幼き思い出(雲雀語り)
広間での会議が終わった後、僕は屋敷の庭の橋の上で池を眺めていた。
僕は池を眺めながら今日のことを思い出す。
狐崎遊馬。
その名前を聞くだけで僕は怒りがこみ上げてくる。
何であいつが…?
そう思いながら僕は歩き出す。
近くの庭のベンチに腰を下ろすと、僕は俯きながら考えていた。
するとそっと歩み寄ってくる足音が聞こえた。
そしてその足音は僕の前に立った。
何となく気配でその人物が誰かは分かる。
けど、あえて顔を上げなかった。
彼女が僕の名前を呼ぶまでは。
「雲雀くん」
彼女がそう呼びかけられると僕は反応した。
そして顔を上げる。
雪之丞綴。
僕の幼なじみであり、パートナーだ。
彼女はそのまま僕の前に立って僕をじっと見つめていた。
彼女の目。
透き通っているような真っ直ぐで綺麗な藍色の目だ。
氷のような瞳だとみんなに言われている。
そんな彼女の瞳は何か言いたげな表情をしていた。
彼女は僕を心配しているんだ。
付き合いが長いと瞳からそれが伝わってくるのが分かる。
僕はつーちゃんの目をじっと見た後、目を逸らした。
「どうしたの?こんな夜中に出歩いてちゃ危ないよ。僕のことなら大丈夫だから…。僕のことは放っておいて」
僕はつーちゃんにそう告げた。
素っ気ない態度を取ってしまった。
好きな女の子に。
でも今はそんなことよりも自分の今の気持ちが勝ってしまった。
だから突き放すようなことを言ってしまった。
怒っただろうか…?
するとつーちゃんは何も言わずに僕の隣に腰を下ろした。
そして空を見ながら黙っている。
僕はちらっと彼女を見た。
ただ黙って隣に座ってくれている。
彼女はどうも動く気はないらしい。
僕はそんな彼女にようやく観念し、口を開いた。
「……はぁーー。本当、君には適わないや。往生際が悪いと言うか………いいよ。話すよ」
僕は溜め息をつきながらつーちゃんにそう言った。
その言葉に彼女は黙って僕を見る。
僕は夜空を見上げながら話し出す。
「遊馬っていうのはつーちゃんと会う前、僕が五歳の時。つーちゃんと会う一年くらい前かな?僕はその時遊馬と友達だった」
僕は懐かしむようにして話をした。
つーちゃんに会う一年前の出来事を。
「その時の僕は風間家でずっと過ごしてるのが退屈で退屈で仕方なかったんだ。毎日家でしか過ごせないし、外に出ても絶対誰かと一緒だったし、自由がない生活に窮屈してた。その日も僕はいつものように家の庭で一人で遊んでたんだ。そしたら突然風間の柵を登ってこようとする男の子に出会ってさ。僕がびっくりして親を呼びに行こうか迷ってた時にその彼と目が合った。それが遊馬との出会いのきっかけ」
彼とは本当に偶然な出会いだった。
ただいつものように庭で遊んでいたら柵を乗り越えてくる綺麗な黒髪の男の子と目が合った。
突然のことで当時の僕は驚いた。
そんな僕に男の子は笑顔で笑いかけてくれた。
今でもすごく印象に残っている。
「彼とはすぐ仲良くなったよ。両親も怪しい子どもじゃないって分かってたから、僕が遊馬と遊ぶのを許してくれた。僕は外には出られないけどそれでも遊馬は毎日家に遊びに来てくれたんだ」
僕の話しにつーちゃんはずっと耳を傾けてくれる。
僕にとって遊馬は初めて出来た友達。
初めて会話をしたかけがえのない存在。
初めて出来たたった一人の友達だったんだ。
彼は僕が跡継ぎ候補だって言っても気にしないでくれた。
そんなの関係ないって。
僕はそんな遊馬の言葉が嬉しかった。
普通の人間から見たら、僕らはただの闇の力を引き寄せる疫病神でしかないのに。
話しをしているうちに本当にあの頃の楽しい日々が思い出される。
二人で遊んだ懐かしい光景。
本当に楽しかった。
そんな話をしていると同時に僕の表情がふと曇る。
ここからが本題であり、僕が彼を敵視する原因だ。
「でもある日突然、彼は僕の前から姿を消した。何度も家の者に聞いたよ。『遊馬のこと知らない?』『遊馬は?』って。でも…誰も知らなかった。何にも理由を言わず、彼は消えてしまった。悲しかった。また独りになるんだって。独りぼっちに…なるんだって」
