


「長い方です」


「長い方?」


「私、髪を切ろうと思うんです」


「かみ?」


「はい、お父さんから、女性は黒髪で、長いものだと教育を受けておりまして」


「うん」


「お父さんに反抗するわけではないんです。ただ新しい生活に、──1度、髪を切り。お父さんに言われたからではなく、私自身が伸ばしたくて伸ばそうと思うんです」


「ああ」


「壱成さんは、髪が長い女性が好みでしたか?」



壱成さんはいつも、愛おしそうに髪に触れ、頭を撫でるから。



「長い髪が好みというより、あんたの髪が長いから好きになったから」


「切らない方がいいですか?」


「いや、きっと髪が短ければ、短いあんたを好きになってた。──あんたはどっちでも似合う。短い髪、俺も見たい」


「肩よりも、短めですけどいいですか?」


「ああ、きっと惚れ直すんだろうな」



その話から3日後、私は髪を切った。

本当に肩にあたるかあたらないかぐらいの長さだった。首がすーすーして、やけに頭が軽く。髪の重みが無くなったぶん、体も軽くなったような気がして。

なんだか背筋が伸びたような気がした。壱成さんに見せれば、壱成さんは「可愛すぎるな」と頬にキスをくれた。



卒業同時に壱成さんは仕事を始めたらしい。危険物を取り扱う工場のようで、夜勤があると壱成さんは言っていた。これからは危険物を取り扱う資格を取る勉強もしていくと。



4月の春休み中に、私は実家から離れ壱成さんが住むハイツに引っ越してきた。私と壱成さんの部屋は別々だった。壱成さんいわく、私が高校を卒業すれば寝室を一緒にするらしい。お父さんとの約束を守ると決めている壱成さん……。そんな私は壱成さんを喜ばせるために、作ろうと決めていた料理をする。壱成さんが前もって調味料などを味見してくれていたおかげで、私は料理を作ることができた。


もしかすると、薬の恐怖のトラウマが良くなって来ているのかもしれない。



壱成さんに「壱成さんの好物は何ですか?」と聞いても、「何でも」と答える。

「お肉ですか?お魚ですか?」と聞いても、「佳乃の作ったものは全部食べたい」とも言ってくれる。私に対して甘い壱成さん。

私が作った料理は、何でも美味しいと言って食べてくれる。私はそんな壱成さんの顔を見るのが好きだった。



料理はお母さんがある程度教えてくれていたおかげで、なんとかできた。魚を捌いたり、そういうものは出来ないけど。味噌汁の出汁の作り方とか、基礎的なものはできる。

基礎的なものを教えてくれたお母さん。

壱成さんはこの料理を喜んでくれるだろうか?と思えば思うほど、思い出すのはお母さんの顔だった。

お母さんも、私が美味しく食べる姿が見たいから、こうして作ってくれていたのだろうか?

食べることは無かったが、このハイツに来るまでお母さんは私の料理を作り続けていた……。



「何を作ってる?」



仕事帰りにお風呂に入ってきた壱成さんが戻ってきた。キッチンの中に入ってきた壱成さんは、フライパンの中を確認している私のそばに来た。



「お魚です、今日はサバの味噌煮にしようかと」



まだ髪が濡れている壱成さんは、凄く大人びていた。何度か見たこともあるのに、こういう些細な変化でもドキドキしてしまう。



「髪……」


「え?」


「似合う、こっちの方が好みかもしれない」



壱成さんは私の斜め後ろにたつと、身をかがめ、髪が触れていない首がさらけ出している部分に柔らかくキスを落とした。

お風呂に入っていたからか、少ししっとりとしていて。唇特有の音が耳に入ってきた。

顔は見えないけど、あたふたとする私に、壱成さんの笑った気配がした。



「あ、で、では、これからも短く……した方が……いいですか?」


「いや、佳乃の好きにしてくれ」


「で、ですが、壱成さんの、好みだと……」


「髪が長くなっても同じことを言うから。俺はあんただから好みなんだ」



自分自身に呆れたように笑った壱成さんは、「好きだよ……」と甘く呟きながら今度は私の唇にキスをした。

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