「ごめん! 待たせちゃったね」

 放課後、校門前で夕焼け空を眺めている最中に、彼は走り寄ってきた。

 息を整え、額の汗を拭う幼馴染の彼に、わたしは今日一番の笑顔を見せる──なんて意識してみたものの、もしかしたらこの笑顔は意図的なものじゃなく、自然に生まれたものかもしれない。

「ううん。わたしも今着いたばかりだから、大丈夫っ」

 わたしがそう答えると、彼──陽太はホッとしたように表情を和らげた。同い年のはずなのに歳下みたいに無垢な笑顔が、胸の内をキュッと締め付ける。

 天野陽太。名前の通り太陽のように明るい彼も陽キャに分類されるような人だけど、そこらの馬鹿とは全然違う。人の気持ちをちゃんと理解できて、誰とでも分け隔てなく接することができる。

 他のテリトリーに侵攻するのは罪深い行為だと勝手に思っているけど、陽太に関してはそこに厭らしさがなくて、あたかも元からそのグループの一員であるかのように自然に溶け込むことができるから凄いのだ。恐らく、趣味の多さと優しい性格が功を奏しているんだと勝手に思っている。

 ……まあ、その優しさが彼の長所であり、欠点でもあるんだけど。

「それにしてもさ」

 二人並んで帰路に立ったところで、陽太は口を開く。少し茶色の混ざった黒髪が、木枯らしに触れて微かに揺れていた。

「金曜の夜に俺、美優に連絡したじゃん? あの時、何かあった?」

「えっ? 特に何もないけど、どうして?」

「だってほら、美優いつもだったら返信早いじゃん? それにあの時、既読は付けてくれてたけど二日間なにも返してくれなかったから……俺、もしかしたら気づかないうちに、美優に何か酷いことをしちゃったんじゃないかって心配になって」

 相変わらず、優しい。ただ心配性なだけなのかもしれないけど、わたしが受け取ると何でもポジティブな意味に変換されてしまう。それぐらい飾森美優にとって、陽太の言葉一つ一つは宝物に等しいのだ。

 まあ、酷いことをしたのも真実なんだけれど。

「……何もないって言ったら、ウソになるかな」

 さも意味ありげな声音を意識しながら、わたしはそっぽを向いた。目線の先では、ちょうど学校のグラウンドがフェンス越しに広がっていて、野球部の動きに合わせてもうもうと土埃が立ち昇っていた。

「単刀直入に訊くんだけどさ、彩日とどういう関係なの?」

「えっ、本当に急だな……」

「実は見ちゃったんだよね。陽太と彩日がキスしてたところ」

 目線を変えずに、わたしは淡々と続けた。不可抗力だろうとは察している。そのはずなのに、妙に緊張してしまっている自分が内側にいた。

「いや、良いんだよ? わたしはあくまで幼馴染だから。だけどさ、もし仮に付き合ってたら、こうして一緒に帰ってるのもちょっとまずいんじゃないかなって思って。だから、この場でハッキリさせてほしいなって」

「ああ……そっか。ホント、美優は優しいな。不安にさせちゃって、本当にごめん」

 ふと気になって、陽太の方を見る。彼は遊歩道のアスファルトを見つめながら、頬をかいていた。まるで、どう説明すればいいか迷っているかのように。

「まず、これだけは信じてほしい。俺と安藤さんはそういう関係じゃない。美優も知ってるだろ? 安藤さんが結構執拗に俺にすり寄ってくること。あの時も拒もうとしたんだけど強引に唇を近づけてきて……ごめん。信じてもらえないよな」

「ううん。そんなことだろうと思ってたから」

 むしろ、自分の口からそう言ってもらえて安心した。確信に変わった。

 陽太にしては結構強い言葉を使ってる辺り、本気で嫌がってることが解ったから。

「大体ね、陽太も嫌ならちゃんと嫌って言わなきゃ駄目だよ? いつも思うけど、優しすぎるのよ。相手を傷つけちゃうって不安になって、ハッキリと断れない。それだから悪い女がホイホイ寄ってくるんだよ?」

「……ごめん。本当に」

「でも、良かった。正直心配だったの。このままだと、陽太と一緒に帰れなくなるんじゃないかって。わたしの味方、今じゃ陽太しかいないし。お姉ちゃんも、今は東京にいるから頼りにできないからさ……まあ、同じ関東だから会おうと思えば会えるんだけどさ」

 わたしがそう言うと、陽太は申し訳なさそうに目線を落とした。身体も心なしか普段より小さく見えて、よほど気に病んだことが窺える。ちょっと言いすぎちゃったかな、なんて自分でも反省する。

 陽太のためにも、話題を変えてあげないと。

「そういえばさ、この前話してた『くまたん』のコラボカフェ、無事に予約できたの?」

「ああ、そうそう。その話もしようと思ってたんだ」

 思い出したように顔を上げて、陽太はリュックに付いたクマのマスコットを弄り始める。

『くまたん』というのは、最近SNS上で話題になってる四コマ漫画の登場人物だ。その可愛らしさと物語から垣間見える闇深さとのギャップが人気を博し、色んな企業とコラボレーションしている。陽太が行きたがっているコラボカフェというのもその一環だった。