僕は自分の拳をぎゅっと握り始めた。
普通の人々は中には八華に恨みを持つ者がいる。
なんで自分の家族を助けてくれなかったとか。
なんで自分たちだけ生き残ったんだとか。
そんなの理不尽だって本当はみんなわかってる。
でもそれを誰かにぶつけずにはいられない。
それが人間だ。
僕たち跡継ぎ候補やその妻や夫も狙われる可能性は十分にある。
大半の人々は闇の力に大切な人や友達が喰われているから。
何でもっと早く対応しないんだって。
だから外には付き添いがないとダメなんだ。
寺子屋にも通えない。
外で思いっきり遊ぶことさえも…。
だから遊馬は僕にとってかけがえのない大事な友だったんだ。
あの後ずっと『遊馬…なんで?』って泣いてた日々もあった。
家をこっそり抜け出して捜したこともあった。
もしかしたら僕に関わったことで村の人に何かされたんじゃないかって。
不安になって何度も何度も捜した。
けど結局何度も父さんに見つかって毎回家に連れ戻された。
それでも諦めず何度捜しても見つからなかった。
そして後から分かった。
遊馬は両親の都合で引っ越した、と。
なんで?
なんで僕に何も言わなかったの?
なんで黙って行っちゃうの?
僕たち、友達じゃなかったの?
僕はそんな想いを抱いてその後一年を過ごしていた。
君に会うまでは。
「でもそんな時、君が現れた」
僕はふとつーちゃんを見ながらそう言った。
つーちゃんは僕の言葉に首を傾げる。
僕はつーちゃんの反応に苦笑いをする。
そんな時に僕はつーちゃんに会ったんだ。
父さんと母さんが僕の状態に気づいて、とても心配してつーちゃんのお父さんに相談した。
そしたら彼女が連れてこられた。
元々、父親同士が幼なじみ関係だったからだろう。
新しい友達ができればきっと僕が元に戻るって。
両親がそう思って。
だから彼女が僕の前に現れたんだ。
「君が君のお父さんにここに連れてこられた日。僕の父さんから『今日からあの子が雲雀の友達だ』って言った時、僕は疑い深くなっていたんだ。また君も遊馬みたいに裏切るんじゃないかって」
僕はその頃つーちゃんのことを信じられなかった。
本当は信じたいはずなのに、君も裏切るんじゃないかって。
裏切られるのが怖くて。
君が僕と同じ跡継ぎ候補だって聞いても、僕の警戒は変わらなかった。
「僕が何度君に嫌がらせしても、君は全然動じなかった。びっくりしたよ。特に頭に虫を乗せても君はすぐその虫を草に返すし、石を大量に靴の中に入れても履く前にすぐ見つけるし、僕は怒られるしで」
あの時の嫌がらせは凄かったな。
今思うと自分でもぞっとする。
子どもだとはいえ、いくらなんでも嫌がらせがすぎたと思う。
それでも君は無表情を崩さなかった。
僕は君が早くいなくなればいい。
僕のこと嫌いになればいい。
早く僕の前からいなくなってって。
そう思いながら。
「いつも無表情だし、最初は君が何考えてるのか分からなかった。でも君と過ごす時間が増える度にだんだん君を信じてみようと思ったんだ」
僕はそんな彼女を今でも覚えている。
表情を一切崩さず、子どものような雰囲気はなくて、だけどずっと僕の傍を離れようとしなかった。
この頃から僕は君が気になる存在へとなっていたんだろう。
そしてもっと彼女を知るきっかけとなった出来事があった。
「君がお父さんと話している時。君は怒られてて悲しそうな表情をしてて、君のお父さんが帰った時に君が一人で堪えてた涙を拭いてた時、僕は君のその強さに惹かれたんだ」
僕はいつものように君に嫌がらせをしようと君を捜した。
すると遠くの方から彼女を見つけた。
僕は彼女の元へと駆け出そうとした。
だができなかった。
君のお父さんが君を叱っている姿を見て、僕は立ち止まったんだ。
そして僕はこっそりそんな現場を僕は見てしまった。
いつもは表情を崩さない君が君のお父さんが帰った後に、一人で涙を流していた。
僕はそんな彼女を見て無意識に何かしてやりたいと思った。
ふと辺りを見渡すと、秋桜が一輪咲いている。
僕は自分の手を見た。
手は土でとても汚れていた。
