──ごめんね、○○ちゃん。


 その一言が頭に響いて、目が覚める。

 気怠い身体を動かしてスマホを掴み、時間を確認した。……午前六時半。アラームを設定した時間より三十分早い。無駄なことした。すぐに二度寝しようとしたけれど、変に目が冴えて上手く眠れない。

 不安になって、思わず呟いた。

「わたしは……美優。飾森美優」

 うん……大丈夫だ。わたしはちゃんと、飾森美優だ。そう自分に言い聞かせながら、両頬を触る。そこでようやく気付いた。ああ、今日も直さないとだ。

 せっかくいつもより早く起きたんだ。お化粧の時間をいつもより多く確保しよう。

 そう決めたわたしは、重たい身体を引きずってベッドから降ろす。自室から出て、「早いじゃない」と母が驚いたのを適当に返して、さっさと支度を進めていく。朝食の食パンをホットミルクで流し込んで、洗面所に駆け込んで、洗顔とヘアアイロンを早いペースで済ませていった。

 そうして全てを終えて自室に戻った瞬間、ふう、と思わず息が漏れた。これでようやく、お化粧に時間を費やせる。流石に親に見られるとまずいから、いつも部屋で隠れてやっている。痣の跡を隠すだけって言えば誤魔化せそうだけど……まあ、実際それだけに留まらないわけだし。

 ええっと、ポーチは……あった。

 ベッドの下に隠した、黄色と白の縞々ポーチ。その中から手の平サイズの手鏡を取り出して、すぐ目の前に置いた。

 お化粧は、出来るだけ自然になることを意識する。

 中学の時に姉──姫乃から教わったことが脳裏に蘇ってくる。派手にしすぎたら急にオバサンっぽくなっちゃうし、すぐ先生にばれて職員室行きだ。面倒事は嫌だし、息が臭いオッサンの説教なんか耐えられない。かと言って薄すぎるのも駄目だ。醜い自分の本性が浮き出てくるみたいで、気持ち悪くなっちゃうから。

 目指すは……そう、お人形さんだ。

 子供も大人もチヤホヤしてくれるような、可愛いだけのお人形さん。

 人形になり切ることで初めて、わたしは自分を肯定できる。

 ファンデーションで痣の痕を隠して、ペンシルで眉毛を整えて、マスカラと薄めの口紅でおまけ程度のアクセントを付け加える。そうして一通りの工程を終えてから、手鏡で全体を見直していく。右に左に頬を傾けて、目を近づけて眉毛の長さを確認し、最後に唇をぱくぱくさせる。

 うん、だいじょうぶ。

 今日のわたしも、最高にかわいい。手鏡の中には、ついさっきまで映っていた根暗なわたしはいない。代わりに、お人形さんみたいに肌がきれいな自然体美少女と、鏡越しで目が合った。胸の中がみるみるうちに自尊心で満たされていく。

 上手くいった記念に、自撮りを一枚パシャリ。すぐさまSNSに投稿する。時刻は七時四十分。こんなに気分のいい朝はいつぶりだろう。最近、ずっと気分の重い日が続いていたから、その分開放感が凄かった。お化粧がいつも以上に上手くいったのも関係あるかもしれない。

 少し浮ついた気分のまま制服に着替えて、鞄を肩にかけた。すると床に放置していたスマホからタイミングよく、ピロン、と着信音が鳴った。拾い上げて、通知を確認しようとするとそこに重なるように、ピロン、またピロンとメッセージが届いた。

『かわいい!』

『天使!』

『人形みたい……』

 わたしの自撮りに対する褒め言葉がコメントとして次々と届いてきて、思わずニヤニヤしてしまう。今だったら、この気持ち悪いニヤケ顔も可愛く見えるんだろうな。そう自惚れていると、また一つ通知が画面上に浮かび上がってきた。

『どうせ加工だろ(笑)』

 思わず、チッ、と舌打ちしてしまう。

 たった一つの批判コメントをきっかけに、心地いい気分が一気に台無しになった。自尊心が徐々に下がっていく感覚を覚えながら、わたしはコメント主をブロックする。いつもと変わらない憂鬱な朝が、自室を出た途端に全身を取り巻いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る