 いつもなら『くまたん』の話題になると陽太の声のトーンが一段階上がるのだけれど、今日は何故か変化がない。むしろ下がったように思える。一体どうしたんだろう。

「実はさ、予約するにあたって注意事項とか色々と目を通したんだ。そしたらさ……ビックリすることが書かれてあってさ」

 ふうむ。声の調子から察するに、そのビックリすることというのはあまり良くないことなんだろう。

「何て書いてあったの?」

「それがさ……目当ての特典のコースター、女性客かカップル限定だって書いてあったんだ。ひどすぎるよ。まさかこのためだけに彼女を作るわけにもいかないし」

 そう嘆いて、陽太は肩を落とした。別の機会を探すしかないのでは。そんな言葉が思い浮かんだけど、一ファンとして確保しときたい気持ちも解るから、すぐに呑み込んだ。

「……やっぱりおかしいのかな。男子が可愛いものを好むのって。やっぱり男子は男子らしく、かっこいいものに興味を示すべきなのかな」

「それは違うんじゃない?」

 今度は何も飾らず、本心から言葉を投げかけた。

「そのお店がおかしいだけだと思うよ。それか、元々そういうコンセプトなのか……いや、この際どっちでもいっか。とにかく、男子が可愛いもの好きなのがおかしいなんて、そんなの間違ってると思う。自分が好きなことは、ちゃんと自信を持たないと。じゃないと、わたしみたいに自分を失っちゃうよ」

「あはは……そう言ってくれるのは嬉しいけど、『わたしみたいに』というのは違うと思うよ。美優はちゃんと自分の好きなことを貫いてるわけだし」

 こういう時も、他人の心配か……やっぱり優しすぎるなあ、陽太は。

「でも、やっぱり今回は諦めようかな。俺は女子じゃないし彼女がいるわけじゃないし。オリジナルデザインには惹かれるけど……今回は断念して他の機会を待とうかな」

「え、本当にそれでいいの? ここで逃したら後悔するかもしれないのに……あ、そうだ」

 妙案を思いついて、わたしは陽太の目をじっと見つめた。

「わたしがついて行ってあげよっか? 男女で行けばカップルってことになるだろうし、店員さんもそこまでしつこく問い質してこないでしょ」

「ええっ? そりゃあ願ったり叶ったりだけど……」

 そう言い淀んで、陽太は恥ずかしそうに目を逸らす。

「……いいの?」

「えっ、何が?」

「普通に街を歩いてる分には幼馴染として居られるだろうけど、お店に入ったら俺の彼女として見られることになる。それでも本当に大丈夫」

「あったりまえじゃん。陽太とわたしの仲なんだし。……もしかして、嫌だった?」

「いやいや、そんなことないよ! むしろ心強いというか……ありがとう」

 そう言って、陽太は今日一番の笑顔をわたしに見せてきた。ホッとしたような、柔らかい笑顔。思わず心臓が、どくん、跳ね上がった。

 そうこうしているうちに、わたしたちは家の近くまで辿り着いた。一軒家が立ち並ぶ住宅街。陽太の家はあと数十歩ほど歩いた先にある。わたしの家はもう少し進んだところにあるから、もう少しでお別れだった。

 ああ……もうこの時間が終わっちゃう。

 わたしにとって……飾森美優にとって、陽太との帰り道はかけがえのないひと時だった。毎日のようにあるけど、それでも満足できないぐらい、貴重な時間。一瞬に感じるほどあっという間だし、終わりが近づく度に胸が締め付けられて、切なくなる。もっと求めてしまう。

「……あのさ、陽太」

 だからこの質問も、寂しさを紛らわせるものだと、伝わってほしかった。


「今のわたしって、飾森美優として居られてる、よね?」


 気づいた時には、わたしはその場に立ち止まっていた。

 そうして言葉を言い終えた途端に「何を言っているんだろう」って勝手に混乱して、思わず赤面してしまう。

「……ふふっ。またお化粧のせいで、本当の自分を見失いそうになっちゃった?」

 だけど、この世の誰よりも優しい陽太は……幼馴染同士の秘密の質問だと捉えてくれた。

「大丈夫。今日も美優は美優のままだよ」

「そうだよね……そうだよね?」

「お化粧で痣隠そうとしてるのは、解ってる。だけどさ、あんまり仮初めの自分に呑まれない方がいいよ。どんな美優でも俺は好きだって、解っていてほしいし」

 そう言い残して、陽太は速足で家の扉の前に向かい、最後に振り返った。

「それじゃあまた明日。あ、コラボカフェの件はまた連絡するね!」

 扉が閉まって、陽太が見えなくなる最後の最後まで、彼の優しい言葉が頭の中で反響していた。いつもこういう時だけ、物事をハッキリと伝えてくる。あの時と同じように。

 ……こんなの、嫌でも依存しちゃうよ。

 道の真ん中に立ち尽くしながら、わたしはそう呟いた。

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