僕は決意を固めて急いで手を洗った。
そしてその花を摘んで泣いている君に渡した。
そんな僕の行動に君は一瞬驚いた表情をした。
だけど君はそんな僕を見て初めて僕に笑ってくれた。
その時僕は君の笑顔に惚れたんだ。
君のことを、護ってやりたいと思った。
つーちゃんのお父さんはとても厳しい人。
雪之丞家は代々花姫様の護衛を任されている信頼おける家系。
女であろうと関係ない。
剣術も一流でなくてはならない。
花姫の護衛という大役を任されるから余計に。
本当はつーちゃんのお父さんもとても優しい人だと知っている。
僕を心配して彼女を僕と会わせた人だから。
彼女はそんな父親を苦手にしていた。
でも彼女は嫌いにはなれなかった。
むしろ憧れているんだ。
父のたくましい背中に、必死に追いつこうとしている。
今でもずっと。
「君はいつも隙を見せないし、僕が何をしても全く動じない。君には人間的な感情がないんだって思ってた。でも違った。君はただの強い子なんだって。ただ涙を見せないだけで中身を見ればやっぱり女の子なんだって。本当は泣きたいはずなのに…」
君は決して他人に涙を見せない。
ずっと我慢している。
誰かが支えてやらないと崩れそうで、壊れそうで…。
だから僕が支えるって決めたんだ。
君は僕が、絶対護るって。
僕の話が終わるとつーちゃんは俯いて手に力を入れた。
そしてこう呟いた。
「……強くなんてない。私はただ…強い自分を演じたいだけ。話し方だってそう。みんなの前では強い自分でいたいから…」
「でも僕の前では違うでしょ?」
つーちゃんは僕の言葉に顔を上げた。
僕はそんなつーちゃんを横から覗き込みながら、そっと彼女の手に自分の手を重ねてこう続ける。
「約束したもんね。僕と二人の時は普段のつーちゃんに戻るって。約束したもんね?」
僕の言葉につーちゃんはちらりと僕を見ると、うんと頷いてくれた。
彼女はとても素直な子。
真面目過ぎるし、集中したら周りが見えなくなる部分もあるけど、僕はそんな彼女が好きなんだ。
本当は…誰の目にも見えないところへ連れて行って僕だけを見てほしいけど、それじゃわがままになるから。
彼女が困ることはしたくない。
僕はできるだけ彼女には笑っていてほしいんだ。
「……さっきの話だけど…」
つーちゃんは改めて話を戻した。
僕はつーちゃんの言葉に顔を上げる。
彼女はそんな僕を見てこう言った。
「仲直りする、という選択肢はないの?」
「……え?」
僕はつーちゃんの突然の言葉に固まった。
そんな選択、考えてもみなかったのだ。
だってあいつは僕を裏切ったから。
勝手にいなくなったから…。
「あの遊馬って人だって、雲雀くんの元を離れたのは何か理由があるかもしれないじゃない。雲雀くんにとってあの人は、大切な友達なのよ…?」
「つーちゃん…」
僕はつーちゃんの言葉に詰まる。
確かに遊馬は僕の初めての男友達だった。
けどあいつは離れた。
絶対離れないって、言ってたはずなのに。
僕はつーちゃんの視線を逸らしてこう言った。
「…ごめん。それはできない」
「な、なんで…?」
僕がそう返すとつーちゃんは僕に迫るようにそう返した。
そして僕はこう続ける。
「あいつはつーちゃんのことを知ってた。小さい頃から一緒にいたことも。絶対何か仕掛けてくる気がする。つーちゃんを狙う可能性も充分ある」
「そんな…。私は今日初めてあの人に会ったのよ?初対面なのに、そんなのあるわけ…」
「ないとは言い切れないじゃない。現にあいつはつーちゃんを敵視してた。僕の知ってる遊馬はそんなことしなかった。あいつはもう僕の知ってる遊馬じゃない。髪の色はもちろん、苗字が違うんだ。本当の名前は久遠遊馬。でも、それでも僕はあいつだって分かった。多分他の奴らも同じだと思う」
あいつの本当の名前は久遠遊馬。
何で狐崎なんて名乗ったのかはわからないけど、そんなことは今はどうだっていい。
なんで妖怪と手を結んだのか。
今はそれが気になる。
それと同時に彼女を狙っている理由も。
僕の風の力は受け継ぐことによって、その代償がある。
