朝礼十五分前に到着した高校の教室は、時間が経てば経つほど騒がしくなってくる。

 最初はわたしや、一部の勉強熱心な人がちらほら座っているだけで静かだったのに、部活組や陽キャの問題児共が徐々に集まってきて、わざとらしい笑い声や話し声で溢れ返るようになる。そこから気を紛らわせるために、わたしは教室の隅の自席でスマホと睨めっこしていた。換気のために開けられた窓から冷たい風が入って来て、思わず身震いする。

 このクラスの人達は、基本的に鬱陶しいぐらい騒々しい。多分、周りのことを考えられない可哀想な人なんだと思う。けど、そんな中でも褒められるところがある。彼らは大抵各々のテリトリーで物事を完結させて、他のテリトリーに必要以上の侵攻をしたりしない。お互いが気分を害しない一定の距離間を保っているから、自分の利益しか考えない猿山の猿達よりは賢いものだと勝手に思っている。

 だから、うるさいだけなら普通にスルーできる。耳障りなのには変わりないけど、直接的な被害があるわけではないから耐えられる。こうして誰にも邪魔されずスマホを弄れているだけ、気分としてはだいぶ楽だった。

 そう、誰にも邪魔されなければ。

「やっほぉ、美優ちゃん。おはよ」

 ……やっぱり来た。

 文面にすればとても友好的な台詞を、彼女はわたしに投げかけてきた。

 人を小馬鹿にするような、ざらついた声音に乗せて。

 ちょっと耳にしただけで、全身に悪寒が走った。

「相変わらず陰気臭い面してんね。きっも」

 今度は隠す気など微塵もない、ストレートな悪口を吹っ掛けてくる。そして語尾代わりに添えられた小さな嘲笑。……あまりにも典型的な悪女で、逆に笑えてくる。

 仕返しと言わんばかりに、わたしは声のした方を睨みつけた。

 安藤彩日。クラスカースト上位を自称するこの女は、地毛だと言い張るブラウンのポニーテールを偉そうに揺らしている。その後ろには二人の腰ギンチャクが並んでいて、ボスと同様にわたしを見下していた。

 ニタニタと笑う顔面には、色の濃い下手くそな化粧。スカートも丈を折って短くしており、表情からも衣装からも「アタシ可愛いでしょ?」オーラが溢れ出ている。正直可愛くないし、ただ自意識過剰で気持ち悪いだけだった。

「てか、アンタよく学校来られたわね。正直、自殺しちゃったのかと思ってたわ」

 腕を組んだ彩日が、話を切り出してくる。

「あんなことがあった後だってのに。見てたでしょ? アタシと陽太がキスしたとこ」

 ……ああ。

「勝手に勘違いして執着してたんだろうけど……これでハッキリしたでしょう? アタシと陽太は付き合ってんの。アンタが入ってくる余地なんてないの。わかった?」

 彼女の得意げな宣告を受けて、わたしの脳裏に「あの日」の出来事が浮かび上がる。

 先週の金曜の下校時間。たしか土砂降りで空も暗かったその時、わたしは陽太との待ち合わせ場所に走って向かっていた。掃除が長引いて、五分近く時間に遅れてしまったのだ。

 そうだ。そこでわたしは……鉢合わせてしまった。

 彩日が陽太にキスをする、その瞬間に。

 確かに立ち尽くしてしまうぐらいには、吃驚した。目の前がチカチカして、ボーっとして、夢と現実の区別がつかなくなるほど。けど……あくまでその一日だけだった。流石に土日が空けば冷静になれる。それに──。

「……そういうあんたも、単純ね」

 わざとらしく溜息をついて、わたしは彩日の目をじっと見つめた。

「キス如きでわたしを誤魔化せるとでも思ってたの? どうせあんたのことだから、無理矢理口付けたんでしょ。バレバレなのよ。陽太も押されるのに弱いタチだし、何となく想像できる」

「……っ、この期に及んでまだ……」

「あんたが言ってたこと、そっくりそのまま返してあげる。わたしと陽太の間に入る余地なんて、一切残ってないから。あんたよりもわたしの方が、陽太のこと解ってあげられてるし」

「……このアマっ」

 さっきまでの余裕な表情から一変して、彩日は表情を歪めて歯ぎしりしている。キスを話題に挙げて得意げになっている辺り、やっぱり計画的犯行だったことが窺えた。いい気味だわ。ざまあみろ。

「というか、わたしみたいなウザイ女と関わってる暇があったら、早く席についたら? 先生、そろそろ来ちゃうんじゃない?」

「……調子に乗れるのも今のうちよ」

 憎たらし気にそう言って、彩日は自分の席へと身体を向けた。ようやく終わったか。そう思ったところで、釘を刺すようにじろりとわたしを睨みつけてくる。

「最後に忠告しといてあげる。もう二度と陽太には近づかないことね。さもないと、今度は痛い目じゃ済まないから」

 それだけ言い残して、今度こそ自分の席へ去って行く。二人の取り巻きも、去り際まで忌々しそうにわたしを見つめてきた。忠告と言いながらも最早捨て台詞で、あと少しで吹き出してしまうところだった。

 すっかり良い気分になったところで、わたしはもう一度スマホに目を移す。

 見ると、今朝の自撮りのコメントの中に、陽太からの連絡が埋もれていた。

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