第6話

それから一週間が経っても、壱成さんの姿を見かけることが出来ず。

朝、お兄ちゃんに「顔色悪いけど大丈夫か?」と聞かれた。もちろんお母さんとお父さんがいない隙に。

不良だけど、なんだかんだ私には優しいお兄ちゃん。


「帰り、迎えに行くぞ?」


「ううん大丈夫」


「何かあったら電話しろよ?」


「うん」


「やっぱ送ろうか?」


「学校、行ってくるね」


「佳乃」


「本当に大丈夫だから」


本当は言うと、昨日から生理が来て貧血気味だった。

今回、特に量が多くて、今朝シャワーを浴びるぐらいで、昨日から1時間に1度は生理用品を交換しないといけないぐらいだった。


きっと私には優しいお兄ちゃんなら、持っているバイクの後ろに乗せて私を学校まで送ってくれると思った。

だけどその事がお母さんやお父さんに知られたら、お兄ちゃんの立場はもっと悪くなるから…。


学校に行けば、唯に「顔色悪いよ?」と不安気味に言われた。

生理のことを伝えれば、同じ女性である唯は納得した表情になった。

痛み止めを飲んでも、辛さは変わらなかった。ただ出る血の量が多く、自分でも指先が冷たくなるが分かるぐらいだった。

フラフラとしていていたから、歩く時前をよく見ていなくて、教室の中で男子生徒に軽く顔からぶつかってしまい。


「悪い、大丈夫か?」


「佳乃、保健室行った方がいいよっ、本当に顔色悪いよ」


「…唯…」


近くにいた唯にほぼ支えられながら、私は半日ほど保健室で過ごした。それでも体はいっこうに良くならなくて。

体の辛さに唇を噛み締めたら、そこから血が流れてきて。

もう本当に泣き出しそうだった。


「お家の人に連絡する?」


「いえ…」


「量が多いなら、1度、婦人科に診てもらった方がいいわ」


「…はい」


保険医の女性にそう言われたけど、血が足りてなくぼんやりとしていた私は、ほとんど話を聞いていなかった。


その日の夜、布団の中にいた私に、お母さんが体を温まるようにと生姜湯を作ってくれた。その生姜湯を飲んだけど、3日目の生理は特に酷かった。


身支度をする時に鏡を見れば、頬の右側に内出血が出来ていた。きっと、男子生徒に顔からぶつかったせいだとすぐに分かり。隠すためにマスクをつけても、内出血でできた青紫色の痣はマスクから少しだけ出ていた。


うまく歩けないことを分かっているから、少しだけ早い時間に家を出たものの、駅で電車を待っているホーム内にあるベンチに座った私は、電車に乗ることが出来なかった。

ズキンズキンと頭痛がして、意識もかろうじて保っている感じで。これ以上歩けば後ろから倒れそうだった。

お母さんに連絡することもできず、禁忌であるお兄ちゃんに電話をしようかと思った。

それでも白鳥高校に通っている私が、不良の巣窟の西高校に通っているお兄ちゃんが一緒にいることが知られれば──。

辛くてついにポロポロと涙を流していると、マスクに涙が染み渡った。

どうして泣いているのか自分でも分からなくほど意思が混濁し始めてきて。

視界の中が暗くぼやけてきた時、ああ、私はこのまま意識を失うのだと思った。


────佳乃


だけど、その暗くてぼやける視界の中で、私の名前を呼ぶ声が聞こえて。


「佳乃」


2度目に名前を呼ばれた時に、ほんの少しだけ脳が覚醒するのが分かった。どうも、私はまだ気を失ってなかったようだった。

視界の中で暗い、何かが動いた。

ぼんやりとした視界の向こうはやっぱり黒色だけど。その黒が学ランだと気づくのに時間はかからなかった。

気を失ったと思ったけど、実際は服の黒色が、視界に入ってきただけみたいだった。


「佳乃?」


3度目に名前を呼ばれた時、私は顔を上にあげた。ああ、この低い声は壱成さんだと気づいた時には──、目が合った壱成さんの顔が、強ばるのが分かった。

ベンチに座っている私の顔を覗き込むように、膝をおってしゃがみこんでいる壱成さんの目は見開いていて。瞬く間に鋭い目に変わり。壱成さんの指先が、私の方に伸びてきて。

けど、その指先は宙で止まった。


「マスクを、」


「……?」


「マスクを外してもいいか?」


いいも、だめも、言っていないのに。壱成さんは行動にうつした。壱成さんの温かい指先が私の耳にふれたと思ったら、すごく呼吸が楽になった。


「誰に……」


そう言った壱成さんの声は低く。内出血がある部分を触れるか触れないかぐらいの力でなぞってきた彼は、そのまま怖い顔をしながら目尻の方に親指を伸ばし…。


「…誰があんたを泣かせた?」


もう会うことはないと思っていた壱成さん。そんな壱成さんに誤解だと伝えるために口を開こうとした。

生理痛が辛くて泣いてます。顔の痣はぶつかってできた内出血なんです、と。

でも生理痛なんて男性に言うものではないし、もう会わなかったかもしれない壱成さんに心配をかけるわけにはいかない…。


「…なんでも、ないんです、貧血で」


「貧血?」


「大丈夫です…ごめんなさい」


「痣は…」


「も、学校ですよね、遅刻してしまいます、行ってください…」


「あんた、顔色が悪すぎる。貧血なら病院に行った方がいい」


「病院、は、だめで、」


「…」


「ごめんなさい…、ほんとうに、大丈夫ですから…」


「病院が嫌なら、どこかで休んだ方がいい」


「っ、…わ、わたし」


「歩けるか?」


声が低いのに、トーンが優しくとても柔らかく。どうしてか分からない。彼とは今までに2回しか会ったことがないのに。今日で3回目なのに。壱成さんの指先が温かくてほっとして。


「ある、けません…、ごめんなさい……、歩けないです」


「うん」


「私が悪いんです、ごめんなさい…ごめんなさい…」


「なんで謝る?あんたは何も悪くない」


手に持っていた鞄が彼の手に渡ったと思ったら、体が、宙に浮くのが分かった。横向きに抱えられたことに、うまく頭が追いつかなかった。

抱き上げられることなんて初めてで、戸惑う。戸惑っていたけど、


「大丈夫、絶対に落とさない」


しっかりとした腕の力強さに、自分の体の力が抜けていくのが分かった。

もう体が限界だったらしい。

心地いい揺れ具合に、私は意識を手放した。

次に目を覚ました時、私はどこかのベットの上にいた。

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