風と一体化する。
それによって僕は風からいろんなことを教えてくれる。
僕の中の風の力が警告してきた。
多分彼は強い。
その他の三人ももしかしたら…。
僕は自分の拳に力を入れて改めて決意した。
僕が彼女を護らないと。
僕の中の心がそう訴えてきた。
風は人の位置や雨、嵐、雪など備えなければならない状況が来るのを観測できる。
そよ風によってその人の匂いや体温が乗ってくる。
だけど僕は人の位置を観測すると言うのに関しては、普段はつーちゃんにしか使わない。
代償は能力を受け継いだ八華のみんなにもある。
ここにいるつーちゃんの場合、氷の能力を受け継ぐ代わりに普通の人間より体温が低くなる。
だから彼女の身体は少し冷たい。
「それにあいつはあの魔黒刀を手に入れた奴らの仲間にいる。今更仲直りなんてするつもりはないよ。あいつはもう……僕の敵なんだから」
そう。
あいつはもう僕の敵になってしまった。
どうあれ手にしてはいけないものを手にしまったのだから。
けれど、つーちゃんの気持ちは嬉しかった。
彼女は僕の気持ちを汲んでいつも優しい言葉をかけてくれる。
だから僕はそんな彼女に惹かれたんだ。
「でも、ありがとうね」
僕は改めてつーちゃんにお礼を言った。
つーちゃんも僕のお礼の言葉にうんと頷いてくれる。
だが僕がそう言っても彼女は少し悲しそうな顔をする。
納得できない…と言うのが正しいだろう。
僕はそんなつーちゃんの肩を掴んでそっと抱き寄せた。
そしてつーちゃんの頭に自分の顔をもたれさせる。
「雲雀くん…?」
つーちゃんは突然のことにきょとんとしながら僕を見た。
僕はふとつーちゃんに聞こえないくらい小さな声でこう呟く。
「……本当は君がいてくれたら…僕は何もいらないんだよ…?」
「え?」
「なーんでも」
僕はつーちゃんに聞こえない声でそう言った。
幸い彼女には聞こえていなかったらしい。
僕は君さえいれば何もいらない。
この世界だって、八華だって、関係ない。
ただ君と一緒に平和に暮らせたら。
あの頃から、ずっと…。
なんで遊馬が彼女を知っているのかはしらない。
だけどそんなの関係ない。
あいつがつーちゃんに何をしてこようと、僕が絶対護る。
どんなものからでも護ってみせる。
あいつなんかに、奪われてたまるか。
「雲雀くん」
そう僕が考えているとつーちゃんは少し戸惑った表情をしながら僕に話しかけてきた。
僕がその呼び声につーちゃんを見ると、つーちゃんは僕と目が合う。
僕らは互いに見つめあっていた。
そういえばさっきから考えごとしてて、ずっと黙ったまんまだったっけ?
僕はそう考えていた。
心配かけちゃったな。
するとそんな僕につーちゃんはこう言ってきた。
「どうかした?ずっと黙って怖い顔してたから…」
怖い顔…?
……あー、遊馬のことを考えてたからかな。
気づけば、つーちゃんを抱きしめていない反対の手で自分の拳も握り締めてる状態だった。
きっとそんな僕の姿を目にとめてしまったんだろう。
僕はそんな彼女に笑顔でこう返す。
「何でもないよ」
僕は彼女を安心させるために笑顔で笑う。
つーちゃんもそんな僕を見て安心したようにそうと呟いた。
そして僕はまたつーちゃんの身体をそっと抱き寄せた。
「…どうしたの?」
「んー。何となく」
「そう」
僕がそう言うとつーちゃんはそっと僕の頭を撫でてくれた。
僕はそれに安心感を覚える。
何となく母さんの撫で方と似てるから…。
僕は心地よくなって目を閉じる。
このままこうしていられたらいいのに。
「本当に雲雀くんは弟みたいね。雲雀くんの方が私より年上なのにね」
「………そう…だね」
あと僕には遊馬のことより、もう一つだけ気掛かりなことがある。
それは彼女が僕を家族のようにしか想っていないこと。
僕を男として見てくれてないこと。
そしてこの恋が片想いだということだ。
いつか、彼女が僕を異性として見てくれる日がくるのだろうか?
僕はそう考えながら夜空を見上げるのだった。
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